【特別企画】
 
金子晃 公認会計士・監査審査会会長インタビュー

 昨年5月の公認会計士法により、従来の公認会計士審査会の機能・体制を充実・強化することとされ、これを受けて、平成16年4月1日に公認会計士・監査審査会が発足いたしました。
 そこでアクセスFSAでは、公認会計士・監査審査会の金子会長に対するインタビューを行い、公認会計士・監査審査会の業務の内容や企業の財務情報の信頼性の確保に向けた役割、そして今後の展望など幅広いお話を伺いましたので、その概要を以下のとおりお届けいたします。
(注 )インタビューは平成16年5月13日に実施しました。
 昨年5月の公認会計士法改正について、詳しくはアクセスFSA第11号の公認会計士法改正特集にアクセスしてください。

――公認会計士・監査審査会が本年4月に発足し、約1カ月余り過ぎましたけれども、改めて審査会の業務内容についてお教えください。金子晃 公認会計士・監査審査会会長 慶應義塾大学法学部教授、会計検査院長などを歴任し、平成16年4月から現職。
 「最初に、公認会計士・監査審査会の役割についてご説明をし、その後に具体的な業務内容、そして最後に性格についてお話をしたいと思います。
 まず、役割ですけれども、現在、企業或いは経済に関わる組織の財務情報の公正性、信頼性が社会的に非常に強く求められていると思います。そしてまた、この公正性、信頼性に疑いを抱くような事態も世界的に発生しています。こうした状況を前提にして、今回、公認会計士法の改正がなされたと認識しております。したがって、この公認会計士・監査審査会の役割は、公認会計士監査の公正性、信頼性を高め、その結果として、企業の財務情報の信頼性ひいては日本経済の信頼性を高めていくことと考えています。
 次に、今申し上げた役割を果たすために我々に具体的にどういう仕事が与えられたかと言いますと、日本公認会計士協会が行っております監査の質を管理するレビュー、通常「品質管理レビュー」という言葉で言われているわけですけれども、それを我々がモニタリングするという仕事が新たに与えられました。またこのモニタリングの実効性を確保するために、日本公認会計士協会、監査事務所及び被監査会社等に立入検査をする権限が我々に付与されました。
 こうした仕事の他に、我々の前身の公認会計士審査会が行っておりました、公認会計士試験の実施も業務の一つになっております。それから、これも我々の前身の公認会計士審査会が行っておりました、公認会計士等の不適切な行為に対する懲戒処分等の調査審議を行うことも我々の仕事の一つとなっております。
 最後に、我々公認会計士・監査審査会の性格ですが、公認会計士法で定められている規定等を総合的に評価しますと、我々の組織は、公認会計士及び監査法人を「取り締まる」ということではなく、モニタリングを通じて公認会計士の監査の信頼性及び公正性を確保する「支援活動を行う」ものです。そういう意味では国の機関が行う公共サービスの一つとして、公認会計士及び監査法人の監査業務の後方支援をしていくという性格の組織であると理解しております。
 よくこういった組織ができますと、「取り締まってくれるのだろう」とか「個別案件について、対応してくれるのだろう」と過剰な期待がされるわけですけれども、むしろ我々はそういう個別案件に対する対応というよりは、もっとマクロ的な形で根本的な所に関与して、品質管理レビューの基盤を適正化することを通じて、監査業務の本来のあり方を確立していく性格の組織であると思っております。」

