「ビッグバン」の本来の意味は、天文学上のBig Bang Theory (爆発宇宙論)に由 来する用語で、宇宙発生の原因となった大爆発のことです。これを受け、イギリスに おいて1986年に実施された証券取引所を中心とする改革のことを俗にビッグバンと呼 ぶようになりました。 イギリスにおいて証券市場改革が必要となった背景としては、以下のようなものが 挙げられます。 (1)イギリス証券市場の相対的地位低下 →ビッグバン直前の1985年当時、イギリス証券取引所の株式売買高は、世界第一位 のニューヨークの13分の1、第二位の東京と比較しても5分の1となっていまし た。 (2)国際化の進展とイギリス証券業者の対応の遅れ →米国を中心とする外国業者の進出とその国際化指向の戦略に英国業者が対応でき ず、金融資本市場における英国業者の地位が低下していました。 (3)テクノロジーの発展と取引所以外での取引の拡大 →コンピューター、通信技術の進展による投資情報や顧客情報の処理技術の高度化及 び機関投資家の発達により、大口取引の海外及び店頭取引へのシフトが発生し、取引 所の存立基盤を揺るがしかねない状態となっていました。 こうした状況に対処するため、1986年10月には以下のような改革が実施されまし た。 (1)手数料の自由化 →1970年代後半から、固定手数料制を含む取引所会員規則集が公正取引庁によって 競争制限的であるとされ、争われてきましたが、83年に和解が成立し、86年末まで に最低手数料を撤廃することが決定されていました。ビッグバンにより、取引所規 則が変更され、これが一気に実現されました。 (2)単一資格制度の廃止 →単一資格制度とは、取引所会員のなかで、自己の勘定で売買を行う ジョバーと、 顧客の注文の媒介を行うブローカーとの兼業を禁止するという、イギリスの古くか らの慣習的制度でした。しかしながら、情報や取引の国際化・機械化の進展という 流れに対し、単一資格制度を前提とした既存のイギリスの制度では、資本力・リス ク対応の両面で対応が困難になり、国内業者は外国業者との競争という面で極めて 不利な立場に立たされました。こうした状況を打開するため、取引所規則を変更し、 単一資格制度を廃止し、ジョバーやブローカーの兼業を解禁することにより、取引 所会員の能力の強化を図ったのです。 これを受け、翌87年には、取引所の立会場が廃止され、スクリーン取引に移行す るなど、技術革新が行われました。 (3)取引所会員への外部資本出資の制限の撤廃 →ビッグバン以前は、取引所会員会社への出資ができるのは、取引所会員のみに限 られていましたが、世界的な機関化現象に伴い取引の大口化が進行する中で、取引 所会員会社の資本基盤の拡充のため外部資本 (非会員や金融機関等の資本)を導 入することができるよう、取引所規則を変更しました。 こうした一連の改革は、以下のような一定の成果を収めました。 (1)市場に対する効果 →市場規模は、ほぼ順調に拡大しました。例えば、イギリスのGDPに占める金融 分野の割合は、ビッグバン直前の1985年には13.6%であったのに対し、ビッグバン 後の1990年には17.2%にまで拡大しています。 こうしたことを受け、株式による資金調達も、波があるもののおおむね順調に拡 大しています。、特に、外国株取引は大きく躍進しています。他方で、株主等投資 家層の裾野の拡大は不徹底のままであるという問題も残っています。 (2)手数料等の推移 →ビッグバンにより、コストやサービスに見合った手数料水準が達成されました。 具体的には、大口については手数料が以前より低下しましたが、逆に小口について は、手数料の若干の上昇がみられました。手数料率全体としては、国際的にみても 相対的に低い水準を達成しました。 (3)証券業界への影響 →業者の資本力については、総じて強化されました。また、トレーディングやデリ バティブなど、取引の高度なノウハウやイノベーション(技術革新)がロンドンに 導入され、ロンドンが欧州の投資銀行業務の拠点となりました。 ジョバーやブローカーについては、イギリスのマーチャントバンクやアメリカの 業者によって買収が進みましたが、更にイギリスを代表するマーチャントバンク等 も買収されており、ロンドン市場におけるナショナル・フラッグが消えつつあるの も事実です。