金融審議会「第一部会」第4回会合議事録

 日時:平成11年2月25日(木)14時04分〜16時02分
 場所:大蔵省本庁舎(4階)第三特別会議室

○蝋山部会長 それでは、ただいまから、第4回の金融審議会「第一部会」を開催いたします。
 お忙しい中、お集まりいただきまして、大変ありがとうございます。
 今日は、まず、田中直毅委員が御出席でございますので、御紹介申し上げます。
              〔田中委員 立礼〕
○蝋山部会長 どうぞよろしくお願いいたします。
 御覧のように、今回、少し席の配置を変えてみました。好評かどうかはまだわかりませんが、全く他意はございません。ともかくできるだけ自由な議論ができるようにということで、こういう席の配置を試験的にやってみたわけであります。御意見がございましたら、事務局にでもおっしゃってください。「ああいうのはしゃべりにくい」というようなことでも。いろいろトライしてみようと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 今日は、御案内のように、お配りしてあります議事次第に従いまして議事を進めさせていただきたく思います。
 上柳委員から、日本弁護士連合会が発表された「新しい金融の流れに関する懇談会「論点整理」に対する意見書」、これに関しましてお話を伺い、その後、原委員、能見委員それぞれにコメントをしていただくことをお願いしております。その後、質疑応答、自由討議をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、上柳さん、よろしくお願いします。
○上柳委員 大変失礼しました。もう5分使ってしまいまして申し訳ありません。高等裁判所での1時半の事件が遅れまして、申し訳ありませんでした。
 既にお配りいただいておりますけれども、日弁連の方で、日付としては今年の1月14日になっておりますけれども、「新しい金融の流れに関する懇談会「論点整理」に対する意見書」ということでまとめさせていただきました。私も若干取りまとめに関わっておりますので、なるべく客観的にと思いますけれども、もともとの意見書に、さらに私の主観が入るかもわかりませんけれども、お許しください。これ自体は、論点整理が去年の夏に出まして、夏休みの間に担当の委員の方で起案をしまして、その後、会の手続をしていたということになります。
 その抜粋ということで、今日は、「第一部会4−3」ということで横長の資料を配っていただいていますけれども、私なりにポイントを4枚にまとめたつもりです。ただし、これは要するに「論点整理に賛成である」というところでもありまして、何か対立しそうなところだけを選んだのですが、それでもきっちり紹介できているかどうか自信がありませんけれども、ただ、言えますのは、例えば、一番最初のところに、「利用者側の意見も反映されるようにする必要がある。」という次に、「ビッグバンの本格化に伴う消費者の混乱と被害の防止のために、速やかに(金融サービス法などのルールを)定める必要がある。」ということを訴えております。とは言うものの、ではどうすればいいのかということについて、特に大事な問題については追って意見を述べるという体裁になっておりまして、これは今、弁護士会の中でも検討しているところですけれども、早くルールを作りなさいと言いながら、その提言もしていないというような体裁になっております。
 「追って意見を」という項目もたくさんあるんですけれども、特にそれが明記してありますのは、いわゆる適合性原則の考え方のところ、それから、やはり難しいなということで残っておるんですけれども、私の抜粋で言いますと2枚目の真ん中より下あたりで、14という数字のあるところの一番下ぐらいですけれども、いわゆる資産運用サービス等における注意義務とか、仕組み行為といいますか、組合せ商品のようなものに関するルール、集団投資スキームも含めるのかもわかりませんが、ここについては「さらに検討したうえ意見をまとめたい。」ということで、やはり難しい論点だという捉え方をしております。
 それから、一番最後の「預金・保険・企業年金」のところについても、これはイギリスで年金についての大きなトラブルがあったということを聞いておりますので、よく考えなきゃいけないと思うんですが、まだ意見が固まっていないということになっております。多分その「意見が固まっていない」と申したあたりが、これからの部会でも一番大事なところになるのかなというように思うんですけれども、言い訳はそれぐらいにいたしまして、この意見書を、私なりに簡単に言うとどういうことになるのかということで、レジュメに沿ってお話ししたいと思います。
 まず、いろんなことを考えていく場合の視点ということで、こういうことが大事だと。何度かここでも議論にはなりましたけれども、あるべき利用者ということを考えて、それに近づいていくようにいろんな制度を設計していくんだということになる考え方はあると思うんですけれども、そのときに、あるべき利用者の方から近づけて考えるのか、でも実際はそうではないという方に近づけて考えるのかというところで、大きな違いが実際には出てくるのではないか。もちろん一致できるところをなるべく大きくしていくことが必要なんですけれども、「あるべき」と「現実の」が対立する場合には、少なくとも当分の間、皆さんが慣れるまではということになると永遠にかかるかもわかりませんけれども、当分の間は、現実の利用者を頭に置いたルールを優先するべきではないか。
 そのときに、金融サービス業が日本で発展していくためということももちろん大事なわけですけれども、やはり人数だけで言いますと多数であろうと思われる国民の意識としては、これから日本がどういうふうに発展していくかわからない。場合によっては低成長であるという中で、高齢化していって、公的年金もなかなか難しくなるという中で、自分たちの資産をいかに確保しようかということが、かなり大きなニーズなのではないかというふうに思っています。
 これは何度も出てきている表かもわかりませんけれども、資料の2枚目のところに、「金融法務事情」の斎藤さんの論文から転載させていただきました。図4というのが一番はっきりしていますでしょうか。「金融商品選択時に重視する項目」ということで、現在、安全性というところが50%を超えている。しかもこれは、この90年代増えてきているということがあるわけです。ということで言うと、やはりこういうふうなことを考えている人たちが多いんだということを頭に置いて、制度を設計していく必要があるというふうに思うわけです。そういう意味で、どうしても、特に私自身としては、90年代前半から、ワラントであるとか変額保険であるとか、そういうものに被害を受けたというふうに考えておられる方からの相談を受けることがあったせいかもわかりませんけれども、90年代初め、あるいは80年代に、場合によってはリスクをとってもよかろうということで、そういうところに近づかれた方は、結局、そのリスクについての覚悟が不十分だったのか、あるいは説明を受けていなかったのか、いろいろなケースがあると思いますけれども、かなりの財産を失われて、さらに、もうそういうところには近づきたくないと思っている。
 エピソード的なことになりますけれども、裁判をたくさんやっていまして、裁判官が原告に聞く質問としてよくあるのは、「そういうふうに懲りておられるのはよくわかりましたけど、今も証券会社とおつき合いなんですか」と。普通の人は「つき合っていません。もうこりごりです」と答えるんですけれども、「まだ証券会社に預けている財産があります」と言うと、「それは早く回収しなさい」ということを言われるようなことで、どうもこういうトラブルが、ますますいろんな方を金融サービスあるいはリスクのある金融商品から遠ざける結果になっているのではないか。そういう人たちが安心できるような体制を作っていくことが基本であるというふうに意見書は考えております。
 それから、もう一つの視点として、従来のルールが実効的でなかったのはなぜかということをよく検討する必要がある。日本の証券取引法は、母法はアメリカ法だというふうに言われていますけれども、アメリカとだけ比べても、私は特に裁判所の判例が少ないとか、あるいはSECとかの監督機能の公共的インフラが弱いという面とともに、金融機関の中でのコンプライアンスの状況が、アメリカあるいはイギリスと日本とを比べて雲泥の差がある。ここには弁護士がどこまで発言力があるかとか、そういうこともあったりして、いろいろ難しい問題はあるんですけれども、今回、金融監督庁の方ではいろんな工夫を考えておられるようですけれども、ここの違いが大きいのではないか。ですから、規定のルール、証券取引法の文言のようなことだけではなくて、それをどうしたらコンプライアンスを育てる方向に行くのか、あるいは公共的なインフラを効率的に作っていくことに役立つのかということが必要だというふうに思っています。
 そういうことが総論なんですけれども、問題は、これが勧誘規制のあり方であるとか、弁護士会の特に関心を持っているのは実効性確保といいますか、履行法確保といいますか、エンフォースメントの面なわけですけれども、ここにどういうふうに各論として反映していくのかということが、工夫のしどころだというふうに思っています。
 それで、勧誘のあり方についても若干のポイントを挙げますと、まず、説明義務という問題があって、今の時点では、説明義務を「ない」と言われる方は少なくなってきたわけですけれども、問題は、どういうことを説明するべきなのか。あるいは、どこまで説明すれば金融機関の責任が果たされたかということが、もちろん工夫のしどころになるわけですね。
 それで、私、若干判例を引いてきたんですが、煩わしいかもわかりませんけれども、3枚目の「ワラントに関し高裁判決が設定した説明義務の内容の例」ということで、四つほど取り上げてみましたので、御覧いただければと思います。
 特徴的なところだけを見ますと、一番上の仙台高裁の96年10月14日の判決ですけれども、2行目のところに「ワラントの権利行使によって利益が生じるためには」云々かんぬんと。要するに、どういうときに利益が生じるのかということを説明しなければいけないと、こういうことを言っているんです。これは少なくともリスクの説明ではなかろうと思いますし、ワラントという商品の仕組み自体を説明しているのともちょっと違う。要するに、どういうときに得してどういうときに損をするのかということを説明しなさい。そういうことを求めているわけです。これを、どういう事項についての説明義務というふうに説明するかというのは、またいろんな議論はあるかと思いますが、こういうことを言っている、しかも高等裁判所の判決があるわけです。
 それから、2番目の東京高裁、96年11月24日。このケースでは、3行目のところ、「投資したものがゼロになる可能性もある」という趣旨の説明をしたということは裁判所も認めているんです。ただ、それだけでは足りなくて、ややこしいですけれども、株の値段は 1,680円であって、本件ワラントの権利行使価格の 2,266円を大きく下回っていたと、そういうような話をすべきだと。これもやはりどういうときに利益が生じて、どういうときに損をするのかというようなことを説明すべきだと。リスクがゼロになるかもしらんよということだけでは、だめだということを言っている判決です。
 広島高裁の97年6月12日は、「次の四点について、……理解できる程度に説明すべきであり」と、これは難しい概念ですが、その理解が得られなければ、ワラントの取引をしないよう助言する義務があると。「第一に」というところで4行目あたりですが、「権利行使期間内に現実の株価が権利行使価格より高くなること、もしくはそうなると予想されることに価値を持つものであること」云々を説明しなければいけない。また、価格の問題を説明しろというふうに言っています。
 一番下に挙げました大阪高裁、97年6月24日ですが、これは2行目のところで、また違った言い方をしていますね。「今後の株価が相当の率で上昇したり、権利行使価格を上回ると考える根拠とその確度を、客観的な情報に基づいて、個別的、具体的に懇切丁寧に説明すべきである」と。こういうことができるのかどうか、すぐに反論があるかもわかりませんが、少なくともこういうことを言っている判決があるわけです。一番最後の判決などは、多分、何かしゃべると失敗するかもわかりませんが、アメリカで言う推奨について合理的な根拠を持つべきだというような法理の影響なのかと思いますが、単に価格のメカニズムの説明だけではなくて、それが上がるかもしらんよということを根拠に基づいて説明しなければいけない、こういうことを言っているわけです。かなり高度なというか、リスクの説明だけではない義務を設定しているわけです。