――今、主要な業務の一つとして「品質管理レビュー」のモニタリングというお話がございましたが、中々一般の方には馴染みの薄い言葉だと思います。具体的にどのように行うのか、また、その目的・意義についてお話ください。
 「業界用語で「品質管理レビュー」という言葉が使われていて、一般にはなかなかイメージが湧き難いのではないかという気がします。それは公認会計士が提供しているものは、「商品」ではなくて「サービス」であるわけですが、そこで「品質」と「レビュー」という聞きなれない言葉を使うために理解が難くなっているのではないかと思うのです。更に「モニタリング」という言葉が使われますので一層分かり難くしていると思います。公認会計士或いは監査法人が提供しているのは監査サービスですが、その「質」を高めることが目的です。そのために、業界が行っているのが「品質管理レビュー」です。日本公認会計士協会は、品質管理レビューにより、監査法人等の行っている監査の「質」が十分に確保されていないということを把握すれば、指導或いは教育を行って、「質」を高める努力をしています。これは、あくまでも日本公認会計士協会が行っている自主規制です。
 この日本公認会計士協会によるレビューは、平成11年4月から導入されておりまして、既に5年間実施をされており、実績をあげてきています。そして品質管理レビューでは、監査法人及び会計事務所がどのように監査の質の管理をしているのか、という点と、個々の監査業務の中で監査の質の管理がどのようになされているのか、という二つの側面からレビューをしています。
 今回の公認会計士法の改正によって、こうした業界の自主規制を法律の中に取り込んで、それを我々が「モニタリング」して行くことになりました。
 この「モニタリング」という言葉も分かり難いのですが、具体的に何をするのかと言いますと、日本公認会計士協会が行っているレビューを、まず我々公認会計士・監査審査会に報告をしてもらいます。我々は、必要に応じてそのレビューに関する資料を要求します。色々な資料を我々は確保して、そのレビューを分析・調査します。更に分析・調査した結果、実際に監査事務所に行って話を聞いた方がいいと判断をした場合には、そこに行って実際に資料を見せてもらったり、話を聞いたりします。その結果、我々の方で「こういう点を改善してもらいたい」ということが出てきます。それらの場合一方では、協会に対して改善を要請します。他方でそれでは十分に実効性を挙げることができないという場合には、行政上の措置を金融庁長官に勧告をします。以上が「モニタリング」の内容です。」

――日本公認会計士協会の行うレビューは、審査会に対して定期的に報告がなされるのですか。
 「日本公認会計士協会からは、毎年、全体として今年度はどういう計画でどの範囲で実施していくかを報告してもらいます。更に、月1回、レビューの報告をしてもらうということになっています。
 したがって、協会が今回のレビューでどれだけの監査法人或いは公認会計士事務所のレビューを行うのか、そしてレビューが終わった部分についても報告がなされることになります。初年度である今年は、5月末くらいに第1回目の報告がくることになっておりまして、その後は毎月報告がなされてきます。」

――これまで協会は実施したレビューをまとめた形で公表してこなかったのでしょうか。
 「過去5年間では、毎年品質管理レビューの実施結果は、概要として協会の機関紙等に活動報告等という形で掲載する等して公表されています。しかし、自主規制という性格もあると思いますが、報告書そのものや個々の具体的内容については公表されておりません。」

――発足時の記者会見で会長が「社会の変化のニーズと、現在の公認会計士の制度や業務の実態との間に生じる乖離によって、監査をめぐる諸問題が発生しているが、公認会計士・監査審査会が業務を進めていくことによってその溝を埋めていくことが理想の形」という旨のご発言をされておりますが、改めて詳しくお聞かせください。
 「私は平成9年から14年の4月まで5年間会計検査院におりまして、国の機関の予算執行・業務執行を会計検査という観点から見てまいりました。その社会の変化と国の制度或いはこれは法律制度も含めまして、齟齬と言いますか乖離と言いますか、そういうものを色々見てまいりました。そして会計検査院におりましたときに21世紀を迎えました。その時に21世紀に相応しい国の制度ないしは社会のシステムを作っていかないと、この乖離はますます大きくなり様々な社会問題を引き起こしてくる事になるだろうと思いました。そこで国の事業について会計検査によりチェックをすることにより、国の制度の改善をしていこうと努力しました。
 今回、公認会計士・監査審査会の会長に任命され、公認会計士制度についても、公認会計士の現実の仕事、それから公認会計士に対する企業及び社会の要請、それに公認会計士監査制度或いは公認会計士法が適切に対応していたのかどうかという問題意識を持ちました。
 具体的に言います。公認会計士の行っている監査業務があります。他方、企業のあり方としてもう少しこうした方がいいのではないかとか、こういうような形の経営をすればより社会的に貢献するとか、或いはこうすれば更に利益をあげることができるというような企業に対するコンサルティング業務があります。
 ところが、監査業務とコンサルティング業務等の非監査業務を同一の企業に対して同時提供すると、コンサルティング業務の方が監査業務に比べて利益率が大きい場合もあることや、企業の強い要望等によってコンサルティング業務の方にウエイトが移っていく可能性があり、そのために監査業務の方で妥協するといったことになりかねません。企業の色々な要請に応じてしまうといった形で、監査業務の公正性、独立性、信頼性の方が揺らぐという事態が出てきました。それから、同一の公認会計士が長年同一企業の監査業務を担当していますと、しだいに緊張関係が失われ信頼性、独立性、公正性が揺らいでくる事態が現実に起こってきています。要するに社会のニーズに公認会計士の方々が適切に応えていくためには、何らかの制度的な対応がないと問題が起きてくる。実際に起きているわけです。要するに社会の変化と制度のミスマッチが生じてきました。
 これに対応するために、今回公認会計士法の改正がなされたと思うのです。その一環として、公認会計士・監査審査会も作られ、監査の信頼性、独立性、公正性の確保が我々の役割として与えられました。同時に公認会計士法に定められた色々な公認会計士に対する制度がきちっと機能しているのかどうか、実現されているかどうか、ということをモニタリングを通じて我々が確認していくというのも、我々の仕事だと思います。
 それから先程申し上げました、公認会計士試験の問題。今監査業務について非常に社会的な関心が強いし、また需要も強い。それに応えられる公認会計士を今の試験制度が提供しているかと言うと、ここにも問題があります。大学を出て公認会計士になるためにだけ勉強をして試験に合格する。そして監査法人で一定のトレーニングを受けて最終試験をパスして一人前の公認会計士になる。本当にこれらの人達が、社会のニーズに適う形で活動できるのか、と言うとやはり種々ご意見があるところです。その辺が試験制度の改革につながってきたわけです。今回の改正で公認会計士法は制度面では改善されましたが、社会のニーズ或いは変化によって実際に生じてしまった溝は依然として存在しているわけで、公認会計士法の改正を実効性有らしめるために、我々がきちっと仕事をすることにより、溝を埋めることが出来ると考えたのです。」

