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自見内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要

(平成22年9月17日(金)10時37分~11時25分場所:金融庁会見室)

【大臣より発言】

今日は、菅内閣で、私も国務大臣ですね、郵政改革担当、また金融担当大臣として辞表を書いてまいりました。菅総理からご挨拶がございまして、私は6月11日から3カ月余だったと思いますが、亀井静香前大臣の後を継いで私が引き受けさせていただいたわけでございますけれども、今日は全閣僚、辞表を取りまとめまして提出いたしました後に、菅総理から大変短いけれども感動的なご挨拶がございまして、「3カ月の間だったけれども、しかし、政権交代して1年になるわけでございますが、民主党全員四百十何人と国民新党と連立内閣でやってこられて、お疲れさまでした。今日は、辞表を全員に出していただくけれども、今後それぞれの立場で、あるいは党で、あるいは国会で頑張っていただくということになるかもしれないけれども、しっかり政権交代の初心の目的を達成していきたい」ということと、また引き続き、菅総理から、「民主党と国民新党の連立内閣に立ってやっていくけれども、またそれぞれの立場において頑張っていただきたい」ということで、大変短い言葉でございますけれども。私は国民新党の副代表でもございます。菅総理の言葉の中に2回も「国民新党」と、我々、小さな政党で、連立内閣の一員ではございますが、きちんと2回ほど菅総理が言われたことが、大変、私としては感銘に残っております。そういうことで、今日の内閣が最終的に、非常に短い閣議でございまして、ご存じのように閣僚懇も民主党・国民新党になりまして、侃々諤々の非常に論議の多い、時間の長い閣僚懇(になったの)ですが、多分、私は3カ月間で初めてだと思いますけれども、(今日の)閣僚懇でどの閣僚も一言も発言されず、非常に短時間で閣議及び閣僚懇は全く発言なしで終わったということでございます。

【質疑応答】

問)

辞任されたということで、亀井(国民新党)代表の後を継いで、およそ3カ月、金融担当大臣・郵政改革担当大臣として、振り返っていただければと思います。

答)

振り返らせていただきますと、大変、皆様方にもお世話になりましてありがとうございます。印象に残ることは、ご存じのように、戦後初めて日本振興銀行でペイオフを実施せざるを得なかったということでございます。預金者の皆様方に大変冷静な対応をしていただき、戦後初めてのことでございましたが、ペイオフは今、実行中でございますけれども、粛々整々と行わせていただいたことを、本当に私としては、ある意味で1,000万円プラス利子を超える方には、実際の話、大変ご迷惑もかかるわけでございますから、断腸の思いがあったのも事実でございますけれども、しかしながら、今、前の経営陣に対して、預金保険機構は刑事上・民事上の責任を含めてきちんと再生中でございます。まだ進行中でございますけれども、やはりペイオフをさせていただけたことが、この3カ月間ではございましたけれども、非常に金融担当大臣としては残っております。

それから、もう皆様方ご存じのように、2年前のリーマン・ブラザーズ・ショック以来、世界の金融が非常に各国に大きな危機になる。しかしながら、1929年の世界大恐慌の後で各国の経済がブロック化しまして、それが第二次世界大戦の遠因の一つだと今の歴史家は判断していますが、今回はそういった本当に苦しい人類の歴史の反省に立って、曲がりなりにもG8、G20をやってきまして、この前、ご存じのように中央銀行代表、また金融監督庁の長官会議が終わりまして、あとはまた11月のソウル・サミットがございますが、私がよく言いますように、アメリカ、ヨーロッパ、あるいはアジアの新興国、それぞれに色々とあるわけでございますけれども、そういった中でバーゼル III が大体合意に達したということは、私は世界史的な大変意義のあることだと思っています。また、その中で、この前も申し上げましたように、やはり日本とドイツとフランスが、私はかなり主導的な役割を果たすことができたのではないかと(思います)。10年前の大変厳しい日本国の金融危機を克服した本当に苦く苦しい経験を踏まえて、私が何回も申し上げましたように、自己資本比率が高ければ高いほどよいというものではない。それは高ければ高いほど安心ですけれども。しかし同時にそのことが、日本国でも当時、貸し渋り貸しはがしということで信用収縮に繋がって、非常に経済が縮まってきたということ、あるいは、きちんと資金さえ供給されれば生き延びていた企業がたくさんある時代に(金融機関が)破綻したわけでございまして、私などは特に1997年から1998年に閣僚をしておりましたので、北海道拓殖銀行の破綻、それから山一證券の破綻を経験した閣僚でもございましたから、そういったことで、やはりバーゼル III というのは、非常に世界史的なことだと思っております。