 どうしてこういう判決が出てきたのかということですけど、原告弁護士が頑張ったというふうなことでは恐らくなくて、裁判所が、早い時期に、90年代の前半に設定した義務というのは、商品の構造を説明しなさい、リスクを説明しなさい、そういうものだったわけですけれども、そういうふうに言うと、証券会社から出て見えた証人の方は、「私はそれを説明しました」と、それこそ立て板に水を流すようにということだと信用されないわけですけど、とつとつと、あるいはかなり臨場感をもって証言されるわけです。そうすると裁判官の方は、嘘かな、本当かな。嘘かなと思っても、なかなか説明義務違反にかけないというところで、さらに原告側は、ワラントの商品の危険性なり、場合によっては欠陥商品だというような言い方までして、いろんな仕組みを説明していく。そうするとワラントの仕組みが裁判官に理解されて、ここに挙げた四つの判例のようなところまで説明を要するというふうにエスカレートしてしまった。
 まず、これがいいかどうかの議論はあるかと思いますけれども、私が申し上げたいのは、恐らく説明義務の内容というのは、単にリスクを説明する、その程度の問題だけではなくて、実際問題、自分がどういう商品を買ったのかということについてお客さんが理解して初めて、あるいは納得して初めて、その商品が売買されたんだというふうに言えるという方向に向かっているのではないか。これを、ルールをどういうふうにすればいいのかはあれですけれども、そのあたりについて、説明義務の設定の仕方を工夫する必要があるということを弁護士会の方でも考えております。
 初期ワラントの事件を扱うときに、初めてグレープフルーツを売る、あるいは買うときに、ブドウと誤解せずに売る・買うというためにはどうしたらいいのかというようなことを議論したことがあるんですが、金融商品と食品は違うわけですけれども、実際にリスクの説明だけでいいのか、それとも、どういう商品を自分が買ったというふうに納得あるいは理解して、契約が成立したと言えるのかどうかというところについても検討が必要かと思っています。そういう面から考えますと、弁護士会では、不招請勧誘を禁止すべきだと。依頼に基づかない勧誘を禁止すべきだと。これはイギリス法にはあるではないかということで強く言っております。
 ここは、これからの一つの争点になるかと思いますので若干触れさせていただきますと、弁護士会の意見書の書き方としては、とにかく勧誘全般がいかんのだと言わんばかりの雰囲気にもなっているんですけれども、実際のところはイギリスでも、証券会社の方からアプローチをして物を勧めるということもできるわけですね。ただし、それには条件があるということで、資料の4枚目から7枚目までにかけまして、これは訳が果たして適当かどうかわかりませんけれども、少し前の規則ですけれども、イギリスのSFAのルールから拾ってきました。これを見ますと、例えば、下の方に「-66-」とあります4枚目のところの上から6行目あたりですけれども、「社内遵守手続と適切な措置を確立、維持しなければいけない」、要するにそういうことをすれば勧誘はできる。
 それから、商品についても、その次の行に「volatility」という言葉がありますが、価格変動性の高い投資商品などについてはいろいろな手続をしなきゃいけない。真ん中ちょっと下あたりですけれども、不招請勧誘をすべてテープレコーダーで録音し、かつ、そのテープを定期的に−−これはコンプライアンス部門がということですけれども−−モニターしなければいけない。
 (b)のところ、その詳細を記録すること。
 それから(c)、適合性及び最良助言に関するルールが守られているということを後から証明できるようにと、こういうふうに言っておるわけです。
 その次の5枚目のところですと、お客さんの方が嫌だと言ったらすぐに電話を切りなさいとか、その場所から出ていきなさいとか。あるいは、午前8時以前もしくは午後9時以降にはやっちゃいけませんよとか、そういうことも書いてあったり、その下の方ですが、「顧客の理解」の(2)項のところについては、ワラント又はデリバティブ商品については、特に警告書というものを出さなければいけないというようなことを書いておりますが、要するにそういうことをすれば勧誘ができる。不招請勧誘も構わないということになるわけです。
 そうすれば、考えようによっては、何も不招請勧誘一般を禁止して例外的に認めてやるというふうな法律にしなくても、例えば今申し上げた「勧誘を録音しなさい」とか、あるいは「事前に届出をしなさい」、「コンプライアンスを確立しなさい」ということだけ日本の金融サービス法でも決めればいいのじゃないかということもあり得ると思います。私は、それも一つの考え方だと思います。
 ただ、イギリスが基本的に不招請勧誘を原則禁止にして、一部解除していくという形をとったのは、恐らく、要するにこれは自主規制機関に届ければいいということになっているわけですから、自主規制機関に入らないような人たちに対しては勧誘は全然できませんよというふうに、強力な悪徳業者規制になるということが、これが多分一番大きいのだと思いますけれども、加えてコンプライアンス、自分たちの会社の中で規律を作り、それを自分たちで守っていくんだということを育てようとしている。あるいは「勧誘は禁止する」というふうな言い方で、勧誘に余り頼らない営業をしなさいと。勧誘と営業とがどこまでイコールなのか、私も難しいとは思いますけれども、そういう全体の雰囲気作りにも役に立っているのではないかというふうに思います。ですので、日本でも十分検討し得る可能性のあるルールではないか。
 もちろん、アメリカのSECに対する届出なども、多分同じような機能を果たしているのではないかと思うんですが、コンプライアンスを醸成すること、それから、自主規制に服さないような、そういう機関に対して実効的な規制ができる。不招請勧誘であれば、勧誘だけですぐ取り締まれるわけですからね。ということを日本でも工夫する必要があるのではないかと思います。
 それから、時間を節約したいと思いますけれども、適合性の原則についても一言だけ指摘を述べますと、いわゆる投資経験とか知識だけではなくて、投資目的への適合性の確保ということも大事だということを述べております。これは、今までの例えば証券会社での取引開始基準ということで、経験とか知識だけではなくて、御本人がどういう目的を持っているのかということを確認して、それに適さない商品は勧めてはいけないというような決め方も必要なのではないか。
 ここも若干御参考までにですけれども、私の資料の8枚目、9枚目に、英文の小さな字になっているものを入れました。これは、中身はちょっと読みにくいかもわかりませんが、割と分厚い本で、アメリカの仲裁のマニュアルのような本です。五、六百ページあるような枕になるような本ですけれども、そこに、原告代理人として事件を受けるときにこういうことに注意しなければいけないということが、この 120ページ以下のところに書いてあるわけです。「KNOW THE CHANCE OF SUCCESS」と、自分が勝てるかどうかよく考えなさいということなんですけれども、その考えられる類型のうちの、 121ページの上の方ですが、1.に「Unsuitability 」、いわゆる適合性原則のことが載っていまして、適合性原則というのは、一番最初に原告代理人として考えるのが、よくあるような類型であるということを御紹介しようと思って持ってきました。その程度にします。
 ということで、勧誘のルールの作り方からも、いろいろ実効性確保のための工夫ができるのではないかと思いますけれども、それとは別に、特にエンフォースメントを強化するために、いろいろ工夫のしどころがあるのではないかということを、弁護士会の意見書の方ではかなりうだうだと書いております。
 簡単にまとめますと、やっぱり最終的には、裁判で正義が実現するということが最終的な担保になるだろうということで、民事裁判が早く、しかも適切に行われるように、そのための援助規定を作るべきではないか。特に証拠の確保の問題ですね。これは業者からも証拠を出していただきたいですし、証拠開示の問題。それから、監督官庁が集めた、あるいは取引所が集めた証拠なども利用しやすくすべきではないか。ここは実際、現在のところは、ほとんどその証拠は確保できないというようなことで、証券会社側の証人と原告とが言った、言わない」の争いをしているというのが実情かと思います。
 それから、同じことかもわかりませんけれども、問題は、裁判官がどちらの言い分もよくわからないなというときに、どういう判断をすべきかということで、立証責任の分配の問題とか、あるいは、何かこういうことがあれば金融機関側の過失が推定されるというようなことを決めるやり方であるとか、あるいは、ここでも何度か議論になりましたけれども、取締り法規違反の場合に民事的な効果が付与されるようにするべきではないか。あるいはクラスアクションの導入なども必要ではないかというふうに思っています。
 それから、最初にも申し上げましたけれども、工夫がなかなか難しいということの一つの類型として、いわゆる集団投資スキームの問題があります。これは要するに弁護士も含めてかもわかりませんけれども、専門家にお任せした場合、その専門家が本当に依頼者・顧客の利益のために、どういうふうにすれば動く。あるいは動かなかったときに、どういう規制が、あるいはサンクションが働くようにできるのかと、そういう工夫なわけです。これは利益の出る場合は、歩合給にしておけば、とにかく私も訴訟に勝てば報酬が入ると思えば頑張ると、こういうことになるわけですけれども、問題は、損をしたときに、1倍の損でも 100倍の損でも、報酬は入らないということで同じ、変わらないということになりますと、どうしても−−私がとは言いませんけれども、一か八かの勝負に出ると。負けたってどうせ報酬ゼロなんだから、とにかくリターンの高い方に賭けようじゃないかというふうに専門家がならないようにするためには、どうしたらいいのかという問題で、これは結構難しいんじゃないかと思っています。
 最後になりますが、いずれにしても、そのエンフォースメントを充実させるためには、裁判上の工夫であるとか、あるいは、レジュメの方に挙げませんでしたけれども、監督官庁の役割も、今とはかなり形態が違うかもわかりませんけれども、残るのではないかというのが弁護士会の問題意識ですけれども、それだけではなくて、やはり新しい商品を開発される方が、これまでのようにどこかに届け出ないとなかなか許可がおりないということではなくて、どんどん新しい商品が出せるという世の中になるわけですから、そのときに、一番その商品を知っておられるはずの売る方が、あるいは製造した人たちが、自分たちの中で商品の構造の分析をし、あるいはその価格がどういうふうに変動するかのメカニズムを研究し、あるいはリスクのことも研究した上で、どこまでお客さんにそれを知らせるべきか、あるいはどういうお客さんには売らない方が利口なのかということを考える。そういう内部アセスメントをした上で、自分たちの作ったルールを自分たちで守れるようにコンプライアンスが充実していくということがキーポイントではないか。
 ただ、それは金融機関の方々に「よろしく」というふうに言うわけではなくて、制度として、それをすれば得をする。あるいは、そういうことがなければ裁判では負けちゃうと。あるいは、お客さんが損をして損害賠償をしなければいけない場合でも、コンプライアンスが充実していれば若干減刑されるとか、これはアメリカの刑事裁判でそういうことがあるらしいですけれども、そういうふうな工夫が必要なのではないかということになります。
 以上、弁護士会の意見書の中にきっちり書いてあることと、私の私見とがちょっとまじっちゃいましたけれども、御紹介ということで許していただきたいと思います。
 以上です。
○蝋山部会長 どうもありがとうございました。
 ただいまの上柳委員の御報告に関しまして、お二人にコメントを用意していただいております。原委員と能見委員です。
 原委員、まず、よろしくお願いいたします。
