金融庁2014
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07池田唯一監督局 審議官遠藤俊英総務企画局 審議官遠藤 金融監督庁発足当時、私はIMFに出向してタイの不良債権問題に対応していました。IMFでは、金融機関の再建だけでなく、借手である企業の再生も視野に入れて支援に臨みます。これと比較しながら日本を見ていましたが、金融監督庁発足後は、企業再建を支援する産業再生機構も設立されるなど、日本も同じように取り組んでいるのが印象的でしたね。なお、金融監督庁が発足した当初は、金融制度の企画立案は大蔵省が担っていましたが、2000年に金融庁として改組する際、この領域も移管されました。これで財政と金融行政が完全に分離されたのです。金融機関の業務の多様化、グローバル化が進む中で、金融部局が財務部局と同じ組織内で機能していくという考えには無理があったし、どの先進国にもありませんでした。池田 バブル崩壊後の金融秩序を立て直す時期、財政と金融行政をともに所管する大蔵省の権限の大きさを指摘されることもありましたし、大蔵省の中でも社会の変化に対応するためにこのままの組織で良いのか、という議論はありました。財政と金融行政には、利益相反という側面があります。また、どちらも複雑化・細分化が加速度的に進んでいる。高度な専門性が求められることも考えて、財金分離が求められたのだと思います。遠藤 私は、2002年にIMFから金融庁に戻りましたが、銀行監督業務の傍ら、地方の商工会議所を訪問して中小企業の実態調査にあたりました。金融庁は金融機関を監督し、金融システムの安定を図るだけでなく、金融を産業として拡大させていこう、さらには、金融機関の向こう側にいる預金者や投資家、中小企業、多重債務者なども視野に入れた行政を行うようになったのだと感慨深く思いましたね。先述のとおり、90年代は不良債権処理とセーフティネット整備に追われていましたが、2000年代に入ってからは、金融を通じて日本経済の成長に資する施策や、日本企業をいかに支援していくのかを考えるところにまでミッションが拡大しているのです。̶̶金融監督庁発足前から現在までを知る2人に、その成長ぶりや現在の金融庁の魅力について聞いてみた。遠藤 大蔵省の銀行局に所属していたころ、先進国の金融監督当局や中央銀行で組織されるバーゼル銀行監督委員会への対応に従事したことがあります。スイスのバーゼルで行われる国際会議に毎月出席するのですが、担当は、私を含めて3名だけ(笑)。いまでは国際室という立派なセクションで対応しているわけですから、組織として厚みを増したのだなと思いますね。また、外部から専門家を登用したり、職員の女性比率が高かったりと、時代の変遷に合わせて柔軟に組織のあり方を変えてきていると感じます。池田 金融行政に従事するうえでは、現場の実情をしっかり把握することが不可欠です。金融庁は他の省庁に先駆けて、実務に精通した民間企業出身者を積極登用してきました。いまでは、1500名中、約2割を占めるまでになっている。こんな点を考えると、単に組織が大きくなっただけでなく、バランスよく多様性を強化できているのだと思いますね。遠藤 金融庁の魅力としては、仕事の多彩さが挙げられると思います。金融には国境がない。各国の金融当局と常に密接な連携を取り、国際的な監督体制を維持していく必要があります。当然、若いうちからナショナルフラッグを背負ってグローバルに活躍できる場面が多い。一方で、地域経済の活性化を促進する地域金融のようなドメスティックな職務もあります。一人で何役もこなすことになるので、幅広い職務を通じて自身を成長させられるのです。池田 霞が関に閉じこもってつくったようなルールは、市場では通用しません。このため、金融庁は、省庁のなかでも民間企業や市場と接点を持つ機会が格段に多い。機動性や柔軟性、多様性が育まれる役所だと思います。また、さまざまな活躍の機会があるので、自身の専門性や価値を高めていくのにも恵まれた環境にあるんですね。こんな点を魅力に感じていただけるような方に、ぜひ仲間になっていただきたいです。

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