――財務情報の信頼性に関しては、一義的には個々の企業や公認会計士のところでしっかりとやっていただき、それを協会でしっかりレビューをして、自主規制機関として役割を果たしていく。その中で、会長が冒頭に仰いましたけれど、審査会はそういった活動をある意味支援すると、モニタリングを通じて支援を行いつつ公共的な役割を果たしていくと、そういう理解でよろしいのですか。
 「会計検査院の院長時代のことですが、会計検査院は国の会計について検査をします。ここでも立入検査という言葉が出てきます。そこで不適切な事態、違法な事態を摘発するのが会計検査院の任務だということを散々言われました。
 しかし、本当にそうなのかと疑問があり、各国の検査院の院長と色々話をしました。そこで次のことを知りました。現在の社会における国の役割というのが変わってきている。国の役割は、国民に対して公共サービスを提供することである。公共サービスのコストをいかに引き下げるかまた、質をいかに高めるかということが緊急の課題である。
 規制緩和の問題もその一環として捉えられる。規制緩和をして民間に任せた方がサービスの質が良く、コストが安くなればそちらの方に移していくことになるわけです。
 このように考えてみると、基本的には国の機関が行っていることは、公共サービスの提供である。従って、我々のモニタリングも監査業務の質と信頼性を高めるために我々が支援をしていくということが基礎にある。その基礎の上で制度を変えなければならない場合は制度を変えるし、協会に対して改善をしてもらわなければならないところは、行政上の処分できちっと改善してもらう。基本は、国民及び企業に対する支援という視点を持っていなければいけないということで、あらゆる機会を通じてこのことを言っています。」


――会計検査院長当時のご経験を踏まえて、公認会計士・監査審査会の業務で何か活かしていかれたいことがございますか。

 「具体的にどこをどうという事ではないのですが、民間から国の機関に入りまして、そしてトップの方で5年間色々経験をさせていただきました。行政というものはどういうものであるかとか、国の機関というのはどういうふうに動くのかとか、民間あるいは大学では出来ない様々な経験をさせてもらいました。そういう経験を、我々の業務が本当に本来の目的、制度の趣旨を実現していくように活用していきたいと思っております。」