○原委員 本来なら、1枚ぐらいレジュメをお出しするというお約束だったんですけれども、ちょうど私どもの機関誌の発行が今日だったもので、何かばたばだしておりまして、口頭だけになります。申し訳ありません。
 まず、日弁連さんの意見書を読ませていただいて、全体のところに書かれていらっしゃった、流れ懇の中に消費者が入っていない。だから、流れ懇の報告書の中に随分「消費者」という言葉は登場するんですけれども、メンバーの中に加わっていないという点を指摘していらっしゃる点は私どもも同感なんですが、ただ、ちょっと私、残念に思いましたのは、日弁連さんの意見書にもうちょっと期待していたというか、もうちょっと肉付けされて、もっと具体的な提案という形で出るかなというふうに思っていたんですが、その方向性としては、私ども全く異論はないんですけれども、時間が足らなかったのかなというのが第一印象です。
 それで、レジュメを用意いたしませんでしたけれども、五つほど論点を考えてきております。一つは、消費者像についてです。それから、二つ目は、前回ちょっと舌足らずに発言をしてしまいましたけれども、リスクというものの捉え方ですね。消費者から見てのリスクという捉え方。それから三つ目が、勧誘規制というところになるかと思いますけれども、説明義務と適合性の話。四つ目が、実効性確保のための、これがルールというのでしょうか、一番大きなポイントになるかと思いますけれども、四つ目。五つ目が、消費者保護と消費者教育ということに分けてお話をしたいというふうに思います。
 最初の、消費者像をどこに置くかということなんですけれども、今の御発言の中にもありましたけれども、流れ懇の中で捉えられている消費者というのは、あくまでも本当に自立をした消費者。金融業者とも対等の土俵で、情報格差ということはあるにしても、望ましい消費者像ということで組み立てられておりますけれども、やっぱりそこは、特に 1,200兆円のかなりを高齢者層が握っているということを考えますと、保護されるべき消費者というのも存在するのではないかと。その保護されるべき消費者というものを、これから将来にわたっての過渡的な存在と捉えるのか、それとも、それは将来にわたって少なからず存在をしていく層というふうに捉えるのかということで、法律、金融サービス法の組み立て方も違ってくるのではないかと思いますけれども、私としては、今の消費者の実態を見ると、先ほどの資料の中に、投資信託とかそういう経験者というのは9%という図がありましたけれども、ほとんどが預貯金と保険の世界で皆暮らしておりまして、一足飛びに自立をした消費者というところまでは、なかなか実態としてはありませんで、何らかの工夫が必要ではないかというふうな感じがしております。ですから、消費者像は、まず実態から出発をしていただきたい。その実態が救えないような法律であっては意味がないというふうに考えております。
 それから、2番目が、金融取引とリスクの概念の整理なんですけれども、日弁連の報告書、それから流れ懇にもありましたけれど、リスクというものが金融商品に付随するものなのか、内包するものなのかというふうな提案というのでしょうか、どういうふうに考えるのかということが書かれておりましたけれども、消費者としては、リスクは本当はできるだけない方がいいんですけれども、目論見書を交わすときに、最後の3番目の項目ですけれども、一体どこまで消費者はリスクを負うべきなのかですよね。どの範囲までを消費者のリスクとして、取引を成立させたときに、自分は負ったというふうに考えているのか、それとも考えるべきなのかというふうな感じがしておりまして、当然、為替リスクですとかというのは、個々の金融機関の力が及ぶ範囲ではありませんけれども、でも、販売ですとか、運用ですとか、管理ですとか、それぞれの場面での専門家として、日弁連さんの意見書には「受託者・専門家リスク」というふうに書かれておりましたけれども、やっぱり専門家リスクというのでしょうか、そのシステムの中に内在するようなリスクというものは、本来やはり消費者が負うべきものなのかどうかというのは、前回のときも、そういった形で発言をしたつもりだったんですけれども、このあたりは、はっきりしていただかないと、今のRRで1から5までの分類で、大分この広告などでも使われるようになりましたけれども、まだ消費者としては、うまくそのリスクというものを理解していないというふうな感じがあります。
 それから、リスクとなると投信に話が傾きがちですけれども、ほとんどが預貯金と保険の世界にまだおりますので、特に日産生命のようなああいう保険会社の破綻がありますと、預貯金とか保険あたりまでは、自分たちとしてはリスク負担は余り考えていませんので、金融サービス法を考えるときに、このあたりのリスクはどう考えるのかも視野の中には入れておいていただきたいと思います。
 それから、3点目が勧誘規制の部分ですけれども、中身は説明義務と、それから適合性の原則の話になるかと思いますけれども、確かに説明義務のところでは、流れ懇でも、それから、日弁連の報告書の中でも入っておりますけれども、何を説明したらいいのか、その中身ですよね。何をどこまで説明したら、その商品というものがはっきり理解しているのかどうかというふうな感じがありまして、今の私の知っている人で、外債に手を出して何百万円か損をしたという主婦がいるんですけれども、何百万円も損をするほどなんて、ちょっと私も本当にびっくりしちゃったんですけれど、彼女はそれを取りやめたんですね。何の情報で彼女は取りやめたかというと、円安とか円高の動きを彼女なりに見ていて、その商品をやめたわけなんですけれども、たったそれだけの情報でやめたのかしらというのが私なんかの感じで、ほとんどその商品を理解せずに購入して運用していたという感じがするんですけれども、では、そのとき一体どれだけの説明を販売のところがなさったのかどうかですね。何をどこまで説明なさったのかという内容と、それから、対象者側の問題として、これはこの下の分科会の方でも検討されておりますけれども、プロとアマの区別ですとか、アマといっても個々の消費者によって本当にレベルが違いますので、それを例えば、この内容まで説明をしたら説明義務は終わったというふうにすべきではないと思うんです。
 だから、一律にここまでの説明義務ということでとどまるものではなくて、相手方の状況というのでしょうか、そういった受取り者の消費者の状況によって、その説明義務というものも変わってくる部分があるのではないかというふうに思っておりまして、言葉としては随分浸透してきておりますけれども、何をどこまで。それから対象者をというところでは、もっと丁寧な分析が必要だというふうに思っております。
 それから、適合性の原則のところですけれども、これは日弁連さんの方で付け加えられて、資産とか投資経験だけではなくて、投資目的も配慮すべきだというふうに書かれておりまして、例えば老後資金というふうになれば、安定的な金融商品でなければということになるかと思いますけれど、やっぱり投資目的まで考慮に入れるべきだというふうに思っております。
 それから、適合性のところで大変気になりますのが、先日、新聞社の方、経済部の記者の方とお話をしたんですけれども、かなり今の投資信託、いろんな商品設計というのが50代以降の女性を狙っているということで、御主人が定年退職になられる。少しお金が入っていると。奥様の方もある程度の知識を持っていらして、お金もあるという、そういう50代以降の女性をかなりターゲットにしたような商品開発ですとか勧誘というのが行われているという話がありまして、たまたま私どもの方の一般の消費者向けの講座でそのお話を聞いたものですから、やっぱり会場から何人もそういうところに該当する方から手が挙がりまして、恐らく私自身がその該当者になっていると思うというようなことで、先ほどの何百万円かという方もありましたけれども、やっぱり4人ぐらいの方が手を挙げられたんですね。そうすると、適合性の原則といいながら、今の商品設計とか、それから、商品の売り込みの仕方というのは、私が金融機関であれば、何かやっぱりターゲットを持つと思うんです。そういう意味で、金融機関の販売をしていく営業姿勢の部分と、この適合性のところがどういうふうにリンクをするのか。それとも、うまくいかないような場合に、この適合性の原則というのをどう当てはめていったらいいのかというのは、言葉としてはあるんですけれども、相当難しい部分ではないかなというふうな感じがしておりまして、ここはもっと議論を詰めていただきたいと思います。
 それから、その中で述べられました不招請勧誘についても、今は日本はほとんど野放しで、夕飯を作っているときの電話ですとか、それから、投げ込みのチラシも大変多いです。実際に新聞広告などに出るようなものというのは、大多数の方の目に触れるということで、ある程度の自主規制のようなものがあるような気がするんですけれども、ああいったチラシですとか、それから、電話勧誘の部分では、本当に「見た」「見ない」とか、「言った」「言わない」の部分が大き過ぎて、この野放しの部分は何とかならないのか。全く全部禁止をするというところほど、これは営業の自由というところもあるかと思うんですけれども、何らかの網は必要ではないかなというふうな感じがしております。
 それから、4番目が、ルールの実効性確保が大きなポイントというふうに書いておりますけれども、これは流れ懇の中でも、日弁連の意見書の中にも述べられているとおりで、立証負担のあり方、「言った」「言わない」、「説明した」「説明しない」みたいなものの担保の取り方ですとか、コスト増加分の配分ですとか、懲罰賠償や刑事罰については検討を深めていただきと思います。
 あと、ここの場面で言っておきたい2点というのは、これまで金融というのは事前規制という形でやってこられて、ここは 180度転換をして、事後規制というようなところにいかれるんですけれども、それが本当にうまくいくのかどうかです。事前規制で残らざるを得ないというか、新たに作らなきゃいけない事前規制というようなものもあるような気がいたしますので、実効性確保の面から、事前規制と事後規制の役割分担については再検討していただきたいと思います。
 それから、登場してくると思われますのが、自主的な規制機関のあり方という部分だと思いますけれども、これも、例えば東京都の消費生活センターで相談をやっていらっしゃる方などにお聞きしますと、証券センターなどでやられている仲裁というのは、年に4件くらいで非常に少ないと。そういったところが本当に機能していくのかどうかということですので、自主規制というもののあり方も、もっと深めていただきたいと思います。
 それから、5番目が、消費者保護と消費者教育の部分なんですが、これは私は、流れ懇で見ましたときに、項目として8番目なんです。1.2.3.4.5.6.と並んで8番目で、何かちょっと付け足しっぽいなという印象がありまして、その中身は、説明義務、不実告知の禁止、威迫とかそういったものの禁止ですね。それから、不当な契約条項は無効。それから、クーリングオフというお話が入っておりましたけれども、これは今、私どももやっています消費者契約法ですね。ここの中にほとんど取り込まれている概念ですので、プラス金融商品独特というのでしょうか、金融商品独自の取組み方というのがもう少しあるのではないかと思っておりまして、そのプラスアルファの部分をもっと期待したいというふうに考えております。
 それで、日弁連の意見書を読みましたら、やっぱりこれではだめだというふうには書かれてあるのですが、それ以上にまた日弁連の意見書は何も書いてなくて、流れ懇では信用供与の話ですとか、それから、悪質事業者の排除の話とかまで書いてあったんですけれど、日弁連はそこをもうちょっと書いてなかったので、肉付けがまだまだかなというふうに思いました。
 私としては、金融サービス法ということで考えるのでしたら、できるだけ幅広く、そしてシンプルなもの、そういう感じのものを思っておりまして、あとは、いろいろな論点で出ている部分はその通りだと思うんですけれども、私としては、金融取引をスタートする時点、先ほどの適合性にしても説明義務にしてもそうなんですけれども、勧誘時ですとかスタートする時点とかに今の話は力点が置かれているようで、契約途中というのでしょうか、金融商品の契約途中。保険などになると本当に長期の契約になりますけれども、そういった契約途中ですとか、解約をする場面とか、その辺の問題点の洗い出しは、まだ余り流れ懇でも、日弁連の中でも、やられていないのかなと思っておりまして、そこはもっと議論をしてみる必要があるのではないかと思っております。
