金融庁2014
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̶̶まずは、日本経済や金融庁がどのように変遷してきたのか、これまでの職務を通じて感じたところを聞いてみた。若原 私は、バブル崩壊後の1994年に大蔵省に入省し、銀行局の配属になりました。信用組合の経営破綻を受けたバブル崩壊後初の公的資金注入に立ち会ったり、バブル崩壊後初の財政資金投入となった住専処理に携わったり、銀行の経営再建に関わったりと、役人人生の半分は不良債権問題への対応だった気がしますね。また、バブル崩壊やその後の各種のスキャンダルなどを受けて、金融行政に対する信頼が揺らいでいました。こうした時代背景の中、金融監督庁が大蔵省から分離独立するというムーブメントも経験することになりました。齊藤 私の学生時代は、四大証券の一角が自主廃業したり、長期信用銀行が破綻したりするなど、金融に関する報道が大きく扱われていました。自分なりに金融システムの健全性を維持向上することの重要性や意義を感じ、2000年に当時の金融監督庁に入庁しました。入庁した年の7月には、金融に関する法令の企画立案機能も大蔵省から移管されて、金融庁に改組しました。また、このころは、毎週のように信用組合・信用金庫が破綻していました。世間では、各金融機関が不良債権を明らかにし切っていないのではという疑念が渦巻いていましたね。私自身は、急落した株価の対策や破綻処理のスキーム構築などを担当していました。また、ペイオフ解禁に向けて、不測の事態が起きないように対応策を講じる作業にも関わりました。若原 ペイオフ解禁は、不良債権問題の正常化とセットになっていたわけで、日本の金融システムがようやく平常モードに回復したという象徴的な出来事でしたね。̶̶大きなうねりを体験してきた2人にとって、今後の金融庁は、どのような方向性を目指すべきなのだろう。若原 神様じゃないんで、目指すべき方向性などわかりません。わかる人がいたら是非教えてください(笑)。後になって振り返ってみて方向が変わっていたとしても、それは地に足のついた問題解決を積み重ね続けた結果なのだと思います。例えば、水道の蛇口。20年前の水栓と今の水栓を比べると、使い勝手も機能もまったく違いますよね。でも、対談:これからの 若原幸雄総務企画局企画課 保険企画室長齊藤将彦総務企画局市場課 課長補佐(総括)バブル経済の崩壊やデフレ不況などを経て、明るい兆しが見え始めた日本経済。旧・大蔵省、旧・金融監督庁時代に就職し、職務を通じて日本や世界の金融市場の動きを実感してきた若原と齊藤に、これからの金融庁のあり方について聞いてみた。22

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