【金融フロンティア】

諸外国の金融制度の体系的な研究及び比較


金融庁総務企画局政策課
金融研究研修センター 研究官
山 村 延 郎


.はじめに
 この10年間の大学の動きを見てみますと、国際金融論という科目を設ける大学がたくさん増えました。しかしながら、外国金融制度という科目になるとどうでしょう。そのような科目のある大学はきわめて少ないと思われます。特に金融教育に力を入れている大学には、比較金融制度論という科目を設置しているところがあるかもしれません。しかしそういう大学が多いわけではありません。
 いずれも国内の金融制度を正面から扱わないので、「そもそも同じものではないのか?」と考える人もいるかもしれません。一見、似たような感じがします。実際に、隣接科目として又は国際金融の科目の中で扱うことも不可能ではありません。
 しかし金融制度の発展にともなって金融論が発展し、研究が細分化すればするほど、固有の領域として制度を扱うことが、今後ますます重要になってくると思います。
 今回は、私が行っている外国金融制度の分析や比較の際に利用又は重視している考え方や方法論を紹介し、制度分析の固有の意義が何であるかという点をエッセイ風に考えてみたいと思います。


.外国金融制度の分析及び比較の意義
 まずは、国際金融論と外国金融制度論の違いを大胆に二分してしまいましょう。そうすると、外国金融制度論が何を扱うのかはっきりと打ち出すことができます。
 国際金融論が扱っているのは、例えば、国際通貨体制、外国為替市場、国際収支、国際資本移動(金融市場)などの問題です。「国際」と称するわけですから、究極的には、必ず複数の国民経済が背景にあります。そして、その間で作られる関係が問題になるわけです。また、これらのうち通貨や国際収支といった問題は、金融政策(マネタリー・ポリシー)をつかさどる中央銀行や、財政・経済政策をつかさどる省庁の担当する事柄であると言っても過言ではありません。
 これに対して、外国金融制度論は、基本的には、たとえ一国の分析でも十分に成り立ちます。「外国」の制度の分析によって「内国」との違いを比較したり同じ点を発見したりしようとする問題意識があるからです。その論文の中で比較をしていなくても後で比較できるように、その国の固有の制度としての金融制度を解き明かしています。
 自国と外国とで制度を比較するということは、他者との対比の中で自分を知ろうとする態度であります。相手との違いが明らかになることで自分のアイデンティティーが確立され、自国のシステムに関する知識も深まります。自国の制度をよりよく運用していく又は改善していくためには、この金融制度の分析は不可欠です。また、諸外国における制度に関する知識は、その国の経済の最重要システムに関する知識です。したがってこれらの国とお付き合いをする際にも当然に知っておかねばなりません。だからこれは、金融庁の担当する分野と密接に絡んでいるということが言えます。


.金融制度の諸概念
 ここで金融制度という言葉で概念されているものは、資金の媒介構造(金融構造)、金融サービス業の産業構造(業態区分、又は金融組織)、金融行政の仕組み、これらすべてをあわせた連環(金融システム)、に細分することができます。
 金融構造は、直接金融と間接金融の重要度が国別に違う意味についての分析です。業態区分は、昔は、各国の規制で成立した銀行等の分業制度を説明することが重要な課題だったのですが、今では、投資関連サービスや保険なども含めて分析していくことが必要となっています。金融自由化が進むにつれて行政の対応が変化していくので、これも学問的研究の対象になりえます。さらには制度の進化(特にルール作り)における司法・立法その他の勢力、外国や外資との交渉とその経緯といった政治経済学的な分析が重要になります。
 金融システムの構成要素は、相互補完的に噛み合っていなければ機能不全となります。一国の金融システム自体も、他のシステムからの影響を受ける系であるということを考慮しなければなりません。外部から何らかの制度を移植したり変更を加えたりするときは、適合性を考えながら行わなければ、ショック状態に陥ったり、システムが不安定になったりする可能性があります。金融制度を一つのシステムとして著述することで、噛み合いをある程度推量できる状態にすることができます。
 もっとも、機械的システムとは異なり、学習して進化する社会システムですから、分析対象とした国が均衡点に移行する途上の矛盾も抱えた状態でありうる、ということは念頭に置かねばなりません。