それから、そのためにも、短い期間でしたがアメリカに行って、FRBのバーナンキ議長、またニューヨークでボルカー(氏と面会しました)。まさに7月にアメリカのドッド・フランク法、これは非常に、1929年、ある意味でコペルニクス的転換をした金融の法律でございますグラス・スティーガル法、そういったものを一緒にした1990年代後半の投資銀行を生み出した基礎的な法律、それから今度は、それが金融工学の発展あるいは経済のグローバル化や金融のグローバル化の中で大変ハイリスク・ハイリターンの商品を作り出す。一つの会社の中のリスクでは納まらないどころか、今は投資銀行というのはアメリカには基本的にございませんが、国家の税金でそれを補わざるを得ない。それが当然、世界の経済危機を―ソ連の崩壊の後、アメリカの一極でしたから、経済的にも最も強い、そして政治的にも軍事的にもアメリカは非常に米ソ冷戦構造時代に抜きん出てきたわけでございまして、その影響を色濃く日本も世界も受けたわけでございますけれども、その中心であったアメリカ型の資本主義、ある意味でアメリカ型の金融型の資本主義が、ご存じのように、崩壊したということでございまして、大変な混乱になったわけです。それが、要するに金余り、あるいは実体経済よりずっと金融のマネーの世界が大きくなった。そのことが実体経済にも影響を及ぼして、2年前、私の福岡県にもトヨタ自動車の工場がございますが、あそこの生産は4割落ちまして、それ以来、本当に日本だって、今、大変こういう立場になっているわけでございますが、そういった中でドッド・フランク法というのを作った。まさにそういった歴史的な時期に、FRBのバーナンキ議長、それからボルカーさん、ボルカー・ルールですね。これはご存じのように、商業銀行の中でハイリスク・ハイリターンのことを、お客様から頼まれたらおこなってもよいけれども、自己勘定でしてはいけないと。これは今度のドッド・フランク法の一番のコアの部分だと思います。これは非常に大きなコペルニクス的転換でございまして、しかし、そういった時代にたまたま金融(担当)大臣としてアメリカに行かせていただいた。

それから、ご存じのように、今、アメリカがそういう状態であって、中国と日本を合わせてGDPの17%。リーマンショックの後、比較的うまくマクロ政策をやったのは中国でございまして、今、中国が非常に経済発展いたしておりますが、そういった中で温家宝総理、あるいは周小川中国中央銀行の総裁とも日中ハイレベル(経済対話)で会ってきまして、あるいはアジアで2番目に大きな香港市場などに行かせていただけたということは、私にとっても大変意義があることだったと思っております。