――財務情報の信頼性ですとか監査制度の信任の向上、これは国際的に見ても非常に重要な課題となっております。この点につきまして、この審査会の役割はどのようなものだとお考えでしょうか。また関連して、各国の監督機関との連携といったようなことはご検討されているのでしょうか。
 「ご承知のように企業は国境を超えて国際的に事業活動を展開しています。また、一国の制度も各国と非常に密接な関連性を持っています。一国だけでどうのこうのという時代ではなくなってきています。そういう点で考えますと、企業の財務情報の公正性、信頼性、中立性は、世界的に要請されている事柄であって、これは世界的な規模で達成していかなければいけない問題と思います。世界的なレベルでこの問題を考えると同時に、それぞれ各国の、我々と類似した制度・機関との連携を取りながら、国際的な規模で監査の信頼性、ひいては企業の財務情報の信頼性の確保に努めていかなければなりません。そういう意味では、各国の組織の長と、どういう認識を持っているのか、それぞれの国でどういう問題が生じているのか、どういう対処の仕方をしているのかについて、忌憚のない意見交換をし、お互いに協力し合ってやっていきたいと思います。できれば一国の制度を他国に押し付けるという形ではなくて、お互いに協力して監査の信頼性及び公正性の確保を実現していきたいと考えています。
 例えば、我々のモニタリングというやり方は「生ぬるいよ」という言い方を、多分直接に監査法人等を規制するところからすれば言うと思います。しかし、日本という一つの場を考えた場合には、これは実効性の確保としては強制よりもはるかに強い形で機能するということも言えると思うのです。
 ですから、そういうことをお互いに意見交換することによって相互理解を深めていく。そしてそれぞれの機関が本来の機能をきちっと果たしていければ、その結果はマーケットに表れてくるわけです。証券市場であるとか、或いは資金調達市場であるとか。そういうところでは明確に反応すると思うのですね。お互いに努力及び協力して、市場の評価を受けるということで良いのではないかと思っております。」

――次に、試験制度についてお伺いしたいと思いますが、平成18年の1月から大幅に制度が変わるということでございます。実際に試験を実施する審査会としてのお考えをお伺いします。
 「先程触れましたが、現在の試験制度が社会の実態に合わなくなってきていると言って良いと思います。これだけ監査に対するニーズが社会的に大きくなっていて、なおかつ財務情報の信頼性、公正性の確保ということが大きな課題になってきています。これは公認会計士となって監査業務に当たるだけではなく、企業の中に公認会計士としての知識を持った人、試験に合格したけれども公認会計士としての登録をしない人達が、色々な分野に進出していて良いと思うのですね。また色々な分野の人達が、その必要性或いは社会的ニーズをキャッチして、この試験に挑戦してくる、色々な窓口から受験してくるということが社会のニーズに合致するのだろうと考えます。そういう意味で今回の試験制度の改正もなされたと思います。
 問題は、これを実施して、その効果を挙げることだと思うのです。折角改革したにもかかわらず、今までとほとんど変わらないということであったら意味がありません。我々は、新しい試験制度が本来の目的、趣旨に適った形で実施されていくこと、そして試験に合格した人達が社会の各方面に進出することを期待し、そういう成果が実現されるよう運営していきたいと思います。」

――最後になりますが、プロではない一般の個人投資家の方々にとっても財務情報の信頼性は非常に大きな話だと思います。それに関連して、何か会長からお話をいただけないでしょうか。
 「投資家とか、株主とか、そういう形でよく言われますが、今のように個人投資家が増えてきているというのは、個人株主が増えているということでもあるのです。また企業と取引をするという場合に、もちろん企業間取引があるわけですが、最終的に消費する、或いはサービスを使用するのは、国民・消費者であるわけです。そういう点から言いますと、やはり財務情報の信頼性、公正性の確保というのは、国民及び消費者という視点で見るべきと考えます。とかく業界用語で株主とか、投資家というように言われると、一般国民とは違う立場のプロの人達というイメージになるのですけれども、どうもそうではないのではないかというのが私の基本的な認識です。投資家とか株主というよりは、国民及び消費者という視点で見るべきだと思います。それから企業も実は社会的な存在で、我々生きた人間と同じように社会の中で社会生活を営んでいるわけですから、健全な財務に基づいて健全な企業行動をしてくれることを期待しているわけです。我々の仲間としての企業も、我々の一員として適正な行動をしてもらうためには信頼性と公正性を有する財務情報を社会に公開するのは不可欠だと思うのですね。
 一方で、監査という観点で考えると、監査はトータルに、ある組織の財務状況を判断する。これは容易でないことです。そうしますと、ある適切な方法を使ってそれを見るわけです。企業の持つ色々なリスクを測定して、どういう監査をしていくか。それによって企業をトータルとして評価できるという前提を立てるわけです。監査をする側から言うと、これに従ってやれば自分たちの責任は回避されることになります。
 ところが、実際には全部を見るわけではないのですから、どこか監査の手が伸びなかったところで不当な事態が発生していたとか、或いは非常に簡単に見過ごしてしまったところで大きな評価の間違いが出てきたということが起きる可能性があります。その時に、形式的にはマニュアル通りに監査をしたのだから自分には責任はないということが、一方でありうると思うのです。
 監査をする立場からのアプローチの仕方と先程の国民という視点から見た場合のアプローチというのは、もちろん一致しているところもありますが、ずれているところもあると思うのです。本来一致するのが一番望ましいのだと思います。
 我々は、やはり国民という視点に立って、監査をするサイドからの見方に対して別の光を当てて見ます。そうすると、そこにはやはり監査の手法や品質の管理方法を改善してもらうことによって、国民的視点から見たときの満足度というものが達成されるところがあると思います。同じ視点から見ているのでは、屋上屋を架すことになり、それでは不足分を補うということだけになってしまいます。それでは十分ではないと思います。その点で、我々は監査の当事者或いは被監査組織とは違った立場、国民という立場からモニタリングをして、違った光を当てることによって浮かび上がってくる問題を向こう側に投げかけて、改善してもらうということをしてみたいと思っています。」