 消費者教育ということは、これはサービス法の中に入れるべき話ではないかもしれませんけれども、何人も投資信託なり、いろんな金融商品をやっている人たちに私は話を聞いてみたんですけれども、ほとんどやっぱりよく御存知ないですね。商品そのものを御存知なくて、会社に任せていらっしゃる方がほとんどでしたから、そういう意味では、消費者教育というのは、健全な事業者を育てる意味でも大変必要だというふうに思っているんですが、その方たちにお聞きしても、手立てがないんですね。だから、今までは本当に大蔵省とかにお任せをしていた部分があるかと思うんですけれども、自分たちで勉強しようにも、ほとんど手立てがなくて、最近、新聞広告なんかで、「投資信託を始めたい方は資料請求していただければお送りします」というような形のものも出てくるようになりましたけれども、消費者教育が必要だと言うからには、その手立てというものの準備も始めておく必要があるのではないかなというふうに考えております。
 ですから、私としては、流れ懇の議論も、それから日弁連の意見も、もう一度消費者という視点から、消費者がそういった広告に接する場面、それから取引を開始する場面、そして契約を終了する場面、それぞれに消費者側から見てどうなのかという形での再構築をしていただいて、論点を明確に出して、みんなの議論になるようにしていただきたいというふうに思っております。
 以上です。レジュメがありませんで申し訳ありませんでした。
○蝋山部会長 どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして、能見さんからも御意見をお願いします。どうぞ。
○能見委員 私のは、一応レジュメみたいなものはございますけれども、これはお二人の御意見を伺う前に簡単にまとめたものですので、今のお二人の御意見を伺った上で、必ずしもこのとおりではなく、少しお話をしたいと思っております。
 最初に、何といっても、これは上柳委員からも原委員からも出てまいりました基本的な視点。そして、その視点の中では、消費者とか、あるいは投資家とか、利用者という言葉が出てまいりますが、そういうものとしてどういうものを想定するのかというのが第1の視点として重要だろうと思いました。
 しかし、この問題に入る前に、もう少しある意味で、基本的な視点といってもいろんなレベルがありまして、もう一つ前の、もっと大きいというのでしょうか、全体的な構造的な視点というものについて触れたいと思います。
 やはり金融商品、金融取引にせよ、あるいはほかの取引、消費契約で問題となる取引も全てですけれども、基本的には、ある商品についてのマーケットがあって、そこで商品を供給する側と、それからそれを買う側とがいて、買う側には、もちろんプロがいたり、あるいはアマ、消費者がいたり個人がいたりする。そういうマーケットの構造があるんだろうと思います。
 ここでの基本的な視点というのは、一方で、そこでの取引というものが、情報格差とかそういうものが放置されるために、一方的な不公正な取引であるということになりますと、これによって不利益を、常にとは言わなくても、かなり多くの場合に不利益を受けるという側がいますと、これは基本的に、そのマーケットには参加しなくなってくる。しかし、逆に金融商品に関して言えば、リスクですとか、そういうものについて十分合意が既に事前になされていたのに、後でそのリスク配分が修正されてしまうということになると、今度は金融商品を提供する側がそういうものを提供しなくなったり、あるいは金融商品についての開発、イノベーションが阻害される。そういう構造があるんだろうと思います。
 こういうマーケットというのは、恐らく今の金融商品に限らず、普通の製品でも全く同じことでして、そういう意味では、金融取引であるか、あるいはそれ以外であるかによって、そんなに大きな違いは私自身はないと思います。
 しかし、金融商品というものについて、何かほかのものと違いはないのか。先ほど原委員からも、消費者契約法との関係がちょっと御指摘ありました。これも実はかなり重要な問題で、今の問題と関連するんですが、やはり金融商品についての何か特徴はないかといいますと、私、そんなに金融の専門ではございませんけれども、いろんな人たちの書いているのを読んだり、あるいは御意見を伺いますと、やはり金融商品というのは、恐らく利潤とリスクがある意味でセットになった、そういうものを買っている。そういう意味で、何といってもリスクについての配分、それ自体についての合意が基本的な合意の中身になる。そういうものが金融商品であろうと思います。これはほかの商品には、物などに関しては普通は見られない現象です。
 こういった特徴からどういうことが導かれてくるのか。これは上柳委員あるいは原委員も、そういう特徴からどういうものが−−特徴自体についての捉え方は少し違うかもしれませんが、どういうふうに具体的なルールが出てくるのか、そういう視点で話をされたと思います。基本的には、そういう金融についての特徴から、どういうルールが必要なのかというのを導くという基本的な姿勢については、私も全く同感であります。
 さて、今のようにリスクと利潤とセットになっているわけですけれども、それを購入する、そういう商品だということになりますと、中心的な商品の中身であるリスク、あるいは場合によっては利潤もだと思いますが、それについてとにかく十分説明がなくてはいけない。
 ちょっと話は戻るかもしれませんが、リスクと利潤をセットにした商品だということになりますと、先ほど言いましたけれども、リスクの配分が後で変わってしまっては困りますから、そういう意味で、合意したリスクは引き受けてもらうというのは、ある意味で当然なことなのですけれども、そういった自己責任といいますか、危険の引受けということが求められる。自己責任を問うていい。リスク負担を求めていい。そういうことを求めることができるのは、一体どういう条件の下においてなのかというのがここでの問題だろうと思います。
 それで、話は前後しましたが、そういう自己責任を問うための条件ということになれば、当然ながら、そのリスクについての十分な説明をしなくてはいけないということが大前提となります。
 ただし、ここでもお二人の間から非常に細かく、具体的に、しかし、どういうリスクについて、あるいはリスクだけでいいのか。どういうものについて説明をしなくてはいけないのかという問題がありまして、それぞれ詳しいお話がありまして、私も基本的にはそういうものについて賛成ですが、そのリスクの中にもいろんな異なった種類のリスクがあって、前回もちょっとお話をいたしましたが、価格の変動に関するリスクというのは、まさに金融商品特有の問題だと思いますけれども、前回は余りいい言葉を使いませんでしたが、今日は、レジュメでは「スキームのリスク」という言葉を使わせてもらいましたが、あるいはこれも本来違った意味で皆さんはお使いになっているのかもしれませんけれども、金融商品全体が仕組まれているスキームのリスク。これは必ずしも金融商品特有の問題ではなくて、恐らくサービス契約であって非常に複雑なものでありますと、場合によってはそういうものが出てくるかもしれません。
 ということで、そう特有ではありませんが、しかし、金融商品において、どんどん複雑な商品が出てきているというのも現実でありますので、こういうスキーム・リスクというものについても十分説明が必要で、それに同意して、顧客なり消費者はそれを購入する。そういうことがあって、初めて自己責任を問うことができるのではないだろうかと思います。
 自己責任を問うための、今のは第1の条件なんですが、第2番目の条件。これが非常に私は難しい問題を引き起こしていると思うんですけれども、それは、情報は開示したけれども、相手がそれを十分理解できない。判断能力の問題、あるいは経験の問題とか、いろんなものが入ってまいりますが、これをどう扱うかというのが、ほかの商品と、あるいは金融商品とで若干違う分かれ目になるのかなという気もしております。今のような能力の問題というのは、能力だけではないかもしれませんが、これは上柳委員も、適合性の原則の中で、もっと広い投資目的、いろんなものを入れるべきだという形で、もうちょっと広いものを捉えておられますが、恐らく適合性原則の一番中心的なものが、この能力の問題でして、情報は提供したけれども、十分判断できないような相手に対してどういうふうにすべきか。それを特に取引ルールとしてどう考えるか。あるいは業者ルールというのもあるかもしれませんが、どういうルールで対処するかという問題です。
 普通の金融以外の商品ですと、恐らくほかの製品でも、例えば危険なものは未成年者に売らないとか、若干はそれに似た、適合性原則に似たものがあるかもしれませんけれども、非常に例外的でして、金融商品には、むしろそれが非常に正面の問題となってくる。これの扱い方は、恐らく理論的にもいろんな立場があるかもしれませんが、一つは、そういう適合性原則というものを非常に正面に出して、あるいは取引をする相手方を選ぶ段階でそれを使って、こういう人間については危険なリスクを含んでいる商品の取扱いは、取引の当事者としては適当でないので、絞ってしまう。現にそういうことも行われていると思いますが、そういう形で能力の問題、適合性の問題というのを金融商品については使うというのが一つの立場です。そういうふうにして絞りをかけた上で、ふるいにかけた上で、しかし、残ったものについては、厳格にと言うと大げさですけれども、自己責任というものを問うという一つの扱い方が金融商品についてはあり得ます。
 ただ、これは私もちょっとどちらがいいのかまだよくわかりませんが、どうもそういう適合性の原則で、こういう人たちに対しては金融商品は売らない方がいいという形で、市場から一切排除されてしまうというのが適切なのかどうかというと、ちょっと私も結論ははっきりしませんけれども、余り適当ではないという気もしております。
 さて、その適合性原則の使い方のもう一つのタイプは、一応全て市場には参加できる。参加できるけれども、そういった能力などの問題を考慮しながら、例えば説明義務の範囲、あるいは内容というものを問題にする。あるいは、上柳委員が言われましたように、単にリスクの説明だけでなくて、理解してもらうということまで求めるという形で、説明義務の範囲などのところで考慮するというタイプかと思います。いずれにせよ、適合性原則の扱い方が金融商品については相当ポイントになりそうだと。
 この適合性原則が重要であるということは、お二人とも強調されておられると思いますけれども、その理論的な位置づけというのが私にもまだ十分理解できない。弁護士会の説明も、ちょっとまだ私にはよくわからない。あるいは、どういう方向でそれを考慮したらいいかという問題についてよくわかりませんで、私が今御説明したような取扱い方があるのかなと考えました。
 さて、今のようにリスクと利潤をセットにして販売する商品であるという金融商品の特徴から幾つかの論点を引き出してまいりましたが、そういったリスクについての扱い方の特徴を踏まえながら、今度はもうちょっと具体的に、金融取引のルールというのは、そこからどういうふうに影響を受けるか。どういう形でルールを作るべきか。これも細かい話は、いずれ、あるいはワーキング・グループなどで出てくるときに、またさらに議論のチャンスがあればしたいと思いますけれども、これは流れ懇の方にも出てまいりますが、取引ルールと業者ルール、あるいはまさに市場ルールとありますが、この三つの関係というのは必ずしも明確ではないと思うんです。市場ルールというのは、それなりに明確ではあると思いますが、取引ルールと業者ルールというのは、果たしてどれほど明確なのかというのが、どうも余りはっきりわかりません。
 ちょっとこれはお二人のコメントとは直接関係ないような話をしてしまいますが、例えば分別管理義務ですとか、あるいは先ほどの勧誘規制も、そういう意味では同じような問題がありますけれども、勧誘規制とか分別管理、あるいは投資スキームのフィデューシャリーの義務、いろいろなものが出てまいりますけれども、これは一体取引ルールなのか、業者ルールなのかというと、どうも余りはっきりしないんです。例えば、財産を預けて運用してもらう。これは信託であろうが、あるいは委任という形をとろうが、いずれにせよ契約の中身から運用してもらうんだと。専門家に運用してもらって、中身から分別管理とか、あるいはフィデューシャリー、そういうものが出てくる余地は十分ありまして、そういう意味では取引ルールであると言えそうです。しかし、他方でそれを業者ルールというふうに位置づけるような考え方もあり得るかもしれません。