.制度の分析及び比較
 このような複雑なものをいきなり理解することはできません。そこで比較分析の基礎として、それぞれの国で採用されている個別の制度をそれ自体(an sich)として分析する必要があります。特定の制度を生み出した背景のほか、理念や思想も考察の対象となります。この研究は、既存の情報の修正やモデル構築に役立ちます。
 概念規定の比較も重要です。法律などで訳すと同じ名称で語られている制度や用語であっても、内容が全く違うことがあります。それは解釈が違ったり、実施の仕方が違ったり、あるいは制定過程・達成度合いが違うわけです。また、そこには日常の中で育まれたルールや行動パターンのような固有の文化が影響しているのです。
 さらには、その制度がその国で果たす役割が違うということもあります。例えば、ドイツの預金保険制度は、業界で運営して預金のほぼ全額を保護する「保護基金」の方が重要であって、定額の強制預金保険はあまり重要ではありません。
 とはいえ、概念は、全体像が分かって初めて定立するもので、最初に措定したものがいつまでも妥当な概念とは限りません。したがって比較も全体の分析が終わっていないという限りにおいては、定立していません。
 自国と比較することを前提に、一国について制度を研究する場合は、その国の言語、歴史・文化・国民性・慣習・伝統などのあらゆる知識を駆使して分析・綜合を網羅的に繰り返していきます。このような包括的な研究は、対象国の言語に通暁しなければならないということから、専門化して相応の長い付き合いをしていく必要があります。というのも、国際金融の狭い領域ならば、標準語として英語を用いる傾向にあるので別ですが、外国金融制度の場合は、そもそも標準化できない各国固有の事情が鍵となっているわけです。私がパリでフランスの金融機関の方と不動産金融について面談(ヒアリング)したとき、ドイツ語ができるならドイツ語でやらないかと言われて、そうしました。英語では、ニュアンスが通じないが、ドイツ語ならばましだというのです。法律が英米法と大陸法で大きく違うということもあったのでしょうが、その場で話題にのぼったのは、「パブリック」の概念が違うということでした。
 もっとも、時間の経過に従って、良かれ悪しかれ感情移入が生じる可能性がありますから、論文にする際には、客観的で科学的な視角に常に立ち返る努力をしなければなりません。


.比較をする国の数や選択の仕方
 外国の金融制度を取り上げる際には、たくさんの国を一度に比較しようとするやり方と、一国に絞って研究するやり方があります。
 多数国の比較は、特定の機能・構造・現象に焦点を当てて、縦断的に研究するものです。「横串を刺す」ともいいます。同じ概念であっても国によって実施のされ方やニュアンスの違いが浮かび上がってきます。ただし、対照的な国を数多く選択すると皮相的な分析に終わるということにもなりかねません。類似性が大きな国に分析対象を絞ると、面白い研究になると言われています。
 二つの国(又は自国を前提に他の一国)について、特定の機能・構造・現象を比較研究する際にも、対照的な国を取り上げる場合と、類似性の高い国を取り上げる場合とが考えられます。
 わたしは、金融庁金融研究研修センターの「ディスカッション・ペーパー」(不定期発行の査読付論文シリーズ)で、ドイツ(預金保護・破綻処理の制度)、並びに、フランス及びオランダ(地域金融の制度)を分析しました。それは、アメリカと比べて日本と類似性が高いといわれるヨーロッパ諸国を、日本との比較を念頭において研究しようとしたものです。もっとも、日本と対比する以上、日本との違いも表現されています。