それからもう1点は身近な話でございますけれども、私は政治家というのは鳥の目と虫の目が大事だと思っております。両方です。やはり本当に身近な虫の目もないと、民主主義国家において政治は駄目だと、私は25年させていただいて、そう思っておりまして。「虫の目」と言ったらおしかりいただくかもしれませんけれども、やはり改正貸金業法の(完全施行)後、こんなことは明治以来、多分、例がないと思うのですが、施行したすぐ後に改正貸金業法フォローアップチームを作りました。これは1,500万人の方が貸金業を利用しておられる中で、全会一致で多重債務者を防ごうという法律を作ったわけでございます。特にこの10年間、デフレの中で1世帯当たり100万円、所得が減ったわけでございますから、そういった時代において、現実に色々な一人一人の生活の本当にうめき声やため息が聞こえてくるわけでございます。そういった中で、本当にこれはトップダウンで改正貸金業法フォローアップチームを作らせていただけたということは、非常に私、小さな話のようですけれども、やはり政権交代してきちんと当たり前(のことをしたの)です。我々は民主主義国家ですから、国民から選んでいただいた政府ですから、やはりヒラメのように目が上ばかり向いているということが、逆に国民の生活を忘れたとは申しませんけれども、私も自由民主党に22年いまして、段々段々それがひどくなってきて、一人一人の息吹、あるいは一人一人の生活の寝音、生活の苦しみ、それが段々段々分からなくなってきたということを、私自身も反省を含めてそう思ってくるわけでございます。1年10カ月の浪人の後、野党の国民新党ということで上げていただいて、政権交代したわけでございますから、そういったことを含めて、やはりきちっと一人一人の生活者の寝音が聞こえる、あるいは苦しみが分かる、そういった意味を込めて、実は改正した後すぐ、この改正貸金業法フォローアップチームを作らせていただいたわけでございまして、それも私の中では、虫の目と鳥の目と申しましたけれども、そういった意味でも、自画自賛と言ったらおしかりいただきますけれども、私の一つの政治家としてのテーゼ、やり方だと、ささやかに思っております。

それから最後に、大臣目安箱を作りまして、昨日、全国証券業大会に行ってきまして、このことをちゃんとPRしてきました。後からちょっと懇親会で歩きますと、結構みんなから「大臣目安箱って、自見さん、作ったんですか」と言うので、「いや、作りましたよ。もうまさに証券業界は、今、不況の中で厳しく頑張っておられますから、ぜひ何でも一人一人の汗のついたご意見を、本当に忌憚なくお寄せいただきたい」と。びっくりしたのですけれども、結構、人から聞かれたのです。ですから、そういった意味で大臣目安箱を作らせていただいたことも、まさに鳥の目でございますけれども、逆に一人一人の証券業界で生きておられる方の生きたご意見も、しっかり吸収させていただきたいと思っております。

最後に、これはもう一番本論でございますけれども、郵政改革法案、これは菅さんと亀井さんと前の国会で合意、両党サインしたわけでございますから、やはり3事業一体、そして国民のための、本当にドッド・フランク法ができて世界の金融が大きく変わった中でも、私は国民のための郵政3事業が必要だと思っております。中国に行っても、郵便事業は昔からありましたけれども、25年前から郵便局が貯金事業を主に農村地帯で始めていましたし、2年前から保険業を始めたということでございまして、そういった意味で郵政3事業というのは、イギリスから学んだ事業でございますが、今、中国は建国60年でございますけれども、まさに世界的な共通性があるのだなということを、改めて中国の国家郵政局長とお会いして自覚したわけでございまして、これも次の国会の宿題でございますが、しっかり本当にやっていかなければならない、そういった決意を改めて固めさせていただいたと同時に、閉会中審査で総務委員会がございましたから、そのことについてもしっかり、色々と大臣として説明させていただいたわけでございます。

そして、そのことを、アメリカのブレイナード財務次官に、これはWTO(世界貿易機関)にどうなるのだという質問をいただきましたから、ああいった時は割ときちんと説明しないと駄目だと私は思っていますので、びしっと論理的に経営の自主性と決してWTO違反ではないのだということを30分近くきちんと説明してきたことが、大変印象に残っております。

少し長い壇上の話になりましたけれども、(就任から)短い3カ月でございましたけれども、皆さん方のおかげで、また今、金融が世界史的な曲がり角にある時でございますから、大変たくさんの経験をさせていただけたということを、心から感謝いたしております。

問)

今、新内閣発足に向けて、いわゆる組閣作業が大詰めを迎えていると思うのですけれども、先ほどのお話で、菅総理から国民新党との連立を重視することが挨拶で言われたということですけれども、ご自身に対して、何か総理からありましたか。

答)

いや。そういった点では、私は、多分、今から我が党の亀井静香(国民新党)党首と菅民主党代表が話をするか、しておられるときではないかと推測いたしております。

問)