――本日はどうもありがとうございました。



 公認会計士・監査審査会の業務や議事要旨、公認会計士試験の受験案内等については、公認会計士・監査審査会のホームページにアクセスしてください。

【金融フロンティア】
 

保険学を研究しておもうこと


金融庁総務企画局政策課
金融研究研修センター 特別研究員
宮 地 朋 果


.保険学の魅力
 現在、公私の役割分担ならびに経済政策的観点から、保険学およびリスク・マネジメントの領域を中心に研究しています。「保険学」は間口の広い学問で、法学、経済学、経営学、会計学、商学、統計学、社会学、工学、医学など様々な分野からのアプローチが可能であり、また各学問領域が相互に関連しあっています。この学際性が「保険学」の難しさであるとともに、一番の魅力ではないかと思います。また、「保険学」はひとつの確立した学問領域であると同時に、極めて実学的要素の大きなものでもあります。「保険学」の持つこのような性格に照らして、いやしくも研究者を志す者としての役割を考えることがあります。近年、保険業界や保険商品をとりまく変化の大きさや早さは著しく、刻々と変わりつつある状況を即時につかみ対応策を考えるという点においては、実務に携わる方々に優位性があると思われます。それでは、学問の世界に身を置く者の役割なり存在理由とは何であるかと時に自問し考えるのは、眼前の利益やしがらみにとらわれることなく、複眼的かつ長期的にあるべき方向性を検討できるという立場にあるということです。ただし、研究者としての幅広い知識に裏付けされた深い洞察力があってこその話であり、その点に関しては自責の念に駆られます。


.金融研究センターの日々

 2003年9月から2004年5月現在まで、金融研究研修センターで特別研究員として活動していますが、目下、筆者がセンター内で取り組んでいるのは、保険関連業務に新たに携わる金融庁職員のための研修資料の作成です。大学卒業後、院に進み、大学の外の世界にあまり触れることがない毎日でしたので、第一線で働く方々を間近で見る機会に恵まれることは新鮮な喜びであり、また、研修資料作成の作業を進めるなかで、一般消費者の関心のあり方と監督庁における関心のあり方、学会におけるそれとの違いにも触れ、新たな視点に立った考察をするヒントを得ているようにも思います。


.研究内容の紹介

 つづいて、今まで取り組んできた研究内容についてお話したいと思います。筆者は遺伝子検査と生命保険業をめぐる諸問題について検討してきましたが、「保険会社等による遺伝子検査結果の利用は是か非か」というテーマは、極めてセンシティブで新しい課題であり、学際的な性格を持っています。わが国では、研究がまだ十分には進んでいない分野であり、なかでも保険学という学問領域からの考察はあまり多くありません。しかし、遺伝子検査と生命保険業をめぐる問題は、決して新奇なものではなく、民間生命保険業の役割とは何か、またその限界とは何かという、保険学における伝統的かつ本質的な問題に帰着するのであり、その意味からも重要な研究対象となり得ると思われます。また、遺伝子検査と生命保険業をめぐる問題は、日本において欧米ほどは議論されてきませんでしたが、近年、日本保険学会の大会シンポジウムやマス・メディアにおいて取り上げられるなど、人びとの関心が高まってきていると言えます。
 このような問題意識の下で、ヒトゲノム解読など分子生物学、医学等における研究および技術の発展により、生命保険業の危険選択にどのような影響が生じることが予想されるかを考察し、また、昨今の遺伝子検査結果の扱いを中心として、諸外国の生命保険業の危険選択においていかなる動向がみられるかについても検討しています。更に、この問題の延長線上にある公私の役割分担のあり方についても考察をはじめたところです。次節以降で、研究内容の概略をご紹介したいと思います。