.制度分析のアプローチ
 今までの日本の外国研究は、金融に限らず一般的に、外国の制度を輸入するという観点からであったので、明治期の開国以降の日本の近代化の努力は、西洋文明の導入というところに現れていました。その際に、「どこどこ『では』このようであった」ということを解明しようとすることを「出羽の守(でわのかみ)アプローチ」とも言います。この方法で気をつけなければならないのは、全体がそうだというわけではないのに一部が万事と思ってしまう「つまみ食い」です。これは「みんなが持っているから自分も欲しい」という子供の主張にも似た状況でもあります。また、今後の外国制度分析は、国内制度の構築に役立てるという受身だけでなく、相手国の動向を正確に知ることにより、積極的な外交に役立てるというアプローチの仕方もあるのではないかと思われます。いずれにしても相手国を体系的に把握するという必要があると思われます。
 産業論的なアプローチもあります。市場構造や買手の集中度、市場での行動原理、市場での成果などのように、市場を中心に論じて、規制緩和による効果などを考察するときに使われる研究手法です。しかしながら実際には、単純な効率性という尺度にのみ依拠して政策を決定するというわけではありません。一見非効率だけれども、ある制度を使い続けているという場合があります。そこには一種の価値観が働くわけです。その価値観は、その国の文化的な背景から生じているわけです。
 しかし文化というのも、こと金融に関係するものの多くは、経済的背景とも密接な関係があるでしょう。先進諸国で重要な経済事象として、わたくしが特に注目しているのは、人口の高齢化です。人口の高齢化と経済の成熟化にともなう年金制度への不安が金融制度の展開に大いに影響をもたらすと考えられるからです。まだ高齢社会を迎えていないアメリカと異なり、ヨーロッパでは、高齢社会の構造が経済に及ぼす影響は想像以上のものがあると考えた方がよいでしょう。銀行の保険仲介も、主として投資信託を利用した直接金融への移行も、社会保険制度の一種である年金が外部化したものと考えることができます。私がフランスとオランダの金融制度の研究で高齢化まで扱ったのは、これを体系化する試みです。不良債権の処理というバブルの後遺症もいずれは終了するわけですが、そのとき浮かび上がってくるのは、高齢社会・成熟社会における金融サービスのあり方という問題であろうと考えます。

(文中意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)

参考文献
岩田 健治ほか[2003]『ユーロとEUの金融システム』日本経済評論社(特に岩田担当章)
岡沢 憲芙・宮本太郎編著[1997]『比較福祉国家論』法律分化社
高木 仁・黒田晁生・渡辺良夫[1999]『金融システムの国際比較分析』明治大学社会科学研究所叢書
山村 延郎[2002]『ドイツにおける預金保護・危機対応の制度』金融庁金融研究研修センター(ディスカッション・ペーパー・シリーズVol.4)
山村 延郎[2003]『フランス・オランダの地域金融システム』金融庁金融研究研修センター(ディスカッション・ペーパー・シリーズVol.12)(特に9ページ以降)


 金融研究研修センターは、平成13年7月、金融庁における「研究と研修の効果的な連携」を目的として発足し、金融理論・金融技術等に関する研究を通じて専門的な知識を蓄積しつつ、それを活かした研修等により不断に職員のレベルアップを図っていくための活動を行っています。センターの概要や活動内容等については、ホームページ(http://www.fsa.go.jp/frtc/index.html)をご覧ください。

【集中連載】
 
市場機能を中核とする金融システムに向けて(金融審議会金融分科会第一部会報告)(第3回:「市場監視機能・体制の強化」「投資サービスにおける投資家保護のあり方」)

 平成15年12月24日に取りまとめられた金融審議会第一部会報告「市場機能を中核とする金融システムに向けて」について、先々月には「市場間競争の制度的枠組み」「ディスクロージャー制度の整備」、先月は「市場監視機能・体制の強化」「投資サービスにおける投資家保護のあり方」について紹介しましたが、最終回の今回は「投資教育のあり方」「銀行・証券の連携強化」について紹介します。
 「投資教育のあり方」については、市場機能を中核とする金融システムへの再構築に向け、国民の意識変革を促すための投資教育を政策として遂行します。このため、すでに行政、各証券団体、証券会社、NPOなどによって開発・蓄積されている有効な教材や教育方法など、資源やノウハウを集約し、その上で、関係団体と行政が連携して、学校から社会人に至る投資教育のスタンダードモデルを作成し、資源やノウハウを共有しつつ有効に提供していく体制を確立することとします。
 「銀行・証券の連携強化」については、多くの中小企業が市場から資金調達し、そこへ多くの国民が投資する状況を実現するためには、中小企業の実情を最も熟知し、国民にとって最もなじみのある窓口である銀行が、証券会社と連携して取り組むことが有効です。このため、銀行による、貸出先企業への公開に向けたアドバイスや、公開可能企業の引受証券会社への紹介(市場誘導業務)は証券取引法第65条に抵触しないことを明確化するとともに、弊害防止措置を講じつつ、銀行窓口での証券取引の勧誘や証券会社への取次(証券仲介業務)を解禁することとします。
 以下において、両項目につき詳細を紹介します。
 
