【ピックアップ:中小企業金融】
 
「中小企業金融の円滑化に関する意見交換会」の開催について

 去る12月3日(水)に、金融機関代表者、関係省庁等を集め、「中小企業金融の円滑化に関する意見交換会」を開催しました。
 本会合では、年末の資金需要期を迎えることを踏まえ、竹中金融担当大臣から金融機関代表者に対して、健全な中小企業に対する資金供給の円滑化には格別の配慮をするよう要請するとともに中小企業金融の実態認識について意見交換を行いました。
 その際、竹中金融担当大臣から金融機関代表者に対して、融資取引に際して顧客に対して十分に説明を行うことや担保・保証に過度に依存しない融資について積極的に取組むことなどを要請しました。
 また、今回は特に、足利銀行が業務を行っている地域における資金供給の円滑化についても格別の配慮を要請しました。


意見交換会参加機関等>
 全国銀行協会、社団法人 全国地方銀行協会、社団法人 信託協会、社団法人 第二地方銀行協会、社団法人 全国信用金庫協会、社団法人 全国信用組合中央協会、社団法人 全国労働金庫協会、農林中央金庫、日本政策投資銀行、国民生活金融公庫、中小企業金融公庫、中小企業総合事業団、沖縄振興開発金融公庫、商工組合中央金庫、社団法人 全国信用保証協会連合会

金融検査マニュアル別冊〔中小企業融資編〕等の改訂(案)の公表について

 金融庁検査局では、「リレーションシップバンキングの機能強化に関するアクションプログラム」において、「中小企業の実態に即した検査マニュアル別冊〔中小企業融資編〕の改訂」が盛り込まれたことから、本年10月に「金融検査マニュアル別冊〔中小企業融資編〕改訂検討会(PT)」を設置し、これまで7回に及ぶ検討を行い、改訂案を取りまとめました。
 なお、今回の改訂に併せて、現行の会計ルールを反映させる等、金融検査マニュアル等について所要の改訂を行うこととしています。
 今後、当該別冊等については、内容を確定のうえ、検査官宛の通達として発出することを予定しておりますが、それに先立ち、改訂案について広くご意見を募集することとし、12月22日にホームページに掲載しました。


 「金融検査マニュアル別冊〔中小企業融資編〕」改訂案については、金融庁のホームページの「パブリック・コメント」から「金融検査マニュアル別冊〔中小企業融資編〕等の改訂(案)について」にアクセスしてください。また、「金融検査マニュアル別冊〔中小企業融資編〕」の基本的考え方等について、詳しくは金融庁ホームページの「政策ピックアップ」のコーナーにある「中小企業金融特集」の「金融検査マニュアル別冊(中小企業融資編)」にアクセスしてください。

【海外最新金融事情】
 
 

証券市場の国際化とIOSCO(証券監督者国際機構)の活動

金融庁総務企画局国際課企画官
松 尾 直 彦

 1980年代末以降、日本の証券取引・証券市場の国際化が大きく進展してきています。最近の状況をみても、日本の取引所(東証・大証・名証)の株式売買代金に占める外国人の割合は2002年(平成14年)に31.7%(1992年(平成4年)は16.5%)、全国の上場企業に占める外国人の株式保有比率は2002年に17.7%(1992年は6.3%)に達しています。また、多数の外国証券会社や投資信託委託会社などが日本で活発に活動しています。
 こうした証券市場の国際化は、日本に限らず、世界の証券市場に共通する動きとなっています。このため、世界の証券規制当局が参加する国際的な機構である「証券監督者国際機構(IOSCO:International Organization of Securities Commissions)」の役割が一層重要となってきています(通常「イオスコ」と呼ばれます)。本年は、IOSCOが世界的な機構になった1983年から20周年に当たります。本稿では、最近のIOSCOの活動などについて紹介します。なお、文中意見にわたる部分は、筆者の個人的見解です。
 


 IOSCOの沿革・組織・原則などについては、金融庁のホームページの「インフォメーション」のコーナーにある「国際機関関連情報」から「証券監督者国際機構(IOSCO)」にアクセスしていただくか、IOSCOのホームページ(http://www.iosco.org/)をご参照下さい。