.生命保険業における危険選択

 生命保険業における危険選択は、個々の申込者や被保険者について、健康状況などに基づき、そのリスクが引受可能か否かを判断するものです。近代生命保険業が18世紀にイギリスで誕生して以来、危険選択は逆選択の防止を目的として実施されており、19世紀以降、医師による診査が導入されました。保険業における逆選択は、「一般に保険の仕組では危険度の高い者ほど受益の機会が多く、同じ条件で契約ができれば利益が大きいので、意識的あるいは無意識的に保険加入が高いi」という傾向がみられることを指します。
 日本では現在、医的選択は健康状態の告知を中心に行われ、大きく「医師扱い」、「面接士扱い」、「告知書扱い」の3種類に分類されています。また、契約者と被保険者は、保険契約の際に正しく告知することが義務付けられています。
 生命保険業における危険選択は、保険制度が適正に機能するように、保険契約者間の公平性を図る重要な役割を担っていますが、リスクをどこまで細分化することが効率的であるかや、保険数理的には合理的な区別であっても、社会通念上ならびに人道上の問題が発生することがあるなど、そのあり方をめぐっては多くの議論が生じています。危険選択における区別は、保険数理的な基礎に加えて、人々の価値観や社会環境の変化、慣習、文化、国民性など、様々な要因によって、決定されるものであると言えます。また、あまりにも厳格な審査基準や手続きを求めることは、費用対効果および他社との競争の面からもマイナスと考えられます。


.遺伝子検査と生命保険業をめぐる現況

 費用・精度両面の制約のために、遺伝子検査は現在、臨床医学における一般的な検査ではありません。遺伝子検査により、信頼性に足る診断を行うことが可能な疾患の多くは、日本では罹患率の低い単一遺伝子病であるため、遺伝子検査の利用可否が保険計理に与える影響も現時点では大きくありません。また保険・共済などの加入申込に際して、遺伝子検査を受けることを強制する動きは、今のところ全世界的にありません。したがって問題となるのは、保険会社等が、既に受診された検査結果を知る権利を持つか否かということです。
 遺伝子検査をめぐり、保険会社と消費者はそれぞれ多くの懸念(表1)を抱えているとされますが、それらは大きく2つに分類できます。すなわち、保険加入、雇用、婚姻といった様々な場面で表面化するおそれのある遺伝子差別(genetic discrimination)の問題と、保険経営・保険数理に関する問題です。後者でまず挙げられるのが、逆選択の影響です。

表1 保険会社と消費者の懸念事項



・逆選択(adverse selection)
・他社との競争
・不必要な差別の回避
・世論への対応
・法制化の回避


・プライバシー
・情報の秘匿性、データ悪用に関する懸念
・雇用・婚姻・保険における遺伝子差別(genetic discrimination)
・差別を恐れ、遺伝子検査を受けないために、予防・治療の機会を失うこと
・低リスクとわかった場合には、保険を安く入手することを希望
出所: Ernst-Perer Fischer and Kerstin Berberich (1999) Impact of Modern Genetics on Life Insurance,Publications of the Cologne Re,p.85.に加筆。

 遺伝子検査により、発病リスクが高いことを知った人には、新たな保険への加入や高額な保険金額へのインセンティブが働きます。法律の規制などにより情報の非対称性が顕著な場合、適正な危険選択ができず、高リスク者が低料率に位置づけられるおそれがあります。その影響が極端な場合には、保険金請求の増加や料率の引上げにより、保険市場から多くの低リスク者が流出し、制度が十分に機能しなくなることも考えられます。
 このようなリスクに対しては、(1)新契約時に適切な危険選択を行い、逆選択などの可能性が高い契約を排除する、(2)がん保険、医療保険、就業不能保険、介護保険等に対して、生保会社などが設けている待ち期間(waiting period)のような仕組みを採り入れるなどの対応が挙げられます。
 ただし現在、遺伝子検査は臨床医学における一般的な検査ではないため、遺伝子検査をめぐる逆選択の存在を示すデータはほとんどありません。また、低リスク者が保険加入を控えたり、解約するという根拠もありません。そのため、逆選択の問題は、保険経営・保険数理といった実務的観点から考察するのではなく、高リスク者と低リスク者の間の公平性を問う理論的なものになっています。