先ほど(この会見中に)電話も鳴られていたみたいですけれども、大丈夫でしょうか。

答)

いや、全然まだ、私は連絡をいただいておりません。

問)

さきの民主党代表選で菅代表となったときに、円高が非常に進行しまして、それに対し、政府・日銀が6年半ぶりの(為替)介入に入りまして、菅総理として、かなり円高阻止の強い意向を示したと思うのですけれども、この点について、国民新党の副代表としてのお立場でも結構ですので、一言お願いします。

答)

ご存じのように、9月15日、政府・日銀が6年半ぶりに為替介入を実施したことは承知いたしております。基本的に、為替介入については財務省の所管でございますので、金融(担当)大臣として具体的なコメントは差し控えたいと思っていますけれども、金融庁としても、引き続き為替市場の動向を注視するとともに、金融仲介機能が十分に発揮されているか等の観点から、金融機関の実態把握に努めてまいりたいと思っています。

国民新党としての立場でございますが、当時、閣僚懇で大田区の中小企業を菅総理が視察された後に、あの日、大変侃々諤々の閣僚懇での話がございまして、それをまとめて菅総理が発表するということで、もう皆さん方、ご存じだと思いますが、決然たる決意できちんとやっていくということでございまして、そういったことを総理が、大田区の確か円高に苦しんだ中小企業を訪問されたときに発表するということを、我々、了解したわけでございまして、基本的にこれは財務大臣の専管事項でございますが、これは非常に大事な話でございますから、閣僚懇の話はするなということが原則でございますが、当時、私も内閣の一員ですから、当然、財務大臣と、官房長官、総理大臣に色々と自分の意見を言いまして、「やはり決然たる意思を示すときは決然たる意思を示していただきたい。しかし、なかなか世界の情勢も厳しいときがあるわけでございますけれども、やるところには決然たる意思を持ってやっていただきたい。あとは財務大臣と官房長官と総理大臣にお任せします」ということを、私は閣僚懇でも申し上げまして、各閣僚から色々な意見が出ました。それを踏まえて、その後の夕方、総理が大田区の、特に円高で悩んでおられる中小企業を訪問されて、総理談話を出されたと思いますが、きちんと統一見解となったと思っておりまして、国民新党としては、当然、私も民主党・国民新党の連立内閣でございますから、このことを支持いたしております。

問)

フィナンシャルジャパンの吉岡と申します。

先ほどの新組閣人事についてなのですが、総務大臣として片山善博前鳥取県知事の名前が挙がっています。片山さんは、郵政改革法に対してはかなり慎重派という立場で、特に今年6月20日の北日本新聞の記事で、「この法案は、国会ではごく少数の議席しか占めていない国民新党に無理やり引きずられて出来上がった法案だ」というような発言をされているわけですけれども、郵政改革法成立に遠のくのではないかという認識もあるのですけれども、この辺りのことについては?

答)

私は、今、辞表を出してきた国務大臣でございまして、その後は、今、菅総理と我が党の亀井静香党首が、何か多分、話をしているか、話を今からされる予定だと思います。どの大臣をどうするかというのは、もうご存じのように、憲法上、内閣総理大臣の持っている大権でございますから、今、そういった予測記事が出ているということは私も知っておりますけれども、今の段階で国民新党の副代表としても、また、もう辞めた国務大臣でございますから、コメントすることは適当でないと思っています。