.IOSCOはどのような活動をしているのか

 IOSCOは、証券市場の国際化に伴う諸問題などについて、各国・地域の証券規制当局が規制の調和などについて議論し、情報交換や協力を行う場です。
 第1に、IOSCOは、これまで証券規制・監督に関する様々な原則を定めてきています。「証券規制の目的と原則」(1998年9月)や「証券決済システムのための勧告」(2001年11月)がその代表例です。これらは、証券規制に関する国際的基準として、IMF(国際通貨基金)と世界銀行が各国の金融セクターの評価を行う(「金融セクター評価プログラム(FSAP)」)際の基準の1つに位置付けられています。ちなみに、本年9月にIMFが日本を対象とするFSAPの結果をとりまとめて公表した「 金融システム安定性評価(FSSA)」報告書では、日本の証券セクターにおけるこれら原則の実施状況について、概ね良好な評価が与えられています。
 第2に、IOSCOは、各証券規制当局間の協力情報交換を促進しています。最近の例としては、2001年9月の米国同時多発テロ事件を受けて、2002年5月には証券分野の情報交換を国際的に行うための枠組み(多国間MOU)に合意しています。
 
 
IOSCOが原則を策定する流れ】
 
 IOSCOの活動の中心は、主要先進国・地域の証券規制当局から構成される「専門委員会」です。メンバーは、日、米、英、仏、独、伊、加、蘭、スペイン、スイス、豪、香港、メキシコの13か国・地域の15機関です。
 IOSCOの原則は、専門委員会の下部機関において策定作業が行われます。通常、主要先進国・地域の証券規制の調査⇒原則素案の作成⇒議論⇒原則策定の流れとなります。
 議論に際しては、積極的に発言すること、自国の利益の観点のみならずIOSCO全体の観点(より良い原則の策定)から発言すると、尊重されるように思われます。
 例えば、ヨーロッパのある国の証券規制当局者は、その長いIOSCO活動歴(IOSCOにおける有名人)と豊富な知識・経験から、発言内容が尊重されています。


.IOSCOは最近の企業会計不正問題にどのような対応をしたのか

 米国における2001年末の企業会計不正事件(エンロン社やワールドコム社などの破綻)や年7月末の企業会計改革法(サーベーンズ=オクスリー法)の成立を契機として、グローバルな証券市場の基盤にかかわる諸問題が、国際的な課題として議論されてきています。具体的には、コーポレート・ガバナンスの強化、会計事務所の独立性と監督の強化、ディスクロージャーの強化、証券アナリストの利益相反の抑制、信用格付機関の活動などです。こうした課題は、本年6月の仏エヴィアン・サミットでも取り上げられています。
 今回の国際的な動きの特徴は、世界の主要証券市場(日・米・EUなど)において、こうした課題について、ほぼ同時並行的に改革の取組みが行われたことです。例えば、日本では、金融庁が昨年8月に「証券市場の改革促進プログラム」を公表し、本年5月末に公認会計士法の改正法が成立するなど、着実に改革が実施されています。
 IOSCOでも、これらの課題について、次のような原則を策定し、メンバーに証券規制に関する指針(ガイダンス)を示しています。
 
 ● 「上場企業による継続開示及び重要事項の報告に関する原則」(2002年10月)
 ● 「監査人の独立性及びそのモニタリングにおける企業統治の役割に関する原則」(同)
 ● 「監査人の監督に関する原則」(同)
 ● 「信用格付機関の活動に関する原則」(2003年9月)
 ● 「セルサイド証券アナリストの利益相反に対処するための原則」(同)
 
 
IOSCOと他の国際的機構との協力】
 
 金融機関のコングロマリット化(銀行・証券・保険にまたがる相当規模の金融サービスを提供)に伴い、IOSCOが他の国際的機構と協力する場面が増えています。
 例えば、1996年5月には、監督当局間の協力強化に関するバーゼル銀行監督委員会との共同報告書を公表しています。最近でも、「信用格付機関の活動に関する原則」のとりまとめに当たり、BIS規制見直しにおいて外部信用格付機関制度を導入予定のバーゼル銀行監督委員会と対話をしています。
 また、IOSCOは、バーゼル銀行監督委員会やIAIS(保険監督者国際機構)とともに、銀行・証券・保険の各分野に共通する監督上の諸問題を検討する合同会合である「ジョイント・フォーラム」に参加しています。


.日本がIOSCOの活動に参画することにどのような意義があるのか


 日本は、1988年(昭和63年)以来、IOSCOのメンバー(現在は金融庁が普通会員、証券取引等監視委員会などが準会員)として、IOSCOの活動に積極的に参画しています。日本がIOSCOの活動に参画することにはどのような意義があるのでしょうか。
 
 
金融庁などのIOSCOへの積極的参画(例)】
 
 金融庁は、証券取引等監視委員会と分担して、専門委員会やその下部機関をはじめ、IOSCOの主要な委員会すべてのメンバーになっています。
 金融庁(金井前国際課企画官)は、「証券アナリストに関するプロジェクト・チーム」(2001年3月〜2003年2月)の議長を務めました。
 金融庁(筆者)は、2003年10月に韓国ソウルで開催された第28回IOSCO年次総会の公開パネルの1つ(信用格付機関の規制)に、パネリストとして参加しました。
 