.遺伝子検査は特殊であるか

 遺伝子検査(genetic testing)には一般的な定義がなく、狭義では、「直接的なDNAテスト」を指します。広義に解釈すれば、身長、体重、コレステロール値、血糖値、血圧など医的選択における伝統的な検査項目や、家族歴・既往症の聴聞まで含まれます。米国の国立ヒトゲノム研究所が1993年に発行した報告書によると、「原則としての遺伝性疾患・非遺伝性疾患、遺伝情報・非遺伝情報との区別はますます困難になる」といいます。
 昨今、主に生命倫理の観点から、遺伝子検査結果を危険選択に用いることに反対する動きが出ていますが、ここでの「遺伝子検査」が何を指すのかに注意しなくてはならないと思われます。なぜなら、遺伝子検査の定義が広義でとらえられる場合、遺伝子検査結果の利用禁止は、保険会社等が伝統的に行ってきた医的選択の遂行に制限を加えるものになるからです。実際、欧米では現在、日本と異なり医的選択において家族歴が一般的な質問項目となっていますが、近年その利用を疑問視する動きが顕著になってきています。
 このように遺伝子検査の定義を広義のものと考えることは、遺伝子検査と生命保険業をめぐる問題を遺伝子検査のみならず家族歴などの扱いをも含む広範な議論へと拡張します。したがって、遺伝子検査と生命保険業の問題を考える際には、遺伝子検査および遺伝情報が他の医的検査や情報と比して特殊であるか否かを問うことが重要となってくると言えます。
 遺伝子検査が真に特殊であるとみなされるならば、生保会社等が遺伝子検査結果を危険選択に利用することには、大きな制約が課されるべきでしょう。しかし、遺伝子検査ならびに遺伝情報の特殊性については、医師など専門家の間でも意見が分かれるところとなっています。
 一般的に遺伝子検査・遺伝情報が特殊とされる理由は、その影響が本人だけではなく広く血縁者に及ぶということです。これにより自己決定権を侵害される恐れや、優生思想が助長される危険性が指摘されています。また、遺伝情報は一生変わらない固定情報であるということも重要です。そのため、雇用・婚姻・保険加入などの様々な場面で、一生にわたる差別を受けるおそれがあります。更に、現在は症状としてあらわれていないリスクの把握も可能であり、特に予防法・治療法のない疾患の高リスク者は、多大なストレスや不安を抱えて、後の人生を過ごすことになるかもしれません。
 遺伝子検査結果を危険選択に利用することに反対する意見は、主に以下の3つが考えられます。
 
 (1)  遺伝子検査が及ぼす影響の深刻さ、範囲、期間等から、その情報保護の必要性が高い。
 (2)  従来、生命保険業は遺伝子検査を危険選択に利用せずに運営されてきたし、料率算定に用いる数理的基礎にも、既に遺伝性疾患は反映されている。
 (3)  遺伝子は自ら選択できない。また、たとえ「健常者」であっても、誰しも皆、異常遺伝子を隠し持っている。
 一方、遺伝子検査結果を危険選択に利用することに賛成する意見としては、以下の2つが挙げられます。
 
 (1)  遺伝子検査によって明らかになる情報は、家族歴や他の医的検査結果によっても、いくらかは予測可能である。また、すべての医的検査はある程度、遺伝学的影響を検出できるii
 (2)  自ら選択できないのは、遺伝的素因に基づいた疾患に限らず、先天的心臓疾患なども同様であるため、それらの患者との公平性という観点からみて、遺伝子検査のみを特殊と考える根拠は無い。
 日本では現在、生命保険業の危険選択における遺伝子検査結果の利用に対して、反対の声が圧倒的であるように思われます。カウンセリング体制や経済的な救済制度の不足、プライバシーや差別など問題が山積しているため、社会的な合意や理解が得られないからです。保険会社等にとっても、費用対効果からみて遺伝子検査を危険選択に導入することは、少なくとも現時点においては望ましくないと考えられます。
 また、保険会社等の保険数理・保険経営における判断と一般消費者との認識の間に乖離が生じる可能性についても考える必要があると思われます。以下に、その背景となる要因を挙げていきます。
 