いずれにしても、国民新党は、きちんとした郵政改革をやるということ、これは本当に何回も私は言いましたように、郵政改革というのは「官から民へ」という大きな一つの流れなのです。ただ郵政改革ではないのです。一つの法律だけではないのです。あのときの小泉さんの5年半前の自民党のマニフェストを見ていただきたいのです。「郵政民営化、「官から民へ」」、「小さな政府、小さな政府、小さな政府」と、あの一面のマニフェストに3回書いてあります。それから、あの時に書いてあるのは、「官から民へ」、それら「小さな政府、小さな政府、小さな政府」。「小さな政府によって、社会保障も地域の発展も」と。だから、もうよくご存じのように、「小さな政府」、「規制緩和」、「官から民へ」、「市場原理主義」、一つの思想なのです。これは、マルクス・レーニン主義だとか、それから新保守主義だとか、あるいはファシズムという、これは本当に戦後30年間、サッチャー、レーガンから始まりまして、フリードマンさんなどという大きなノーベル賞をもらった人がいますが、一つの大きな潮流、思想なのです。この思想の第1番目に来たのが、たまたま当時、「構造改革の本丸が郵政民営化だ」と小泉さんが言ったわけでございますから、そのことがどういうふうに日本に変化をもたらしたかということは、もう皆さん方、よくご存じのように、非常に国内の格差が広がる、あるいは地方の切り捨てにつながる。小さな政府ですから、要するに必要な社会保障費を出さない、それが後期高齢者医療制度に繋がる。そういったことで、非常に不安と不満と、日本の社会のネットワークを崩しかけつつある。そのことは私は何回も申しましたけれども、政権交代の第1番目に書いているのが、小泉さんがやった、いわゆる行き過ぎた市場原理主義といいますか、あまりにも行き過ぎた規制緩和、行き過ぎた市場原理主義、行き過ぎた小さな政府、行き過ぎた思想、これはもう明確に新保守主義を否定したことから3党連立内閣が始まったわけですから、「官から民へ」というのはその象徴です。

ですから、私は何回も言いましたように、やはり特に日本のような国は、「官から民へ」の官と民とがベストバランスでないとやっていけないと思っていますし、なおかつ、ドッド・フランク法の話もしましたように、本家本元のアメリカですら、そういったウォール街の強欲な金融資本家たちがやり過ぎてと言いますか、結局ハイリスク・ハイリターンで、一つの会社の中ですら当然リスクテイクできなくなった。そして、リーマン・ブラザーズが崩壊して、それが今の大混乱の発端になったわけでしょう。それは、まさに規制緩和、「金融はどんどん自由にしておったらよいのだ。それが一番富が増えるのだ。国家などあまりうるさいことを言うな」と。しかし、それでやり過ぎて、結局もう世界が大混乱になって、現状があるわけでしょう。

ですから、これは基本的に何も天然現象ではないですよ。あくまで、やはり一つの、昔で言ったら社会主義にしても共産主義にしても、マルクス・レーニン主義一つによって革命が起きたのだし、それからやはりファシズムということによって、ヒットラーが出てきたわけですから、やはりそういった意味で一つの大きな思想なのです。思想体系の一番最初に来たのが、あの時の選挙でご存じのように、「まさに構造改革の本丸だ。1丁目1番地だ」、こう言ったわけです。1丁目2番地が、当然、言うなれば「小さな政府」で、地方交付税交付金をどんどん削っていく、社会保障をどんどん削っていく。そういった意味で、非常に国民のセーフティネットを破壊した。それから当然、1丁目1番地もあれば、1丁目2番地もあれば、1丁目3番地もある。そういう思想体系そのものに、我々は強く強く反対した政党でございますから、そういった意味で、一つ一つのただ単なる郵便制度、郵政3事業だけではないのです。それは、もう本当に象徴的な選挙でございます。たちまち小泉さんがあのとき3分の2をとって、郵政民営化もしましたし、「骨太方針2006」で、毎年2,200億円、医療・福祉・年金・介護の社会保障費を削っていく、「小さな政府」を言葉どおりに実行したわけです。それから、どんどん高齢者医療、お年寄りが大変不安になってきた。あるいは、どんどん地方交付税交付金を削っていく。日本は地方交付税交付金で国内の過疎地帯も、ずっとお金の流れや物の流れもありましたけれども、それもある意味でどんどん中央にばかり集まるというようなことで、戦後ずっとやってきた基本的な仕組みを「小さな政府」ということで崩壊させたわけですから、はっきり言えば、どんどん東京に富が集まってくるという、そういった大きな国の循環も、「小さな政府」論で破壊に近いようなことをしたわけです。そして、なおかつ、どんどん市場、マーケットというものが、地域よりも都市よりも国家よりも至上なものだと。マーケットで測れないような価値、あるいはお金で測れないような価値というのは、あまり意味がないと、極端な話、そこまで行きかけた世界観、一つの思想ですから、そういったことを断固否定するというのが、我々国民新党の立党の精神でもございます。なおかつ、菅内閣も、去年8月30日にまさに政権交代して、原点がそこにあるわけですから、そのことは菅さんも、3党合意をきちんと守っていただけるということは、この前、菅さんと亀井さんとの3項目しかない中にも書いてありますから、そういったことの重要性をよく理解していただければ、皆さん方もよく分かっていただけると思います。