 第1に、証券取引・証券市場の国際化が進展する中、日本の証券制度・規制を国際的に調和のとれたものにする上で、IOSCOが策定する原則が有用であるという意義があります。
 IOSCOによる原則の策定を契機として、証券取引法が改正された場合もこれまでみられます。例えば、証券業者に関する「7つの行為規範原則」(誠実・公平など)の採択(1990年11月)を契機とした改正、「協力についての決議」(1989年6月)を契機とした改正(外国証券規制当局に対する調査協力)があります。また、最近でも、今回の公認会計士法改正による監査法人などに対する監視・監査体制の強化は、米国の企業会計改革法やIOSCOの「監査人の監督に関する原則」などの国際的な動向も踏まえたものです。現在も、IOSCOの証券アナリストに関する原則を踏まえて、証券会社などに対する自主規制機関である日本証券業協会において、現行の自主規制の見直し作業が行われています。

 第2に、IOSCOが策定する原則に日本の証券制度・規制を一定程度反映させることができるという意義があります。この場合、IOSCOのメンバーは世界105か国・地域(2003年11月末)に及ぶため、日本の制度・規制が国際的な影響を及ぼす可能性があることになります。
 例えば、昨年10月に公表された監査人監督原則が日本の監査人監督制度を反映したものとされているほか、継続開示原則において日本の継続開示制度が国際的なアプローチの1類型として取り上げられています。また、専門委員会の下部機関(第1常設委員会)では、国際会計基準審議会(IASB)の動きや国際会計基準(IAS)の内容について検討していますが、IOSCOとしてのコメントを出す場合に、日本の意見ができるだけ反映されるように努めています。
 
 
IOSCOの意思決定の方法】
 
 IOSCOが原則策定などを行う際の意思決定は、原則として全員一致(コンセンサス)方式ですが、現実には少数意見が反映されるとは限りません。したがって、議論に際しては、同じ意見のメンバーがいるかどうかが重要となります。
 国別の経済力や証券市場の規模では、米国が第1位、日本が第2位ですが、最近の特徴として、国数の上では一大勢力であるヨーロッパ勢の声が、2005年のEU域内金融市場統合を目指して証券規制の統一化が進められる中で、まとまりつつあることがあります。こうした状況の下、証券取引法の体系に類似性のある日米の連携などが重要になります。
 
 第3に、IOSCOを通じた世界各国・地域の証券規制当局のネットワークが有用であるという意義があります。

 例えば、2001年9月11日の米国同時多発事件の発生直後に、IOSCOネットワークを活用して、主要国・地域の証券市場に関する対応状況について連絡・情報交換を行いました。本年3月のイラクに対する武力行使に際しても同様です。
 また、IOSCOのネットワークは、2国間の問題に対応する場合にも有用です。例えば、金融庁では、昨年夏以来、米国の企業会計改革法の問題に対応するため、米国SEC(証券取引委員会)と建設的な対話を重ねてきていますが、これについても、IOSCOの会合の際に米国SECの国際担当委員や国際部長などと会うことが多いことが寄与していると思われます。実際、IOSCOの会合は、外国証券規制当局の関係者と意見交換・情報交換をする絶好の機会を提供しています。
 さらに、吉野金融研究研修センター長の指摘のとおり、金融庁にとって、海外への情報発信の促進が重要な課題ですが、IOSCOの場などを通じて、日本の証券市場改革の取組みなどを世界に情報発信しています。
 
 
IOSCOの広報重視戦略】
 
 IOSCOは、最近、IOSCOの国際的プレゼンスを向上させる観点から、広報活動を重視しています。
 このため、IOSCOの原則(案)のパブリック・コメントの増加、証券関係者との対話の促進などの取組みが行われることになっています。
 また、2004年秋には、米国ニューヨークで国際会合(コンファレンス)を開催することが計画されています。


.おわりに

 以上のとおり、証券取引・証券市場の国際化が一層進む中で、IOSCOの役割はますます重要となります。今後とも、IOSCOの活動に積極的に参画していく考えです。これまでは、専門委員会など主要先進国・地域との関係が中心になってきていますが、今後の課題として、アジア地域との関係の強化があります。来年2月にニュージーランドで開催されるIOSCOの「アジア太平洋地域会合(APRC)」などにおいて努力したいと考えています。

 (文中意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)