投資教育のあり方

  .基本認識
 日本では長きにわたり貯蓄促進が重要な政策目標でありました。経済全体として資本不足の時代には、政策的優先度に応じて産業に資金を供給することが金融システムの課題であり、そこで資金仲介の大宗を担ったのは銀行であります。資本が十分に蓄積された現在、ライフステージに応じ可能な限り有利に運用したいという個人の希望に応えるためには、魅力ある多様な運用対象を、的確な情報とともに、これに投資する知識を備えた個人に提供する必要があります。また、今後、何が21世紀の日本のリーディング産業になるのか不透明な状況下で、リスクマネーの効率的かつ積極的な供給を促し、日本企業の発展を金融面から支えていかねばなりません。銀行のリスク負担能力が限界に達しつつあるなかで、強靭で高度なリスクシェアリング能力を持った市場中心の金融システムに再構築していくことが日本経済の発展にとって不可欠であり、そのためには、資金を供給する個人の意識変革を政策として遂行していく必要があります。
 世論調査では、株式投資を行わない主な理由として知識がないことがあげられる一方、学校教育において金融や証券に関する基本的知識を提供することが必要との意見が多くあります。現実としての知識のなさは、日本国民にリスク回避傾向が強いことを意味するものではなく、リスクテイクの対象を政策として明らかにしていく必要性を示しているし、中長期的に学校教育に注力することにより自ずから国民性が形成される例は、歴史において枚挙にいとまがありません。
 また、依然として頻発する投資に係るトラブルは、投資そのものへの意欲を萎えさせかねず、ありがちなトラブルに関する基本的知識は、トラブルそのものを防止する上でも有効であります。
 もとより投資教育が、業界の利益や国の都合に応じて行われてはならないことは当然です。公的年金の役割が見直されるなか、確定拠出年金の普及・拡大など、個人は生活設計において否応なく多様な資産運用と向き合わざるを得なくなっています。このような環境に置かれた個人を応援しつつ、併せて貯蓄から投資への流れを加速することが、効率的で安定した金融システムや実体経済の実現に寄与することが理解されるべきであります。
 

.改革の方向性

 投資教育の有効な教材や教育方法などは、既に行政、各証券団体、証券会社、NPOなどによって相当程度に開発・蓄積されていますが、各々がばらばらに活動するだけではなく、資源やノウハウの集約と共有を図る必要があります。
 このため、関係団体と行政が連携して、学校から社会人に至る投資教育のスタンダードモデルを作成し、優れた教材や教育方法を共有しつつ有効に提供していく体制を工夫すべきであります。
 例えば、学校教育においては、カリキュラムにおいて小・中・高・大の各段階における投資知識の到達目標を設定するとともに、教える側の理解度やノウハウも向上させるといった方向が考えられます。社会人教育においても、世代や知識の水準に応じたセミナーの開催などきめ細かな対応が求められます。関係団体、行政(金融庁のみならず文部科学省、厚生労働省などの関係省庁)、及び金融広報中央委員会が適切に役割分担し、有効な遂行体制を構築していくべきであります。
 
銀行・証券の連携強化

  .基本認識
 市場機能を中核とする金融システムに再構築していくためには、金融業のビジネスモデルを変革していく必要があります。銀行(以下預金取扱い金融機関という意味で用いる)が、貸出を組成するのは当然ですが、いったん取った信用リスクを、そのリスクに見合ったリターンを確保しないまま、いつまでもバランスシートに抱えている事態が不良債権問題の深刻化に繋がっており、貸出に際して条件の適正化を図る一方、リスクを機関投資家など他の主体に移転していくことが望ましいと考えます。実体経済のリスクが銀行に集中してしまっている現状から脱却するためには、貸出先との長期的関係に拘泥することなく、貸出の組成機能、その証券化機能、証券化商品に伴う事務処理機能といった分化を促し、市場の価格形成やリスク配分のメカニズムを活用していくべきであります。
 一方、ビッグバン改革を経て証券会社のビジネスモデルも多様化しましたが、未だ、多くの個人が証券投資し、また、多くの中小企業が市場から資金調達するような状況にはなっていません。これまで、銀行、証券会社、保険会社(さらには郵便局)といった業態と、その利用者との関係がある程度固定的だったとすれば、むしろ市場中心のマネーフロー構造に変革し、金融システムにとっての望ましい資金・リスク配分を可能にする観点から、業態と利用者との関係を流動化させるべきではないかと考えられます。証券会社のビジネスとして、富裕層と優良企業を対象に堅実に経営するモデルや、デイトレーダーの欲求に正面から対応していくモデルは当然あって然るべきですが、多くの個人及び中小企業が市場参加するためには、個人にとって最もなじみのある窓口であり、中小企業の業務や財務、経営者や社員の能力・意欲を最も熟知している銀行が、証券会社まで誘導することが望ましいと考えます。
 