問)

フリーランスの高橋清隆と申します。

日本振興銀行の開業を認める(と思われる)金融再生プロジェクトチームの議事録が残っていないと、前回おっしゃいましたけれども、これは紛失したということなのでしょうか。残っていない理由をもう少し詳しく教えていただけますでしょうか。

答)

この前も、ああいう質問をいただきまして事務方に聞いてみたのですが、本当に議事録がないらしいのです。びっくりするような話ですけれども。

問)

最初からとらなかったということですか。

答)

ええ、最初から、本当に。何か私は、あのとき竹中さんが1回目、こういう記者会見で言って、9回目ぐらいやったのですか。その間、「議事録を出せ、議事録を出せ」と、皆様方、大変強く言われたという話を聞いていますけれども、本当に議事録を作っていなかったらしいという報告を受けています。私は非常におかしいことだと思います。行政というのは、あくまで税金によって、やはり国民のための政府ですから、議事録を残していないということを私は報告いただいておりますけれども、当たり前ですが、政府というのはやはり公共のものですから。しかし、現実には、議事録を残していないという報告をいただいております。私は、大変おかしいことだと思います。

問)

テープとかもないのでしょうか。

答)

いや、そこまでは聞いていないけれども……。

問)

私、ボランティアで起こしても構いませんけれども。

答)

いや、そこまで聞いていませんけれども、議事録は一切ないという話を聞いております。

問)

一部報道で、金融庁が新生銀行に対して、従業員の給与をある一定まで抑えるよう求めているとありました。まず、これが本当なのかということと、もう一つ、当局として、株主として、新生銀行にどのような経営を、今後求めていきますでしょうか。

答)

ご存じのように、個別の金融機関のことでございますから、当局が個別の金融機関についてコメントすることは差し控えさせていただきたいと思っています。

一般論として申し上げれば、銀行の給与水準については各行のビジネスモデルや職員構成等に照らして経営者自らが判断し、労使間で合意されるものだと承知いたしております。

いずれにいたしましても、公的資金注入行においては、この給与水準も含め、堅牢な経営健全化計画の策定と、その着実な履行が極めて重要だと私は認識いたしております。

問)

保険毎日の園田です。

金融の色々な制度を審議していくのに、この3カ月間で金融審議会を再開するという話は出ましたでしょうか。大臣の考えとして、制度の決定プロセスとして、今の金融庁政策会議などが一番望ましいというようなお考えでいらっしゃいますか。

答)

金融審議会は、前の亀井大臣の時から開いていないという話を私は聞いておりますので、私としても金融審議会は確かに開いていないと思っております。

問)

郵政改革法案について、今日、新しい内閣が誕生するわけですが、国民新党として、新しい内閣に郵政改革法案はどのくらいのタイムスケジュールで成立してほしいとお考えなのかというのを改めて確認させてください。

答)

タイムスケジュールというのは、可及的速やかにというのが、当然、回答だと思いますけれども、しかし、国会がこういう状態であるということも当然分かっていますので、これは私、もう国務大臣を辞めましたから、国民新党の副代表として申し上げれば、各党各会派へのご理解をいただいて、できるだけ速やかにですね。