【海外通信】
 

ドイツ金融庁(Bafin)の設立について

在独大使館二等書記官
八 幡 道 典


.はじめに


 ドイツの金融庁(Bafin)の発足(2002年5月)から約1年半が経過した。図らずも、我が国での金融庁発足とタイミングがよく似ているため、「ドイツの」という文言を付けなければ、どちらの話か混同しかねないのではなかろうか。
 我が国に次ぐ世界第3位の経済規模を持ち、ドイツ銀行を始めとする世界有数の金融機関を有するドイツという国の経済的位置付けに比べると、ドイツでも日本と時期をほぼ同じくして金融庁が発足したという事実については我が国では意外なほど知られていないのではないかと思われる。本稿では、あまり専門的、政策的な観点からではなく、ドイツでの金融庁発足前後の動きに視点を置き、新金融庁の方々から行ったヒアリングを下に、私見も踏まえつつ、その発足の背景及び現状等について、概観してみたい。
 なお、ドイツ「金融庁」の名称について、日本の当局では「金融監督庁」という訳をあてている。これは、Bafin(Bundesanstalt für Finanzdienstleistungsaufsicht)の日本語訳としても、また実態としてドイツの金融庁には企画立案部局がないこと(連邦財務省の金融担当局に存在する)や後に述べるように「検査」部局がないこと等から、その方が正確なのであるが、今回ヒアリングに応じてくれたある課長(彼は、我が国では過去、金融監督庁から金融庁に衣替えしたことを知っている)が、ドイツも「金融庁」という名称を(少なくとも将来的には)与えられたいと述べておられたことを尊重して、本稿においては金融庁と統一することとする。


.金融庁発足までの状況
 

(1)

 3つの監督庁の存在
 現在の金融庁が活動を開始したのは2002年5月であるが、従前の金融監督行政は、連邦銀行監督庁、連邦保険監督庁、連邦証券取引監督庁という3つの機関によって担われていた。これらは、いずれも連邦財務省の傘下(主管大臣が財務大臣)にあり、その名称だけを見ると各々が同じような位置付けの官庁のように見える。しかし、その生い立ちやそもそもの目的・機能は、それぞれかなり異なったものであったようである(少なくとも各官庁の役人の認識にはそういう傾向があるように思われる。)なお、金融監督を行うという意味では、ドイツでは後に触れるように中央銀行であるドイツ連邦銀行(以下「連銀」)や州中央銀行等も重要な役割を担っており、あくまでも連邦政府の行政機関という意味で3つの機関によって担われたということである。

(2)

 銀行監督庁
 まず、銀行監督庁であるが、この前身は1929年の世界大恐慌の影響を受けて発生したドイツ国内の銀行危機(1931年)を背景に設立されており、第2次大戦後の占領政策とともに、一度解体されている。その後長らく統一的な銀行監督機関が欠如したまま時が経過したが、連邦レベルでの包括的な監督組織を持つべきとの議論は1950年頃より始まっており、1961年になってようやく改めて設立にこぎつけることとなった。機関の設置場所としては、主として当時の政治的意向によりベルリンが選ばれた(東西ドイツ統一後、首都がベルリンに定められ、政府機関がボンから移転するのと丁度反対に、これまた政治的配慮によって2000年にボンへ移転した)。設立の発端が銀行危機にあったことから考えると当然であるが、そもそもの設立の目的としては金融システムの安定を念頭においた監督機関であったと言える。

(3)

 保険監督庁
 次に、保険監督庁であるが、実はこの官庁の設立が最も古く、既に1902年からベルリンにおいて、皇帝直属の機関として活動を開始している。建物も戦争による被害を乗り超え、1905年以降、2000年に銀行監督庁と同様にボンに移転することになるまでの間、同じものが使用されていた。この機関の設立時の位置付けは、「消費者保護官庁」としてのそれであり、この点(上記銀行監督庁と設立当初の目的が異なること)については、その後の金融庁の統合に際しての議論においては、統合反対の強い論拠となったほど、いわば「由緒正しき」ものとの認識がある。もちろん、今でこそ保険会社の破綻は保険契約者の保護だけが問題なのではなく、金融システムそのものの危機にもつながりかねないということは認識されているところであるが(それゆえ銀行監督と同様の目的があることを疑う余地はなく、他方、今や銀行監督に預金者保護(つまり消費者保護)の側面があるのも当然である)、統合の議論に当たっては、統合不可を主張する有識者の中に、歴史的背景として保険監督とは保険契約者保護が最大の目的であるからと声高に主張する者が多かったという事実は興味深い。なお、保険監督庁も、当然戦後の占領統治を経験するわけであるが、この点についても銀行監督庁とは運命を異にしており、「解体」を免れ、基本的には戦前の形態を維持した。

(4)