 ここら辺の問題は、そもそも金融サービス法というものを基本的にどういうふうに組み立てるか。私は、取引ルールというものを中心に組み立てるのがいいんだと思いますが、つまり業者ルールというのはある種の規制で、これはもちろん最低限必要なものは必要で、取り入れた方がいいと思いますけれども、余り業者ルールというものに頼るよりは、できるだけ取引ルールというもので扱った方がいいだろうというふうに思っております。そういうことで、先ほどの金融商品から出てくるいろんな特徴から、具体的にルールを作るときに、どこまで取引ルールでカバーできて、どこが業者ルールでないとだめなのかと、そんな観点から整理する必要があるのではないかという気がいたします。
 それから、ちょっと私のレジュメに余り関係なく話を進めておりますが、真ん中の辺に、「広告・勧誘・取引方法」を(2)として書いてありますけれども、お二人とも勧誘規制という形でお話しされた点に関連してであります。
 真ん中ほどに、a、b、c、d、e、f、gと、これは今までの各種業法などで、取引方法に関する規制ということで出ているのを、ちょっと私なりに整理したものではありますが、金融商品に関連して、恐らくこの中で問題となりそうなものというのは、cとfとgなどが関係するかなというようなことを感じております。
 今日の話は、その勧誘規制だけに絞りたいと思いますが、上柳委員からもイギリスの例などを挙げられました。それからまた、原委員も強調されましたけれども、私は、例えば勧誘規制にしても、これも先ほどのどういう根拠でこれを正当化するのかというふうに考えていくと、そう簡単でない問題があって、取引ルールという形で、ある種の信義則的なものとして位置づけることももちろんある程度は可能だと思います。できるだけ私はそういう形で位置づけた方がいいとは思いますが、そういう位置づけを十分詰めないで、こういうものが必要だから業者ルール的な視点から入れてしまおうというのは、私は必ずしもそういう考え方で入れるのは賛成ではありません。
 しかし、勧誘規制というものが、恐らく金融商品、リスクの売買、しかも複雑な商品についての勧誘については、ある種のものが必要であろうとは思います。ただ、今言った基本的な立場からすると、余り強い業者規制的なものはどうも適当ではなくて、私はここでも基本的に、サービスを提供する側の金融業者と、それから顧客といいますか、そちらの両方がそれぞれイニシアチブを取って、それなりに自分の権利を発展させることができるようなスキームがいいのではないか。
 そういうふうにして考えますと、これは上柳委員のイギリスと似ているとは思うんですが、アメリカのコールド・コーリング・ルールというのがあると思いますが、これは電話で勧誘してくるものですね。これについて、アメリカ法の立場を私なりに理解いたしますと、そういった勧誘自体がいけないというのではない。勧誘は勧誘で、適切な情報が提供されることもあるので、それはそれで一応合法的である。しかしながら、そういうコールド・コールを受けた側、消費者は、それに対する対抗手段としていろいろなものを持っていて、例えば、もう自分のところには電話するなということを申し出ると、その会社からは、その人間あるいはほかの人間、誰であっても電話することはできない。会社にdo not call listというのがあるそうですが、そこに自分の名前を載せてくれと言うと、そのリストに載った人間に対しては、その会社からは電話してはいかぬというような形になるようであります。これはもちろん消費者の側でそういうことをしないと、そういう権利を行使しないとだめなわけで、そういう意味では、業者の側の取引の自由、あるいは勧誘についての意義と、それから、消費者の側の権利を調整する手段として適当ではないかという感じがいたしました。
 それから、あと1分だけ。上柳委員の弁護士会の立場として、具体的な救済というのが非常に強調されまして、私もそれは非常に賛成でございます。エンフォースメントのところに、一番と言うと大げさかもしれませんが、弁護士会における非常な関心が、また、ノウハウが蓄積されておりまして、それがぜひ実現されたらいいのではないかと思いますが、一言ちょっと付け加えますと、私のレジュメで、エンフォースメントのところに「金融商品のクロス・ボーダー性と保護の実効性」という形で書きましたが、金融商品は、現在も既にそうですけれども、海外といろいろ提携して行われている。そういうときにおける保護の実効性というのはどうなるだろうかという問題です。
 前回もちょっと話をいたしましたが、このクロス・ボーダー性の問題と関連する問題は幾つかあると思いますが、一つは、説明義務のところで、リスクの説明のところで、スキーム・リスクといいますか、海外で扱っていることによるスキーム・リスクをどう説明するかという問題、あるいはその負担をどうするかという問題ですが、もう一つは実効性の問題です。恐らく金融業者の中には、私も仮に金融業者であれば、こういうことをするだろうという感じがしますけれども、自分のリスクを限定したいということで、海外の提携している業者は、やはり独立のちゃんとした業者なので、その業者についてまでは私は責任を負えませんという形で、免責を1行明確に入れるということが考えられると思います。
 ところが、そうすると国内の消費者は、結局、海外の当事者と直接対決をしなくてはいけないという状況になります。これは非常に恐らく保護の実効性ということになりますと相当問題で、これについてどういうふうにしたらいいかというのは、ちょっと私もよくわかりませんが、そういうものについても十分検討が必要であろうというふうに考えております。
 それから、海外の提携相手というのが出てまいりますと、日本で金融サービス法で取引ルールだとかいうものをいろいろ作っても、これは間接的ですから、直接取引ルールは適用されない場面かもしれませんが、しかし、fiduciary みたいなものは、スキームの中の当事者全てに及ぶというような考え方は可能だと思いますので、そういうルールを作ったときに、どこまで海外まで及ぶのかと、いろんな関連した問題がこのクロス・ボーダー性と関連してあるのではないかという感じがいたします。
 ちょっと時間を2〜3分オーバーしまして、このぐらいにさせていただきたいと思います。
○蝋山部会長 どうもありがとうございました。
 上柳委員、原委員、能見委員、感謝いたします。
 これから自由なディスカッションに移りたく思いますが、私としては、まずは一番初めに、それぞれおっしゃられましたけれども、我々が念頭に置くべき投資家というのは、どういう投資家なんだろうかという点について、お三人、恐らく現実の投資家というふうにおっしゃっているように、私は意見が一致しているように思いましたけれども、上柳委員は「等身大」という表現を使っておられますが、それがわからないから−−それは本当にわかっているんでしょうか。現実の投資家、いろんな投資家がいると思うんですけれども、念頭に置くべき現実の投資家というものはどういうものであるかというのが、一つ議論するに値する課題ではないか。
 もう一つは、そういう投資家というのは、今後も現実は時代とともに変わっていくわけで、これから先を見通したときにどうなっていくだろうかという点も考えておかなければいけないんじゃないか。こういうイシューがあるのではないかというふうに思います。
 それから、リスクという問題。投資にはリスクが伴います。そして、どういうわけか、銀行に預金を預ける。郵便貯金をするというのは、「貯蓄」と俗には言うらしいですね。だけれども、少なくとも将来の所得というものを得ようとする。それはキャピタルゲインであるか、インカムゲインであるか、利子配当であるか、価格差益であるか、いずれにせよ将来の所得を買っているわけですから、必ずリスクというのはあるはず。しかし、そのリスクがない商品ですよ。少ない商品、ない商品ですよ、私が生きて限りは、というような、いわば元本保証の商品と、しかし、もしも相手が死んでしまったら、この世の中にいなくなっちゃったらパーになるという意味では、倒産のリスクはあるわけですけれども、デフォルトのリスクはかぶるわけですが、従来、非常に幸いなことにか、不幸なことにか、リスクというのを考えないで済んできた時代。それが今や水と同様に、安全も難しい時代になってきた。こういう時代認識をどういうふうにお考えなのか。
 2番目は、リスクについては、商品のリスクのところが非常に強調されましたけれども、実はリスクを考えるときの一番基本的な原則は分散で、投資で言えば分散投資ということですね。そういう投資に伴うリスク、投資行為にはリスクが伴うという問題をどういうふうに考えるべきなのか。そして、それは投資という行為とのデフィニションとも関係するかと思いますけれども、そういう問題もあるのではないだろうかというふうに思います。
 それから、上柳委員も、皆さんお三人とも指摘された重要な点として、ともかくルールを決めて、それをどういうふうに実効性を高めていくかという問題。そういうような三つの点が重要かと思いますので、ぜひどこかのところで御意見、触れていただきたいというふうに私は思います。
 そういう点で、どなたからでも結構です。いつも口火を切ってくれる岩村君がいないわけですが……。
 それで、私の横の方は、ちょっとマイクオンというグリーンのボタンを押してください。そうすると灯が点きますので、わかります。
 どうぞ、柳川さん。
○柳川委員 私のコメントというか御質問は、多分、今、部会長の方からおっしゃった最初の消費者像の話と、それから、2番目のリスクの点に関わることなんですけれども、先ほどちょっと出ましたが、今の消費者像なのか、将来変わっていく利用者を念頭に置くのかというのは、一つ私も気になるところでございまして、だんだんルールが変わっていけば、当座の利用者も変わっていくのだろう。それを念頭に置きつつ、かといって今すぐには変わりませんから、その部分をどういうふうに対応し、バランスをとっていくのかというのが一つ重要かなというふうに思います。
 それに関連しているんですけれども、先ほど皆さんから、適合性原則あるいは判断能力の問題という話が出てきましたけれども、おっしゃっていたように、今、高齢者の方はかなりの人数いらして、その人たちが投資家のかなりのパーセントを占めているというのは事実だと思うんですけど、その人たちに、いわゆる判断能力が不十分である消費者、利用者。先ほどおっしゃったような適合性原則に当てはまるような人たちと考えるべきなのかどうかというのが少し気になっておりまして、私の感じとしては、多くの方がそういう判断能力がなくて買ってしまったというよりは、今までは銀行から勧誘されたものは全て安全な商品であった。今までは全て保護されてきた。幸か不幸か保護されてきたので、それがそのまま続くと思って、それも安全だと思って、そのまま買ってしまった方じゃないかと思うんです。その意味では、社会のルールなり判例が積み重ねてきた慣習なり、そういうものが、そういうある種の予想を作り上げていった。そのためにそういうものを買ってしまったという部分が大きいのじゃないかと思うんです。
 その証拠に、先ほど銀行が販売されている投信が振るわないという例が出てきましたけれども、それが一つの証拠だと思うんです。要するに、もし判断能力が十分でないのであれば、銀行から勧誘されたら、あるいは窓口にあったらすぐ買ってしまったはずなんです。それを買ってないということは、やっぱりリスクがあるものには手を出さないというぐらいの判断能力が確実にあるんだと思うんです。そこの部分を全て、自己判断能力がないから一律にその人たちに関しては投資を規制してしまいましょうというのが果たしていいかどうか。もちろん、そういう人たちがいることは事実だと思いますし、そういう人たちの保護をしなければいけないと私は思いますけれども、そこの人たちと、そうでない人たちが区別されて、うまくそれぞれに合った商品が提供されるようなルールが必要だと思うわけです。