あれは確か、(郵政事業が)10年間で4回変わったのですか。非常に士気も落ちておりまして、この前も話したように、80兆円貯金が減ったのです。一月に1兆円以上も貯金が流出しておりまして、私は率直に言えば、あれは4分社化しましたから、分社化のマイナスの影響力といいますか、例えば係長さんとか課長さんとかがものすごく増えたのです。ですから、分社化に伴うロスといいますか、それももう明確に―私は、あの組織が15年ぐらい前、多分、世界一の郵政3事業だった時代からずっと見てきていますけれども、この4分社化で効率も、それから国民の利便性も、本当に80兆円の郵便貯金が流出しましたし、確か簡易保険も昔は8,000万口あったのが、今は4,000万口ぐらいまで減っておりまして、私はいつか、「簡易保険ではなくて複雑怪奇保険だ」と申し上げましたよ。昔は、私が郵政大臣をさせていただいたときは、簡易保険というのは、もし万が一の事由が起きた時は、郵便局長の判断でお支払いすることができたのです。ですから、恐縮な話でございますけれども、一番早く枕元に行くのはまさに簡易保険だという話をよく聞いていましたけれども、今は、例えば九州だと、全部、簡易保険を出してよいかどうかを福岡市にある簡易保険センターに行って、許可をいただいて帰ってくるのです。2~3週間かかりまして、もう今は、ご存じのように、確か民間の生命保険よりも一番遅いのは簡易保険だという話を聞かせていただきまして、「本当にこれは簡易保険かね」と。まさに生活の身近なところに、その量は多くございませんけれども、そういったことが国民から支持されていたと思っています。

そういう意味でも、きちんとやはり本当に国民の利便に合ったように、東京の人はなかなかご理解出来にくいのですけれども、やはり私は九州ですから、本当に農村地帯、過疎地帯、離島、へき地、そんなことを考えますと、やはり4分社化に伴うロス、それから利便性の低下、職場における士気の低下というのは、本当に私は、残念ながらびょうびょうたるものがあると思いまして、今、国民新党の副代表でございますが、一日も早くきちんとご理解をいただいて、やはり理念のある―ご存じのように、何も私は「前の国営に戻せ」とか「前の公社に戻せ」というようなことを言っているわけでは全くございません。アメリカでの法律でも、郵便局はただ単に経営が成り立たないという理由でそこを閉鎖してはならないと書いてありますし、この前、アメリカに行ってきて、郵便というのは、アメリカ憲法の起草者の一人であるベンジャミン・フランクリンが郵便局長だったということもあって、やはり独立戦争を13植民地でしたときに、当時、イギリスの植民地でしたから、情報の流通がきちんと秘密裏に行われるかということが、いかに独立戦争の過程で大事かということを実感して、アメリカの民主主義の発展には絶対郵便が必要だということで、今でもアメリカの憲法には、郵便の権利が書いていますので、そういうことを踏まえて、私はやはりきちんと、たとえ郵便局がその局だけ見れば赤字といえども、やはり国民の利便だとか、民主主義における基本的な情報、物流を、全国できちんとユニバーサルサービス、そして、中国でもそうなりつつあるということを言っていましたけれども、それを持続可能なシステムにしていく金融・郵便・保険という最低限のインフラが必要だと私は思っています。そのことをしっかりご理解いただくように、頑張らなければならないと思っています。

問)

保険銀行日報、片岡です。

金融ADRの件でお聞きします。生保業界や損保業界など保険業界の団体が、(今月)15日に金融庁から金融ADRの指定機関とされたのですが、その機関について要望すること、それから期待することがあったら、お話をお願いします。

答)

ADRについては、私もいよいよ詳しくはございませんけれども、裁判所以外の調停という意味でございますか。色々と保険に関しては、当然、国民の安心あるいは安定、あるいは今は疾病保険が非常に盛んでございまして、その辺で、やはり当然、企業としても成り立っていかなければいけませんけれども、同時に、やはり社会的な安心、特に疾病の場合ですと公共性・公益性もございますし、それから利用者の保護といったこともしっかり視野に入れていかなければならないと思っています。