 証券取引監督庁
 証券取引監督庁については、これは更に上記2つの機関とはイメージが異なっている。この監督庁は、1994年のいわゆる第2次資本市場振興法の一環として設置が決定されたものであり、1995年から活動を開始した最も新しい機関である。同法のそもそもの目的がドイツにおける株式市場のインフラ整備という点にあり、この時新たに制定された証券取引法の中に、インサイダー取引規制の導入などとともに本機関の設置が規定された。また、場所は、証券取引の中心という意味で自明のこととしてフランクフルトに設置されることとなり、上記の2機関とは場所的にも別になることとなった。設置時期や目的からも十分推測できることであるが、金融機関の活動がグローバルなものとなってきた時期であり、いわば必然的にアングロサクソン系な金融及び金融監督行政の影響を大きく受けた機関であったと言える。
 
 
<3監督庁の性質の違い>

 以上、新金融庁を構成する旧3監督庁の生い立ちを概観してみたが、名称から推測できる以上に異質な組織が統合されたということが分かるのではなかろうか。
 ここで、このような各機関の違いをよく表していると思われる、ある金融庁の課長の喩え話を紹介したい。筆者が何らかの要件で金融庁にアポを申し入れた場合における各旧監督庁ごとの対応という設定である。
 まず、その相手方が旧保険監督庁の人である場合である。この場合、多分、窓口担当者は、必ず面会の要件等を正式な文書で郵送により申し入れることを求めるであろう。その後、その窓口担当者から実際の担当課長まで決裁がとられ、場合によっては局長の了解を得た上で、その正式な回答がやはり文書により来るだろう。その間約1ヶ月を要する。しかし、彼らは万難を排してアポ日程を確保し、担当課長、時には担当局長が応対する。そして、彼等が行う説明はほぼ100%信頼を置いてよいものであろう。ただし、「ここだけの話」というような類の話を期待することはできない。
 次に、その相手方が旧証券取引監督庁の人であった場合である。この場合、アポ申し込みはメールないしは電話で十分であり、その依頼を受け取った窓口の人は、必ずしも自分(又はその周辺)が担当であるか否か、またその人の立場・肩書きに関わらず、極めて迅速にアポを受け付けてくれるであろう。ただし、その人とのアポは当日キャンセルされる可能性を十分に念頭に置いておく必要があり、運よく面会が予定通りに実施された場合にも、その回答には、常に「この回答は将来どうなるかは分からない。場合によっては明日変わっているかもしれない」との注意が付されることとなろう。もし相手がその注意を言わない場合でも、自分でそのことに注意しておかねばならない。
 さらに、銀行監督庁の場合はどうであるかということであるが、ちなみに、この喩え話を紹介してくれたのが旧銀行監督庁出身の課長であり、彼は旧銀行監督庁がその中間(の良い方だけ)であることを期待すると述べていた。確かに、その時のアポ取り付けは、FAXで行い、その2日後に当課長よりEメールでOKの返事があり、もちろん当日キャンセルされることなく、(この話も含めて)様々な私見も交えた話を聞くことが出来た。彼によると、この話は彼自身の創作ではなく、旧知の経済担当記者が長らく旧3監督庁と接する中で実際に体験した教訓として聞かされたとのことであり、多少なりとも3監督庁を知る筆者からしても、幾分かの誇張はあるとしても大いに納得できる内容である。


.金融庁発足への動き
 

(1)

 金融監督一元化の議論
 これまで述べたとおり、従前は、別々の3機関によって金融の監督行政が担われてきたわけであるが、ドイツでも90年代後半になると、一部で監督行政機関を統合すべきではないかとの議論が見られるようになった(97年の銀行法改正の際に、議論にのぼることがあったようである)。その要因としては、事後的には様々なことが挙げられているが、少なくとも外的な要因として、北欧諸国(ノルウエー、デンマークなど)で80年代後半以降、金融監督行政の一元化の流れが既に始まっていたことのほか、とりわけ1997年に英国においてFSA(金融サービス庁)が設立されたことが刺激となったことは間違いない。

(2)

 金融監督一元化の意義
 こうした諸外国の流れのほかに、もっと「あるべき論」的な観点からは、以下のような最近の金融情勢、金融機関を巡る状況等の変化が要因に挙げられる。すなわち、
 
 ・  銀行業と保険業務等その他業務との間の垣根が次第に崩れつつあること(ドイツでも、例えば保険大手のアリアンツが3大銀行の一つであるドレスナー銀行を傘下に置いた)など、監督機関を別にしておく必然性が薄れてきたこと
 ・  保険会社、銀行ともに金融システムの一環を担っている組織であること
 ・  ドイツはユニバーサルバンク制度をとっており、そもそも銀行が証券業を兼務しているところであり、銀行監督及び証券取引の監督を分ける必然性がないこと
などの状況に鑑みれば、金融監督を別々の機関によって行うことが必ずしも効率的なものではなく、むしろそのデメリットが現実に目立つようになってきたことが金融監督一元化の意義として挙げられる。