 (1)  保険におけるリスク分類は、いかに細分化しようとも、あくまでも確率に基礎をおくものであり、ある個人に対する正確かつ詳細な予測は不可能である。それゆえ、保険制度は、おのずと限界や不合理性を含有する。
 (2)  リスクを細分化しても、保険料の負担には内部補助iiiの形態をとる、ある程度の不公平が存在する。不公平はどこまで許容されるか。個人の利害と集団の利害の調整をいかにするべきかという問題が生じてくる。
 (3)  リスク分類については、その根拠や合理性が問われる。統計的に明らかな差異が認められたとしても、それが社会から容認されるか否かは別の問題である。つまり、企業の営利性や経済的合理性と倫理との相克関係がみられる。
 (4)  保険会社は、保険申込者から多くの情報を得ることを望むが、危険選択の詳細を教えようとはしないという指摘がある。また、日本においては、告知を必要とする事項に関して、法的な規定がなく保険会社各社の判断に任されている。このことが、消費者保護を目的とする規制、および独立した第三者機関設立の必要性を説明する根拠になる。


.おわりに

 広辞苑第5版によると、「差別」とは、(1)差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。(2)区別すること。けじめ、とあります。
 危険選択における「区別」と「差別」は表裏一体で、その境界線は、保険数理だけではなく、時代や社会環境、国民性や文化、慣習、人びとの価値観や保険制度への理解度・許容度といった、様々な要因によって変遷します。したがって、現在は「差別」とされ、危険選択に用いられていない遺伝子検査結果を利用すること、あるいは保険の加入申込時に検査を受けるよう要請することが、合理的かつ妥当な「区別」とされる可能性も出てくるかもしれません。このことは、危険選択における家族歴、HIV抗体検査、喫煙の有無等の扱いかたの変遷を鑑みれば、おのずと明らかでしょう。ただし、保険数理的には公平で合理的な区別と評されても、社会的見地および倫理的側面からみて、受け入れることができるか否かという問題が常に生じてくるとされますiv
 本研究における問題意識は、より正確な危険度情報を保険会社が入手することの功罪をとりあげることを通じて、民間生命保険の限界を考えようとするものです。民間生保会社等は高リスク者をもとりこむ形で保障の拡大をめざすべきか、あるいは保険原理を前面に押し出して、リスク細分化をはかるべきか。極論ではありますが、保険成立の要件とされる損害の偶然性がなくなった場合、それは本当に「保険」と呼ぶことができるのかといったことも考える必要があるでしょう。また、この研究の背景には、企業の営利性と倫理とは共存しうるか、あるいは二律背反かという別の大きなテーマがあり、経営倫理の枠組みで考察することもできると思われます。
 遺伝子検査と生命保険業をめぐる諸問題は、自然科学と社会科学の接点に位置する極めて重要な課題であり、遺伝子をめぐる様々な倫理的、法的、社会的問題が喚起されている現在、しかるべき方向性の検討が求められていると言えます。

(文中意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)

参考文献
i  生命保険新実務講座編集委員会・財団法人生命保険文化研究所編著(1990)『生命保険新実務講座 第1巻』,有斐閣,p.57。
ii  アヒム・レーゲナウアー,ヨェルク・シュミットケ(1998)『遺伝子学 21世紀の医学の為の基礎 遺伝子・疾病・遺伝子検査の基礎』,ミュンヘン再保険出版部,p.45。
iii  堀田一吉(2000)「民間保険における内部補助の有効性と限界」『文研論集』第130号。
iv  Onora O’Neil, “Genetic information and insurance : some ethical issues”, Philosophical Transactions : Biological Science, Volume352, 1997, pp.1087-1093.


 金融研究研修センターは、平成13年7月、金融庁における「研究と研修の効果的な連携」を目的として発足し、金融理論・金融技術等に関する研究を通じて専門的な知識を蓄積しつつ、それを活かした研修等により不断に職員のレベルアップを図っていくための活動を行っています。センターの概要や活動内容等については、ホームページ(http://www.fsa.go.jp/frtc/index.html)をご覧ください。

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