 その観点からいくと、先ほどの話はどういうことかというと、自己判断能力がないというよりは、今までのルールに基づいて取引されてきたことを延長すると、当然この商品は保護されるはずだ、当然これは安全なはずだと言ってきたものが変わってきてしまっている。変額保険などというものを、あんなにリスクの高いものを今まで来ていた人が提供するはずがない。そういうものは提供されたとしても、きっと我々を保護してくれる。そういう裁判は必ず行われるとみんな信じてやってきたわけですね。その結果、余りよくわからなくても買ってしまったということだと思います。
 そういう状況に対しては、確かにそういうルールでずっと運用されてきたわけですから、そういう人たちを今の段階で保護することに私は意義があると思います。ただし、今ここで議論しているのは、どういうルールを作り上げていくかという話なので、それでは、そういう今までの同じような期待とか信用というものに基づいたものを延長させていいのかというと、それは少し違う気がするんです。この商品は提供されても信用してはいけませんよ。ここは危ないんですよ。この商品は比較的リスクが小さいんですよということを明確に示すということが多分重要で、そうすれば多くの高齢者の方も、そういうものがはっきり情報として流れれば、随分変わってくるのではないかと思うんです。私は、その意味では、全ての方が適合性原則の話を考えなくていいと思いませんけれども、現実にある高齢者の方を全て適合性の話に持っていくのは、少し大き過ぎるかなという話だと思います。
 それから、リスクの観点から申し上げたように、結局そういうリスクをどこまで自分たちはかぶるのかということが明確になりさえすれば、多くの投資家の方、利用者の方も安心して使えるんだろうというふうに思います。そういう意味では、明確にするのがまず第一だと思います。
 ただし、それに加えて、一つは、非常に詐欺的な勧誘ですね。そういうものは明らかに規制すべきだと思いますし、それから、ある程度どうしても 100%情報が消費者に伝わるというわけにいきませんので、ちょうど医者がやることに関して、患者というのは 100%わからないわけですね。 100%医者がやることをわかって手術を受けられるというのは、医者の人が病気になったときぐらいのもので、そういう状況において、その中の任せることをしなきゃいけないという、それに近いことはある程度あると思います。それは先ほどから出ているフィデューシャリーの話だと思いますけど、その部分の負担というものは残ると思いますけれども、基本的には、先ほど言ったような分担の明確化が原則だというふうに思います。
 以上です。ちょっと長くなって申し訳ございません。
○蝋山部会長 そうですね。いろんなことを言ったけれども、一番重要な点についてきちんと説明して、そしてリスクの分担を……。
○柳川委員 分担をきちっと説明して、情報が伝わりさえすれば、多くの高齢者の方はそれを認識して、多分かなりの判断をされるのではないかということです。
○蝋山部会長 そういうような認識に関しては、上柳さん、どういうふうにお考えですか。
○上柳委員 賛成及び反対ということになるんですけれども、やはり基本的には、能見先生の方からもお話しあって、そうだなと思いましたのは、リスク配分についての合意をまさに売買しているんだ、取引しているんだということで、その意味から言うと柳川委員のおっしゃるとおりだろうと思うんです。むしろかなり多くのケースは、要するに、これは私の私見で言えば、まさにリスク配分について安心だよと。あるいは当行が勧めるんだから、あるいは当証券会社が勧めるんだから、当社を信じてくださいよというような形で勧誘がされている例が私の印象としては多いんです。ですから、それも柳川先生のおっしゃり方であると、そんなのは当然いけないんだというふうにおっしゃるんだと思いますけれども、リスク配分が実際そうなのに、そうでないかのように、もっと安心な商品であるかのように勧められている。それが明示的に、極端に言ってしまえば、断定的な判断であるとか、虚偽の説明とか、あるいはニュアンスが違うだけかもわかりませんけれども、そういう感じで販売されて、そこまで言われるなら、あるいは、そこまで熱心にお勧めになるのであれば、ではひとつお任せしましょうかというような形で取引に入った方が多いような気がするんです。ですから、それはそうではなくて、余り保護しなくても、本当にありのまま嘘を言わないと、ルールだけがきっちり守られるということで救われるようにも思うんです。
 ただ、実際には、嘘を言ってはいけない、何か誤解を招くようなことを言ってはいけないというふうに決めただけでは、なかなかそうはならなくて、いろんな仕組みをしないと、現場では実行化されないのじゃないかと、そんなふうに私は金融機関に対して不信を持っているのかもわかりませんが、そんな感じをしています。
 さらに余分に言えば、これまで大丈夫だったろうから、これを買いましょうということで、これまでのプラクティスに乗っかった、あるいはそれに対する信頼、あるいは裁判への信頼というようなこともおっしゃったかもわかりませんけれども、やっぱり端的に言って、金融機関なり証券会社に対しての信頼があったから、「まあ、そこまで言われるならいいや」というふうに買った例が多いのではないかというふうに思っているんです。それを極端な言い方というか、あるべきこととしては、そんな銀行なんか信頼できないんだと、あるいは金融商品なんてそんなものじゃないんだよということを、プレーヤーが全員理解していくという方向になるのだろうなというふうにおっしゃるのだろうなと思うんですが、ただ、一面、やっぱりある程度銀行であるとか、あるいは証券会社であるとかは、最後、よくわからんときは任せても大丈夫だというぐらいの信頼は残ってもいいのじゃないかというふうに一面思っているんです。看板に対する信頼というのか、そこのところが最後、私自身は悩んでいるところですけれども、少なくとも弁護士会としては、当面の間はそういう看板に対する信頼はある程度保護して、それを全体の仕組みとして保全できないかという問題意識なんです。
○原委員 よろしいですか。
○蝋山部会長 原さん、どうぞ。
○原委員 お聞きしていて、3点あったんですけれど、最後におっしゃられたリスクの配分について、もっと情報開示というか、情報提供すれば高齢者も大丈夫ではないかということについては、私もそう思います。というのは、リスクがありますということだけ今随分言われていますが、それは元本割れをする。10割が8割になる程度のことを言うのか、10あったものがゼロになることまで指しているのか、よくわからないんですね。どれほどのリスクなのかという説明が今はありませんので、そのあたりの明示は随分重要だと思います。
 それから、もう一点で、一番最初に戻りますけれど、消費者像なんですけれども、私も、特に被害者救済法を作るわけではありませんから、今のような状況が望ましいとも思っていないです。やはりもう少し消費者というのは、情報も集め、自分自身で判断をし、やっていかないと、やっぱり健全な金融機関も育たないというふうに思っておりますので、全部をオブラートに包んでやりましょうという意味の消費者保護を考えているわけではありません。
 それから、三つ目なんですけれども、銀行の窓販がよく売れていないということなんですけれども、銀行の窓販のやり方ですとか広告ですとか、それから、先日お話を聞きますと、かなりリスクがある商品だというところを前面に押し出されて展開をしていらっしゃって、ところが、私どもの事務所は50歳以上の女性が多いのですけれども、証券会社がしょっちゅうやって来まして、リスクの話は、まるでなしに「儲かりまっせ」と、この話だけなんですよね。今やればいいんですとかいう感じで、とても同じ商品に見えないです。そのギャップだと思うんですよね。だから、両方の間みたいな本当の商品説明が欲しいというような感じがしています。
 すみません、感想で。
○蝋山部会長 ありがとうございました。
 能見さんも何かありますか。
○能見委員 私は取引ルールの観点から、ちょっと補足したいと思うんですけど、基本的に、今、柳川さんが言われたことに対応させますと、取引ルールというのは、ちょっと系列の違う二つのものがあると思うんです。
 一つは、必要な情報を提供しなくてはいけない。そういう意味で、それを提供することによって公正な取引にする。その前提情報を満たす、環境作りするときの取引ルールなんですが、もう一つは、そもそも不公正な取引というのでしょうか、あるいは不実を告知したり、あるいは強引な商法であったり、そもそも悪いタイプの取引なんです。その二つはやっぱり大きく違うということで、現実に今、恐らく多く問題となっているのは、消費者像のレベルの問題よりは、適切な取引をしていなかったタイプ、あるいは説明が足りなかったとか、そういうところが問題となっているのであって、消費者像といいますか、利用者像自体がそんなに問題となっているのではないのではないかという気が私はいたします。
 それから、先ほど蝋山部会長が私の立場をまとめられたときに、私も現実の利用者を考えているのではないかということではありましたが、私は、どうも現実と理想像というのがそんなに違う。それを分けて考えるというのは果たして適切なのかどうかというのは、ちょっと疑問に感じております。むしろ理想といいますか、ちょっと原委員がそれに近かったのですが、あるべき姿の中で、しかし、利用者というのはいろいろな姿を持っている。一方では、どういう金融商品あるいはサービスに対応して出てくるのか。例えば送金などの場面と投資とでは当然違うでしょうし、あるいは高齢者の問題を考えたりすると、具体的なところに入っちゃうのかもしれませんけど、基本的にはそういう理想的な姿のレベルでの利用者というものを考えた方がいいと考えております。
○蝋山部会長 ありがとうございました。
○柳川委員 ちょっとよろしいですか。
○蝋山部会長 では、一言だけね。
○柳川委員 投資信託の問題は、いろいろ今の投資信託はあると思いますので、それに関して特に言うつもりはございませんので、代表的な消費者像がそんなに判断能力がない人だけではないのではないかというためでございまして、その現状はいろいろ問題があるのは理解しております。
○蝋山部会長 福間さん、どうぞ。
○福間委員 ちょっとピント外れなことを言うのかもしれませんけれども、やっぱり「フリー、フェア、グローバル」、これは大変だなと今までの議論を聞いていますと。だけど、もう踏み切っているわけです。利用者という意味では我々のような企業も入るわけで、投資家としての側面も持っているわけですから、金融商品に対して、どういうリスク管理をやっているかということをちょっと申し上げて、あるいは多少は参考になるのかなと思うんですけれども、我々はリスクというのは、今、弁護士の先生がおっしゃいますように信用リスクもあるし、カントリー・リスクもあるし、市場リスクもあるし、あるいはリーガル・リスクもあると、こういうリスクを我々がコントロールできるようなものしか買わない。とにかくマネージャブル・リスクにポジションを落とさないと、アンコントローラブルなものを買ったら会社に大穴をあけちゃいますから、そうすると、まずは何がリスクかということを、商品をよく知ることが先なんです。
 御承知のように、アメリカの場合も90年の初めにプロクター&ギャンブルとか、いろんな企業が大きな穴をあけ、あるいは日本でもいろんな事件が起きました。やっぱりそこら辺は自己責任でやらざるを得ないんですね。自己責任でやろうと思うと、やっぱりマネージャブルなリスクまで持ってきて、これはうちの会社だったらできるとか、あるいは個人の場合だったら、私に合う商品とか、そのフィルターがないと、ただ結果において損をしたとか、だまされたとか言うのでは、ちょっと賢い投資家ではないのではないかと思うんです。
 当社の場合は、あるいは余り参考にならぬかもしれませんけれども、そういう海外の金融機関、あるいは国内の金融機関から出てくる商品をリスク分析するセクションを持っているんです。そういうところで、これは当社としてやろうか。これはインチキじゃないかと。ダブル・リスク、トリプル・リスク、あるいはカントリー・リスクを外しているじゃないかというようなことで分析しているわけでございまして、やっぱり投資家は、部会長がいつもおっしゃっていますけど、賢い投資家にならないといかぬので、その原点は、わからないものは余り買わないということが全ての原則だと思います。先ほども言いましたように、企業でも自分でコントロールできないものを買うというのは、これはもう市場の中ではギフトをやっているようなものですね。