(3)

 金融監督一元化への動きの本格化
 こうした環境の状況の変化を受け、監督行政一元化への動きが本格的になり始めたのは、ドイツにおいては2000年以降のことである。この時期、監督行政一元化という動きは、我が国も含めた言わば世界的流れとも言え、むしろ各国とも既に完了の段階に至っていたわけであり、その意味ではドイツでの議論はかなり「遅まきながら」という感は否めないところである。
 また、そうした中でも、更にドイツにおいては、この一元化の議論の中に、世界の流れとはやや異質な議論があったことが注目される。その背景としては、時期を同じくして始まったECB(欧州中央銀行)の設立が関連している。

(4)

 金融監督を巡る連銀との関係
 ドイツにおいては、仮に金融監督を一元化して行うべきであったとしても、その際の一元化のイメージとして、現在のような連邦財務省の下に位置付けられた金融庁の形態が、必ずしも当初から想定されていたわけではない。もう一つの有力な案としては、連銀(中央銀行)の下に監督行政を一元化した公社を設置するということが主張されていた。むしろ当初は、後者の考え方の方が有力であったのではないかと思われる。
 実は、ドイツにおいては、そもそも銀行監督という分野における中央銀行のプレゼンスが大きい。銀行監督庁との関係では、1961年の発足当初より連銀とは監督分野において事実上協同して行っていたところであり、とりわけ銀行監督庁が独自の検査官を有していなかったという点が重要である。それゆえ、銀行監督庁は、連銀及びその傘下の州中央銀行の検査(連銀の検査は外為等の限られた分野を除いて基本的にはオフサイトの検査(書面検査)である)、及び公認会計士への委託を通じて行われた検査を通じて監督任務を行うこととなっており、その意味では、監督行政を統合するに当たっては、もう一つの大きな監督主体である連銀の下に統合するという発想も至極当然なものであったわけである。
 しかしながら、この案に対しては、例えば、
 
 ・  保険監督庁が金融監督一元化の対象から外れてしまうこと(つまり、銀行監督の「責任者」の一元化にはなるが、金融監督の一元化にはならない。又は論理的には連銀に保険監督の機能を持たせる必要が出てくる。)
 ・  中央銀行が銀行の監督行政を担うことは、世界の潮流(中央銀行と行政機関の分離)と異なり、実際に金融監督業務と金融政策が相反する場合に、金融政策の独立性が保たれるかという理論上の問題がある
 などの慎重な意見も多かったようである。また、政治的な思惑(アイヒェル財務相とウェルテケ連銀総裁の主導権争いの噂)等も絡んで、連銀への統合案に対する支持が広がらなかったという点を指摘する向きもある。

(5)

 金融庁の発足
 このように現在の金融庁が発足するまでは、様々な議論があったわけであるが、最終的には政治的な決断により、世界の多くの国と同様に、銀行、保険、証券の監督行政を一体化した組織を設置し、これを従来通り、連邦財務省の傘下に置くという結論に落ち着くこととなった(法案の閣議決定は2001年8月)。
 既述のとおり、法案決定の直前頃までは、連銀を中心とした監督機関設立という考え方が有力と見られていたが、最終的な段階で、財務大臣をはじめとする政治的な巻き返しがあったようである。


.金融庁発足後の状況
 

(1)

 従来との相違
 このような紆余曲折の議論を経た後、その後は比較的迅速に準備が進められ、法案成立直後の2002年5月より、現在の金融庁が活動を開始したわけであるが、次に、現在の金融庁がそれまでと比べてどのように変わったのか、あるいは変わっていないのかについて見ていきたい。

(2)

 金融庁発足により変わった点
 
.連邦政府との関係
 まず、最も変わった点は、連邦政府との関係である。従前より、旧3監督機関とも連邦政府からの独立性は高いと自認してきたところであるが(確かに連邦財務省と各監督庁間や監督庁相互の人事交流はほとんどなかったようである)、今回の金融庁の発足とともに、より一層その傾向が強くなった。具体的には、組織形態としては、我が国で言うところの独立行政法人としての位置付けに変わったことが重要である。
 従来は、例えば銀行監督庁の予算であれば、経費の約1割相当分が連邦予算によって賄われてきたところであった(残りの9割は金融機関が負担)が、新金融庁は、その経費の全てを民間金融機関からの手数料によることとなった。それまで、一部が連邦予算によって賄われることの論拠としては、監督庁が野放図な運営を行うことがないように政府が予算上もコントロールできる体制にしておくという点にあったところであるが、金融庁においては、この思想が大きく転換されたこととなる。
.Dグループの設置
 もう一つ大きな変化としては、これは金融庁設立の大きな理由の一つでもあったことであるが、金融庁の監督能力の質の向上が企図されていることである。デリバティブ等の金融技術が進むにつれ、高度な金融実務や知識を有した者が監督実務にも携わることが要請されるのは各国共通の課題であるが、こうした専門知識を有する者を雇用するためには、それなりの待遇(給与水準)が必要とされるところ、こうした面での柔軟な仕組みが必要との認識があった。
 このため、新金融庁には、特にこうした専門知識を有する者で構成される特別な局(Dグループ)が設置されることとなった。この局の者の給与水準は他の職員よりも高く設定されており、概ね金融機関等での経験を有する者が採用されているとのことである。
 