.現行制度の今日的意味

 戦後、米国のグラス・スティーガル法にならって証券取引法第65条を導入した時代、及び65条の枠組みを前提に銀行の証券業務を子会社方式により導入した時代に比べると、金融システムをめぐる環境は大きく変化しました。例えば、銀行経営に対するセーフティネットは格段に整備され、システミックリスクを回避できる体制となっています。また既述のとおり、業態の如何を問わず、市場機能を活用することが、金融ビジネスとして必須の課題になっています。
 一方、依然として金融システムにおける資金仲介の大宗を担っているのは銀行であり、65条の根拠となった利益相反や銀行の優越的地位の濫用の可能性は、今なお重要な論点であります。また、金融分野における個人情報保護の必要性はますます高まっています。米国でも、銀行の証券業務は子会社方式により普及し、子会社業務の自由化がグラム・リーチ・ブライリー法により完了しましたが、銀行本体で広範囲に証券業務を行うことに対しては、依然として慎重な姿勢がとられています。
 以上に加え、銀行がその規模を問わず、不良債権問題を解決して国民の信頼を回復していくことが先決となっている現在、業務範囲の根幹に関わるような見直しを行う時期にはないのではないかと考えられます。
 一方、日本では、ほとんどの地域銀行や信用金庫などは証券子会社を有していないという事情も考慮する必要があります。
 

.証券仲介業

 銀行を除く形で導入し、未だ施行に至っていない証券仲介業の範囲を現段階で見直して銀行を加えることは、政策として拙速にすぎるとの指摘があります。また、これまで銀行が行えないことを前提に証券仲介業に参入するプランを立ててきた者にとって、前提条件の変更になってしまうことも事実です。
 一方、銀行による証券仲介業の導入は、
   
  (1)  顧客にとって、ワンストップ・ショッピングのニーズに応え、利便性が高まる。
  (2)  投資経験のない銀行顧客層の市場参加を促し、新たな裾野の拡大が期待できる(銀行による株式投資信託の販売は、総残高の約半分に到達)。
  (3)  様々な規模の銀行と証券会社による、様々なタイプの連携は、それ自体顧客の利便性を高めるが、とりわけ証券会社の店舗が少ない地域におけるアクセスの改善になる。
  といったメリットがあります。併せて、銀行が貸出先中小企業に対し市場調達や株式公開に向けたアドバイスを行うとか、公開可能な貸出先企業を引受証券会社に紹介するといった市場誘導業務(これまでフィービジネスとしては65条に抵触すると観念されてきた業務。誘導する市場は、企業の成長段階に応じて、グリーンシート、新興市場、取引所二部・一部となる。)を行うことにより、銀行と証券会社が連携して、市場機能を中核とする金融システムに向けた大きな流れを造りだせるのではないかと考えられます。換言すれば、一般事業会社にできることを、銀行にだけ制度的にできないままにしておくことは、もはや国民に対して説明できない段階にきていると考えられます。
 
終わりに

   以上、3ヶ月にわたり紹介してきた金融審議会の報告内容については、金融審議会から必要に応じた措置を取るように提言をされたところであります。
 この提言を踏まえ、報告書の中で法律改正が必要な部分については、金融庁において直ちに法改正作業に入り、報告書の趣旨を踏まえて「証券取引法等の一部を改正する法律案」として法案を作成し、本年3月5日に閣議決定された後に国会に提出されました(法案その他関連資料については、金融庁ホームページの「国会提出法案」から、「第159回における金融庁関連法案」の中の「証券取引法等の一部を改正する法律案」を参照してください。)。
 終わりに、証券市場における法律整備は毎年のように行われていますが、制度を改革しただけでは、改革の意図が必ずしも実現されないのは、ビッグバンの経験が教えるとおりです。国民の市場への信頼を確立するために、市場関係者の意識と行動の刷新は不可欠ですし、行政もまた、自らの業務が国民に対して持つ意味を不断に検証しなければなりません。また、市場をめぐる制度課題はほとんど際限なく登場してきます。今後とも金融審議会におかれては、不公正取引規制や新たな投資サービスへの対応など、中期的課題も含め検討を続けていかれるものと考えております。
  (文中意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)

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