 もう一つは、これもよく言われることですが、この世の中にそんなうまい話があるわけはないという、この二つぐらいの原則があったら、充分ではないかなと。企業でも大きくデリバティブで損をする。特にデリバティブが非常に盛んになり出した90年代に入って、こういうものが金融商品の中に組み込まれますから、あれは先ほどから出てきていますリスクの配分を相当細かく計算していかないと、商品によってはわからぬわけですね。
 例えばヘッジファンドのLTCMのように、彼らはノーベル賞をもらったから−−それでもらったのかどうかはともかくとして、ノーベル賞、あるいはオプションの権威者という人たちも、あの程度のことしかできないんですから、そんなに無理してわからないものまで買う必要はないのではないかなと。ここでありましたRRで、自分に合ったものを買っていくというのが出発点です。
 それから、もう一つこれは質問なんですけれども、フィナンシャル・プランナーというものは全然御使用にならないのかどうか。先ほどうちの中でもそういうリスク分析室を持っているということを申しあげましたが、FPはそういった方面では余り頼りにならないものなんですか。やっぱり金を儲けよう、あるいは付加価値を付けようと思ったら、ふんだんに情報を入手するという積極的な行動をとらないと、待っていたら誰かが熱心に売りに来て、嫌々買わされたけど損をしたというのでは、これは余りにも賢くない投資家なんじゃないかな。やっぱり買う前に情報を得て、あるいは情報分析した上で、投資を行うことが重要でそれの一つのソースがフィナンシャル・プランナーじゃないのかなと思うんですけど。余りにも金融機関が悪いような説明ばかりありましたので、そういうFPをどういう具合に位置づけられているのかなと思いまして、ちょっとその点をお聞きしたいと思います。
○蝋山部会長 わかりました。この点も上柳さん、一言。フィナンシャル・プランナーについて。
○上柳委員 結論的には、フィナンシャル・プランナー、あるいは言葉が嘘くさいかもわかりませんけれども、投資顧問的な仕事がもっと大会社だけではなくて一般……。
○福間委員 うちらは自家製ですから。
○上柳委員 失礼しました。一般庶民もそういうところに近づけるようになるべきじゃないかと思います。ただ、そのための誘導の仕方として、何とかなるかもわかりませんけれども、例えば不招請勧誘の禁止をやりますと、不正品をお持ちの方は消費者には近づけない。だけど、別に庶民向け投資顧問が盛んになりましたら、そこには相談に行って、その方々と利害関係のない証券会社から買うというふうになるというのは、あるべき一つの姿かなとは思っているんです。ただ、実際にどういうふうに誘導していくのか。それまでに例えば不招請の勧誘というのは、一つあり得る立場ではないかというふうに、ちょっとこじつけかもわかりません。
○蝋山部会長 ぜひ三井物産のリスク分析の成果が庶民にもアベイラブルになるような新しい商売を考えてください。
 先ほどから何人かの方がお手を挙げておられて、そういう意思を表示されていますが、関さん、短く。あなたが一番早くから意思表示を示されていたんですが、ぜひ短くお願いいたします。
○関オブザーバー はい、短くやります。
 言おうとすることは、福間さんの言われたことと非常に近いわけです。要するに市場改革の議論でずっとやっていたんですが、この日弁連の意見書の4ページと5ページのところに出ていますけれども、市場改革の考え方は、資産運用意識や自己責任意識を持って主体的にリスクを選択できる利用者の姿を念頭に、いろんな議論をやった。かつ、利用者、消費者、投資者、こういったものは、こういうものにならなければならないと。そうでなければ、今までみたいに全て安心していられるという状態ではありませんよということを前提に今の市場改革、この前の法律改正ができた考え方というのは全部できていると思うんです。
 この金融の流れに関する懇談会の方も、そういう前提でいろいろな商品を横断的に見たときに、蝋山先生の非常に良い表現で、賢い投資家が当てにしていていい前提となるフェアな部分をきちんと整合性をとるようにしようと、そこを議論していたわけですね。ですから、ここにきて、今日の日弁連さんのご意見のように現実の消費者とか現実の金融機関の営業活動を前提としてなされるということに急にアクセントを置いて議論を変えるということは、非常に慎重にやるべきだと思います。
 それから、もう一つ、今日の議論は別にそういうふうになっているわけではないですけれども、流れとして、いろいろなこういう判決例がありますと言われる。先ほどのどなたかの話に、外債で何百万損をしたという人がいますと、そういうケースはもちろんあるわけですけれども、それが即、現実の投資家である、現実の消費者であるというふうに断定するのも、これまた非常に短絡だと思います。つまり一般の投資家の中でも、非常にうまい運用をして、それでハッピーな人もいるわけです。それから、損をしたけれども、これはやっぱり自分の間違いだと考え、もっと次の機会を狙っているという人もいると思います。それで証券会社の担当者に、次は儲かるものを持ってきてほしいというようなことを言う人だっているはずなんで、ああいったケースだけで、全ての消費者はそういうレベルにいるんだというふうに断定するというのは、いささかこれは行き過ぎだと思います。
 それから、この判例を御覧いただきますとわかるわけですが、全て過失相殺というのが付いているわけです。これが何を意味するかというと、両当事者は自分に都合のいいことを言うかもしれない。しかし、裁判官は心証を持って、これはやはり両方悪いところがあると。それに合わせて、多分これは、私は専門家じゃないからわかりませんが、初めに何割ぐらいやろうというのが決まって、それに合うように、いろいろ説明義務の濃密度を要求したり何かすると、こういうプロセスをたどっているのではないかという気がします。
 それから、上柳先生が最後におっしゃった、要するに最後は銀行を信頼する、証券会社を信頼するという気持ちが残っているじゃないか、こういうことで、それはあるかもしれません。ただ、市場改革の今度の議論は、自分で自分の取引する証券会社、銀行を選びなさいと。選び間違ったら、それは自分の責任ですよと、こういう考え方なんです。どんなにハイリスクの商品が出たとしても、ローリスク、安全なものに投資してはならぬということは何も決めてないわけですから、それの方がいいという方は、それをやっていればいいわけですね。ペイオフになりましても、証券会社と銀行の幾つか複数を選んで 1,000万円まででやっておけばそれでいいわけですね。だから、証券会社とか銀行とか変額保険とかが出てくるということは、何がしか、やっぱりそれでは飽き足らないと。もう少し良いものはないだろうかという、言うならばそういう気持ちでそれにトライしているわけですね。それに対して証券会社や何かが、ではこういう商品がありますと。
 これは御指摘のように、どんなに証券会社が勉強して一生懸命やったとしても、こういう考え方で「こうなると思います」というのが必ず最後につくわけです。そうでなきゃ断定的になるわけですから。「思います」ということを最後に、採用するか採用しないかというのは、それはお客さんの判断だと、こういう考え方ではないかと私は思っております。
○蝋山部会長 井上さんと高橋さんが挙がって、井上さんの方が先に手を挙げたような感じがするので、短くお願いします。
○井上委員 これは上柳委員に対する質問です。本当はいろいろ今のお話を聞いて言いたくなる質問を短くしまして、つまり、今日、能見委員、あるいは原委員、それから上柳委員、3委員から非常に良いお話を伺って、金融サービス取引を中心とした、欠かすことのできない重要な共通点の一つと部会長が御指摘になった、現実の消費者といいますか、そういうものと理想的な金融取引のルールというこの間。非常に遠いようでもあり、本当は遠いようではなく、既にビッグバンで走っているわけですから、間に合わないじゃないかと、この悩みが私もあるんですが、日弁連のこの意見書の6ページなんですが、真ん中からちょっと下ぐらいに、理想的な金融取引を想定してルールを作ることが適当とは考えられないから、とりあえず不完全な状況下における紛争防止のための金融取引ルールを先に策定すべきであると、こう述べておられるのですが、これをもうちょっと説明をしていただきたい。これだけです。
○蝋山部会長 では、上柳さん、この点について、ややコメンター的なところがありますが。
○上柳委員 これは、ですから最終的には今までいろいろお話がありますように、個々の市場参加者が自分で情報を集め、自分でそれの選択をして、誰かに売られたからとか、あるいは誰かに誘われたからということで影響されるのではなくて、自己の判断で、自己の判断過程が歪められない形でその商品を購入するというのが最終的な理想だろうと。だけど、それまでの現実の利用者像、あるいはもう少し端的に言えば、現実の今までの金融機関側の勧誘者像というんですか、もっとはっきりと言ってしまえば、「この商品は大丈夫ですね」というふうに言っちゃいがちな、あるいは、これも言葉尻を捉えるわけではないですけれども、関さんがおっしゃった、断定的判断を言っておきながら、最後に「思います」というふうにくっつければ、それで足りるかのような、そういうふうなことではなくて、理想的に、これも言葉尻かもわかりませんけれども、関さんがおっしゃったように、業者を選ぶというのではなくて、投資家が自己の判断で金融商品を選べるようなというふうな、金融商品の姿については、間に入られた仲介される業者さんは、できるだけありのままに伝える。余分なことを付け加えもしないし、なるべくありのまま。かといって全部説明できるわけではないんですけれども、そういうふうな状態に近づくようにルールが設計されなければいけないし、現実になかなかそこまでいかないので、それまでの間には過渡的な、これが何年になるかわかりませんけれども、ルールを先に策定すべきだという趣旨で書いたんですが、説明になっているかどうかわかりません。
 以上です。
○蝋山部会長 高橋さん、どうぞ。
○高橋委員 2点述べさせていただきます。一つ目は、前提とする利用者像とリスクという時代認識との絡みで申し上げたいと思います。2点目は、先ほど福間さんからありましたFPについて申し上げたいと思います。
 一つは、まず前提とすべき利用者像なんですが、私は、先ほど柳川先生がおっしゃいましたような変わっていく利用者というのを前提にすべきであると。それを念頭に置きながらというふうに考えたいというふうに思います。ペイオフが解禁になる、あと2年ぐらいですけれども、それまでにビッグバンのプレイヤーである事業者、それから買い手である、利用者である消費者ですね。それと監督機関である行政と、もっと必死になってやっていかなければいけない今状況かなというふうな認識を持っております。
 ただ、変わっていくということを念頭に置くとしても、自然に変わっていくとどうなるかということを考えると、非常に暗い見通ししか持てないんです。変わるということを考えた場合に、21世紀のあるべき金融の姿というふうに見ますと、良い方向、賢く変わっていくというのと、今既にちょっと流れができつつある悪い方といいますか、リスクのないものには手を出さない。先ほどの上柳先生の資料にもありましたが、安全性の重視の方にどんどん人が行ってしまっているという、そういう現状があるわけなんです。
 ですから、良い方向に変わっていくためには、法律もその方向に作る必要があるし、それだけでは多分だめで、それと同じぐらいのエネルギーを消費者教育に使うべきではないかと、私はこのように考えています。これは同時並行的にやっていかなくてはいけなくて、どうも消費者教育が特に遅れているのではないかというふうに思います。
 先ほど説明義務のお話等が出ていますけれども、リスクの認識、どういう商品を買ったのかを顧客が知ることが大切というんですけれども、どういう商品を買ったのかというのは、幾ら個別の商品を説明してもだめだというふうに思うんです。選択肢がたくさんある中で、いろいろ選べる中で、どの位置にあるんですよということを知るためには、その背景になるものをよく知って、つまり体系的な学習ができていないと、説明義務を尽くしたという形に持っていけないというふうに思います。