 
<某課長の話>

 しかしながら、そもそも中途採用が珍しくないドイツ官庁の雇用体系の中では、彼等が特に専門性に優れているか否かの判断は容易ではなく、金融庁プロパーの某課長(自身も最初の就職先は民間銀行で、そこで約7年の勤務の後、当時の銀行監督庁に移った)の話では、偶然、D局の発足と同時に採用された者が不当に好待遇を享受しているのではないかという批判も存在し、必ずしも理屈通りには組織になじんでいない面もあるようである。


.横割り部局の設置
 また、もう一つ組織として大きく変わった点が挙げられる。これは官民を問わず合併による当然の効果であるが、旧3監督庁を横割りにつなぐ組織が新たに設置されたことである。総務・人事等を担う官房部門(Z局)が当然一つに統合されたことのほか、金融監督という観点からは横割りにした方が効果的な部門、すなわち金融市場全般の問題、消費者保護に関する問題、金融システムの問題等を担当する部局(Q局、我が国金融庁の総務企画局の一部に相当)が新設されることとなった。これにより、旧3監督庁の総人件費を抑制することが期待できるとともに、3つに分立していた際には困難であった業界横断的な事項への対応がより効率的にできるようになった。ただし、発足後、約1年半経過した今までのところは、このQ局の位置付けは極めて重要であるとの認識とは裏腹に、旧3官庁の独立性が高かった代償とも言えるのであるが、Q局への「異動(出向?)」がスムーズにいかないこと、またQ局内で出身元を巡る縄張り争いのような現象が見られることなどの残された課題もあるところである。

(3)