金融ADRの制度は、業態ごとに紛争解決機関の指定制を導入することにより、ADRというのは専門家も入っていますから、当然、紛争解決の公正性・中立性を確保するとともに、金融機関に手続応諾・和解案の尊重等を求めることにより、紛争解決の実効性を確保することを目的としたものであるということはご存じのとおりでございますが、金融庁としては利用者にとって迅速・簡便・柔軟な苦情処理、これは裁判、法廷外の苦情処理を公平・公正にやろう、なおかつ、お互いに納得していこうという制度でございますから、苦情・紛争の解決が行われるとともに、苦情処理・紛争解決に関する利用者の信頼性と実効性が確保されるように、各指定紛争解決機関において適切な業務運営が行われることを期待いたしております。

問)

フリーランスの島田と申します。

大臣は、マーケットの市場原理主義等を批判されておりますし、デフレのに関しても、かなり懸念をずっと持たれておりました。そういう中で、大臣が金融(担当)大臣をされていた頃に、日銀総裁のデフレ対策ですとか対応について、どういうご感想をお持ちでしたでしょうか。

答)

もう金融(担当)大臣は辞めさせていただきましたが、やはり日本銀行というのは、ご存じのように独立性がございまして、特に私、日本銀行の独立性を確保する法律を、山崎拓さんが政調会長で、確か私が政調会の副会長をさせていただいて、当時は自民党でしたが、あれはなかなかもめた法律なのです。だけれども、やはり日本銀行の独立性というのをある程度確保する法律を作らせていただいたときの下働きをした。金問調(金融問題調査会)に行って、2時間から3時間ぐらい意見を強く言わせていただいて、その日に確か法律がまとまったということを鮮烈に覚えておりますが、やはり日本銀行は中央銀行で、政府というのは連絡をとりつつ、なおかつ、独立性というのは非常に大事ですから。

中央銀行は、よくお分かりのように、戦前のワイマール時代に非常にドイツでインフレが起きて、それが結局、ナチズムの台頭に繋がったとか、日本も、ご存じのように戦時国債というものを出しまして、それを政府が引き受けて戦費調達ということで、そのことで戦後、非常にインフレになったわけです。

そういったことで、基本的に中央銀行というのは、私はやはりインフレ退治のために果たすべき役割が大きいと思っておりますが、しかし、今、政府としては、デフレ脱却ということが菅内閣でも大きな目的でございましたし、特に私は、これも大臣を辞めたから言うのではないのでございますが、バーナンキさんとお会いしたとき、それからダドレーニューヨーク連銀総裁と話をしたときも、いったんインフレに陥るとなかなか脱却しにくいということを、非常に2人とも何回も言っておられました。確かに、日本はデフレになってなかなか脱却できませんけれども、多分、そういったことが逆に彼らの頭の中にあったのかなと思っていますけれども、やはり日本銀行と政府というのはきちんと連携しながら、私も仄聞(そくぶん)する話でございますが、新成長戦略に対して日本銀行も、新たに有利な融資制度を助長するような方法論に応じたやに聞いておりますし、その辺はきちんと、やはり目的は国民の生活が落ちついて、持続可能な企業活動あるいは持続可能な経済活動を、日本国内あるいは世界でやっていける。世界の経済の中で、やはりバーゼル委員会でも各国の中央銀行が果たした役割は大きいわけですから、その辺で世界史的視野にも立って、やはり経済がきちんとやっていく、金融政策あるいは経済政策がうまくやっていくというためには、逆にリーマンショック以来、非常に金融世界が脆弱になってきていますし、またギリシャのショックなどもございましたから、各国政府はこの金融危機を克服するために財政出動いたしました。アメリカもやっていますし、オバマさんもまた財政出動するやに聞いておりますけれども、そういった意味で、まさに中央銀行と政府との連携というのは、金融規律・財政規律ということも大事でございますが、そういったことを含めて、中央銀行の役割というのは特に大事になりつつあるなという気が政治家としてはいたしております。

問)

この危機に対して、中央銀行としてはしっかり仕事をしたという認識はお持ちでしょうか。それとも、まだ足りなかったという(お気持ちでしょうか)。

答)

そこのところは、コメントは差し控えさせていただきたいと思います。

どうも長い間、お世話になりました。ありがとうございました。

(以上)

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