 それから、危ないものに手を出さないといった、チラシ広告で買うという先ほどの原委員のお話なんですが、以前は不動産業などの広告でも、今でもそういうものからお買いになる方はありますけれども、ああいうものに関しては、一般の方はいろいろ認識も広まってきましたし、行政がいろいろな配慮をしていらっしゃると思うんですけれども、不動産に関して掘り出し物はないんだというのが、実は一般的な認識になりつつあって、チラシ広告で入ってくるものであっても業者の免許の番号を見ましょうとか、東京都の人間でしたら東京都の建築のところに行って、今まで罰則を受けていないかということを調べるとか、そういうことがある程度、買おうと思ったときに何をチェックすればいいのかという情報がきちんとしているんですけれども、金融商品・サービスに関してはそれができていないんですね。そういうものが何なのかということをきちんと知らせる消費者教育というのをやらなければいけないと思うんです。
 今、一般的に業界の方が考えていらっしゃる消費者教育というのはよくわかりませんけれども、正しい資料を送るとか、個別の会社の商品だけではなくて、業界として、保険なら「生命保険とは」、損害保険なら「損害保険とは」、証券なら「証券とは」と、そういう認識を伝えているというふうに思うんですけれども、金融商品が非常に増える中、そういう業態ごとの情報を幾ら集めても消費者は判断ができないんです。ねですから、そこのところをきちんと教える、学べるような場というのを早急に作らなければいけないというふうに思います。
 そこでやることというのは、やはり商品のリスクの説明もさることながら、それから、業者の見分け方もさることながら、例えば「被害とは何か」ということもきちんと教えないと、被害というのが、相場変動とかによるものも被害であるというふうに考えちゃっている方というのが、現実の利用者像ではとても多いわけで、それではとてもリスクを広く分担しましょうという形にはならないわけですから、どういうものが被害なのかということもきちんと教えるし、その被害を受けたときには、どういう権利が行使できるのかということも教える。当然のことながら、そういう紛争処理機関をきちんと作っていただくと、こういうことが重要になるのかなというふうに思います。
 あと、消費者教育の中では、セーフティネットに関してももっと詳しく説明していくとか、契約意識ということを持たせることが非常に今重要になっていると思うんですが、子供の頃からきちんとやっていくというふうなことが求められているのではないかなというふうに思います。
 以上、消費者教育の担い手、誰がどうやるのかということに関して、全く模索の状態だというふうに思うんですが、もう先送りはできないというところに来ているというふうに思います。
 2番目のFP(フィナンシャル・プランナー)とかFA(フィナンシャル・アドバイザー)についてなんですけれども、信用しないのかということなんですが、個別にどうなのかよくわかりませんが、例えばイギリスなんかの例でいけば、海外では消費者団体が商品の格付、それから、金融機関の格付なんかをすると同時に、そういうFPなんかの格付もしているんですが、FPに関する格付というか、評価というのはかなり低く出ているという現状があるというふうに聞いております。
 ですから、日本の今のFP、いろんな団体がやっておりますけれども、その状況を見ても、資格取得機関というふうな形になっていたりして、一般の人がそれを受けるというのは、何十万というお金を出して公的資格でないものを買うと。ほとんど試験が90何%合格してしまうような試験をやっているという現状を見れば、やっぱりFPというものに対する、FPという肩書きがあるから信頼できるというわけではないという認識は、今できつつあるのかなと。もちろんFPの中にもすばらしい方がいらっしゃいますから、どう見分けるかということが大事で、イギリスなんかでも、消費者団体はFPの見分け方というのをきちっと情報として一般消費者に伝えているわけで、そういうふうになっていく必要があるのではないかなというふうに思います。
 以上でございます。
○蝋山部会長 ありがとうございました。
○福間委員 ちょっといいですか。
○蝋山部会長 ほんの一言ね。
○福間委員 1秒です。
 いや、私は、「信用しないんですか」と言ったのではなくて、「利用しないんですか」と言ったんです。
○高橋委員 ごめんなさい。
○蝋山部会長 それでは、まず中原さんから、そして渡辺さん。
○中原オブザーバー 中原でございます。オブザーバーでございますが、お許しいただきたいと思います。
 一言で申し上げますが、先ほど消費者契約法のお話が出ておりましたけど、私も通産省の産業構造審議会消費経済部会とクレジット産業部会、両方出ておりまして、最近中間報告が出ておりますが、この中では、自己責任原則の下での消費者と企業の自由闊達な取引活動、そして、それを担保するための情報量、交渉力の格差の是正ということを、まず基本的なコンセプトとして、視点として入れているわけでございますが、この辺については、金融取引における消費者の保護という観点においても、基本的に平仄を合わせるべきではないかと思います。これについては、先ほど関オブザーバーの御発言がありましたが、私も全く同じ感じを持っております。
 それから、上柳委員の今日の御説明では、ビッグバンのネガティブな側面だけに焦点を当てておられる感じをどうしても受けてしまうんですが、多様化する消費者ニーズの充足と、それから、金融サービスの効率的な提供という、ビッグバンのもう一つの側面からもやはり議論があるべきだろうと。消費者利便の向上と効率性ということも考えていく必要があるだろうと思っています。
 その点でいきますと、過度な勧誘規制と、それから、厳格な適合性原則の適用というのは、非常に難しい問題を含んでいると思っておりまして、特に適合性原則については、口で言うのは簡単なんですけれども、現実の取引としてどういうことをやっていくのか、また、我々金融機関の方に過度な事務負担を負わせるようなものであると、これはとてもマクロ的にも国民経済のためにならぬということもありますし、これは非常に難しい問題だと思っています。
 ポイントは以上でございますが、投信の窓販が銀行で売れていないということが、もう既にいろいろ消費者がきちっと判断した上でということで、御判断されているという御意見もありましたけれども、まだまだこれは始まったばかりで、これからどうなるかわからない。
 それから、教育の重要性、今御発言がありましたが、これは私は非常に重要だと思っていますし、通産省の方の審議会でもこの点については非常に議論になっているということでございます。
○蝋山部会長 ありがとうございました。
 渡辺さん、どうぞ。
○渡辺オブザーバー 皆様のお話を聞いていまして、現実の消費者に対しまして、私どもも正面から向かい合って、本当に信頼を回復しないと、これからの新たな需要というのは伸びていかないんだろうと、そういう印象を大変持ちまして、そこは本当に正面から受け止めていきたいというふうに思います。
 ただ、今回の議論の中で、金融サービス法の射程、あるいは具体的な金融商品の範囲というものが、今日は非常に広く議論されているものですから、ここは集団投資スキームのワーキング等でもう少し絞り込んだ議論をしていただいた上で、もう少し中身を議論していただいた方がいいのかなという印象を持ちました。
 特に、今、需要を喚起すべきマーケットというふうに見ましたときに、どうしても投資性の強い、あるいは価格変動リスクのある商品、ここに自己責任の原則に基づいた十分な情報開示を前提としますけれども、顧客の経験ですとか属性に適合した投資・勧誘のルールが検討されていく必要があるだろうと、こういうふうに考えているわけですので、これは同時に、具体的な商品範囲がどうなのかということ等を見ながら、当然その商品開発のリスクをどうするのか、それから、取扱者の勧誘時のルールをどうするのか、それから、引受業者の我々のリスク・マネジメント、先ほどもありましたが、それをどうするのか、これがトータルで議論されませんと、真の消費者に対する保護が達成できないと、そんなふうに考えます。
 それから、若干細かい話になって恐縮なんですけれども、その中で、個別の商品特性を十分踏まえた議論が必要だというふうに思います。とりわけ今回の御指摘の中で、規制対象行為の範囲につきましても、当然保険も含んでという御指摘を受けているわけですけれども、この商品特性、特に保険の商品特性について論点整理で十分記載されていますので、ここでは改めて繰り返しませんけれども、そういった指摘した特性に加えまして、射幸性契約、射幸性の強い契約というものを有しておりますから、ここは保証提供する場合に、モラルリスクが必ず伴います。これはほかの金融商品とは違う要素でございますので、ここには十分配慮いただければというふうに思います。
 それに関連しますが、先ほどのいろんな御指摘の中に、今日改めて御説明いただいた不招請勧誘の規制がございましたけれども、これについて私どもの方も調べてみましたが、英国金融サービス法下における、これはもともとSIB規制だったと思いますが、この中で、ノン・ギア商品とギア商品という概念で、これは明確に分けてございます。
 したがいまして、ギア商品と位置づけられるもの、例えばワラントファンドですか、デリバティブですか、こういったものについては、当然そのまま規制を適用しているわけですけれども、ノン・ギア商品に該当します、例えば通常の投信ですとか、それから生命保険商品、一般の生命保険商品も含まれますけれども、ここでは、その商品が高リスクでないということで不招請の勧誘を行ってもよいと、そういうふうな例外規定がございますので、その辺も細かく中身を見ていくという上では、そういった点もぜひ御留意いただければというふうに思います。
 時間もございますので、また次回以降の議論の中で述べさせていただきますので、今日は以上です。
○蝋山部会長 ありがとうございました。
 上柳委員からの御報告に始まって、意見が比較的違うようでいても、随分似ているなという全体的な印象を受けまして、しかし、恐らく個別の細かくルールの設定といったことを議論し始めると、いずれまたこうした基本的な、大まかな認識は似ているにしても、やはり具体的なケースに近づけば近づくほど議論は分かれてくる可能性がある。したがって、いずれはこの種の議論は、もう一度なり、もう二度なり、具体的な我々の21世紀の金融像、いわばビジョンをどういうふうに実現させるかというような場面において、今日のところで出てきた議論を思い出していただきたいと思いますし、繰り返すチャンスもあるだろうというふうに私は思っております。
 3人の方々に前もってお願いしまして、快く非常に参考になる御意見を頂戴でき、また、議論も喚起していただいたことを感謝したく思います。
 それでは、課長の方から、次回につきまして御案内をよろしくお願いいたします。
○三國谷企画課長 次回会合につきましては、先般、開催案内を送付させていただいておりますけれども、3月24日(水曜日)午後2時から4時を予定しておりますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。
 テーマでございますけれども、現在、集団投資スキーム及びホールセール・リーテイルにつきまして、二つのワーキング・グループが検討を開始しております。集団投資スキームのワーキング・グループにつきましては神田委員から、ホールセール・リーテイルのワーキング・グループにつきましては山田神戸大学法学部教授からそれぞれ御報告いただきまして、御報告いただきました内容につきまして、当部会で御議論いただきたいと考えております。
 なお、ワーキング・グループの状況でございますけれども、実は本日までに既にそれぞれ2回開催されております。今後の検討課題と進め方等につきまして闊達な議論がなされておりまして、3月には、両ワーキング・グループの検討を進めていく中で重なってくる論点もございまして、フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)につきまして、ジョイント・ワーキングを開催するという予定となっております。よろしくお願い申し上げたいと思います。
○蝋山部会長 受託者責任についてのワーキング・グループの後に我々の部会が開かれますので、ワーキング・グループの経過報告をベースに、今日のような議論をさらに進めていきたいと考えておりますので、よろしく御参加ください。
 本日はどうもありがとうございました。
 散会いたします。
(以 上)