 金融庁の今後の課題
 
.金融庁発足後も変わっていない点
 上記のように金融庁の発足と同時に改まった点も多々あるが、現実には、発足後もあまり大きく変わったわけではないことも多い。そこで、以下いくつか、発足後もあまり変わっていない点を挙げてみる。
 まず、明らかなことは、その所在地である。このことは、変わっていないこと自体に問題があるわけではなく、あくまでも一つの象徴的な意味としての話であるが、金融庁の発足に当たっては、新たな引越はほとんど発生しなかった(「新たな」と書いたのは、既述のとおり銀行監督庁、保険監督庁については2000年にベルリンからのボンへの引越を行っているからであるが、時系列的にも、この引越は統合(金融庁の発足)とは無関係である)。つまり、2002年7月の発足後も、銀行監督部門、保険監督部門はボン、証券取引監督部門はフランクフルトのままであり、このため組織が再編されたという実感はあまりしない。これは、早期の発足を優先し無用な混乱を招かないように配慮したことによるものであるが、統合したという表現とはやや矛盾するイメージは否めない(もっとも、ドイツ政府全体を見れば、ベルリンへの官庁の移転が100%行われたわけではないことから、同じ役所でもベルリン・ボンに分立しているのは全く珍しくことではない。)。
 それ以上に変わっていないことで問題であるのは、本来ならば統合されるべき部署が実際にはまだ統合されずに、3部門(旧3機関)にそのまま残っているものが多々見られることであろう。もっと言えば、局の数は確かに減っているものの、課レベルでは旧機関のものがほとんどそのまま残っており、旧監督庁の組織図をもってしても大凡現在の課の検討がついてしまう感じである。これは、もちろん金融庁の機能強化が目的であったことから、結果として組織が拡大する方向にあることは考慮しても、本来の統合のあるべき姿からすると批判されるべきことであろう。本来統合されるべき典型例をあげれば、例えば、各部門のそれぞれに国際課があることである。つまり、新金融庁には3人の(日本で言う)国際課長が存在することになる。現在のところは、早期の統合を優先した結果ということで済まされているが、今後、金融庁運営費用を負担する民間金融機関がこうした状況を許すまいという懸念は、当事者自身が大きく認識しているところであり、今後の課題となろう。
.連銀・自主規制団体の役割
 今後の政策的な課題としては、そもそも統合を目指した最大の理由の一つである監督機能の強化という観点を具体的にどのように実現していくかが重要となる。
 連銀の役割については、統合の方法論として当初有力とされた連銀の関与を強化するという方針も、金融庁発足に当たっては、一方で同時に実現されている。すなわち2002年の金融庁発足と同じタイミングでドイツ連邦銀行法も改正され、この改正により、連邦銀行が従来から行ってきた銀行監督について、これが法律で連銀の主要任務として明記されることとなった。具体的には、従来は、連銀の行う監督・(オフサイトの)検査による個々の金融機関に対する事実認定が、監督庁の行う処分に対しては参考資料に過ぎないという位置付けであったところが、これ以降は、連銀が行う事実認定が、そのまま金融庁が監督上の措置を行う場合の前提となることとなるなど、連銀の各銀行への監督機能も強化されたこととなっている。
 連銀は、ECBの設立と同時に、金融政策の決定という最大の任務をECBに委譲した形となり、従来の最大の任務の一つを失っている。このため、連銀としても、言わば今後の存在意義の一つを、銀行監督機能に求めていることは金融庁設立にいたる頃の議論からも明らかである。
 なお、これに関連してドイツの固有の事情として触れておきたいのは、我が国を前提として考えると想像し得ないほど、民間銀行、及びその協会団体(大銀行であればドイツ連邦銀行協会、日本の「全国銀行協会」に相当)自身による検査・監督が厳しく、言わば自前で監督業務を代行しているという事実があることである。ドイツ連邦銀行協会の人が誇らしげに語るところによると、過去、不健全銀行の早期発見ということに関しては、金融庁の監督を通じて発覚したことはほとんどなく、全て彼等(協会)による検査を通じて対応してきたとのことである。この点には、多少誇張もあると思われるが、ドイツにおいては、預金保険制度についても、基本的には民間である協会自身が運営する仕組みにより、他国に比類ないレベルの保障システムを作り上げているという事実もあり、民間銀行自身に、金融システム全体の維持を念頭に置いて行動するという発想が強いという点は真実であろう。
 いずれにせよ、金融庁が、今後、その責務をより一層効率的に果たすという観点から監督業務(検査業務を含む)を強化していこうとする場合には、広い意味での監督機関同士である連銀との競争以上に、既存の確固たる民間自前の監督システムとの競争という面も念頭に置くことが必要となり、その意味でもなかなか難しい課題を有していると言えるのではないか。


.最後に


 本稿においては、最初にもお断りしたとおりであるが、政策的な中味ではなく、経緯や組織論的な点に視点を置き、金融庁発足までの動き、及び今後の見通しについて概観した。
 既に、現在の金融庁の状況に対する筆者の見方は概ね現れているとは思うが、これまでのところの筆者の認識としては、金融庁が発足したことによって金融監督行政の分野において大きな変化が生じたという感じはあまり持っていない。それが、最初に述べたドイツで金融庁が発足したという事実自体があまり知られていない理由ではないかとも推測している。
 しかしながら、今回の発足への動きを見ても、議論が実際に本格的に始まってから、実際に発足に至るまでのスピードは極めて早かったということも事実であり、走りながら考えるスタイルで金融庁自体の改革が現在も進んでいる状況と言えるのではないかと思う。そうした意味では、ドイツの金融庁が、今後、近い将来、本格的な金融庁に生まれ変わる時期も来るのかもしれないとも思う。
 昨年(2002年)は、ドイツの金融界は長引く不況の影響もあり、いわゆる不良債権問題や、株価下落による含み損の影響に苦しむという我が国とも似た現象が多く見られたところである。しかしながら、私見では、ドイツの金融機関の多くは、既に今年(2003年)の状況を見ればその峠を越したようにも思われる。
 他方、いずれにせよ、この間大小様々なレベルで金融機関の経営難が生じていることも確かであり、その意味では、ドイツにおいても行政レベルでの適切な金融監督ということの重要度が増しているところである。
 実際、単なる(誰が金融監督を担うかという)組織論ではなく、「あるべき論」的な観点から、やはり行政機関たる金融庁の機能が更に強化されることが望ましいという意見も強くなっており、現に昨今の報道で金融庁の活動を目にする機会は以前と比べて格段に増加しているところである(この点が金融庁発足と同時に大きく変わったことの最大のものかもしれない)。
 本稿では触れなかったが、欧州レベルでは欧州全体としての銀行監督委員会設置の議論が進んでおり、欧州での銀行監督、金融監督のあり方を巡る議論は、まさに現在進行形である。こうした流れも踏まえ、ドイツの金融庁が今後更にどのように変わっていくのか、どうように機能強化、効率化を進展させていくのかについて、筆者も注目していきたいと考えている。

(文中意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)


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