金融審議会「第二部会」第11回会合議事録
日時:平成11年9月9日(木)14時02分〜15時52分
場所:大蔵省本庁舎(4階)第三特別会議室
○倉澤部会長 それでは、ただいまから、第11回金融審議会「第二部会」を開催いたします。
皆様、御多用のところお集まりいただきまして、ありがとうございます。
第二部会では年内のとりまとめに向かって、預金保険制度のあり方に関する集中的な審議を夏休み返上でお願いしてきているところでありますが、本日は、米国より来日中のタノウエFDIC議長並びにワトソンFDIC調査統計局長をお招きし、米国の預金保険制度と金融機関の破綻処理を巡る様々な御経験等につきましてお話を頂戴することとなっております。
また、今後の審議本格化に鑑み、今回より、預金保険制度に関する議論の臨時オブザーバーとして、先だってのヒアリングでお話をお願いいたしました業界を中心に広く金融界からの御出席をいただくことといたしました。時間の関係上、逐一の御紹介は省略させていただきます。お手元の名簿を御参照ください。
本日は、タノウエ議長よりお話を頂戴した後、自由質疑の時間を設けておりますので、本日より御出席の方も含め、委員・オブザーバーの皆様方が平素持っておられる疑問・質問等、御自由にお出しいただければと存じます。
タノウエ議長からのお話に先立ちまして、タノウエ議長、ワトソン局長の御経歴等を簡単に紹介させていただきます。
本日お話をいただきますタノウエFDIC議長は、ハワイ大学卒業後、1981年にジョージタウン大学で法学博士の学位を取得され、同年からハワイ州商務・消費者省特別法律顧問代理の職に就かれました。
その後、83年に同省の金融局長に就任され、87年までの5年間、州法銀行、貯蓄貸付組合、信託会社、勤労者貸付会社、信用組合等に関する州の首席監督官を務められました。そこでは、ハワイ金融界を揺るがした幾多の勤労者貸付会社の事後処理を手がけられ、従来私的保険に任されていたハワイの勤労者貸付会社のFDICメンバーへの転換を実現されました。
1987年から98年までの間は、Goodsill Anderson Quinn & Stifel法律事務所の共同経営者として、銀行、不動産金融、対政府交渉等を担当されました。
98年5月に米国連邦預金保険公社の第17代議長に就任された後は、
6,000金融機関の検査監督、及び金融機関破綻処理を担当するFDICを統括され、2000年問題への金融機関の取組みを促すなど、金融産業に生じる新たなリスクへの対応を進め、預金保険制度の改善に努めておられます。
本日は、そうした経験を踏まえたお話が伺えるものと存じます。
続きまして、御同席いただいておりますワトソンFDIC局長を御紹介いたします。
ワトソン局長は、カリフォルニアの御出身で、経済学博士、1968年より一貫してFDICの調査統計局に所属され、83年より次長、87年より局長を務めておられます。
ワトソン局長には、議長のスピーチ後の自由討議に御参加いただきますが、そうしたFDICでの長きにわたる経験からのお話をお伺いできればと思います。
なお、この統計局というのは、単純な統計だけの機関ではなくて、デシジョンメーキングもなさる機関と承っております。
それでは、タノウエ議長から、米国の預金保険制度及び金融機関の破綻処理につきまして、お話を頂戴したく存じます。タノウエ議長、よろしくお願いいたします。
○タノウエFDIC議長
皆様、こんにちわ。まず、今回の部会長のお席にお招きくださいまして、倉澤部会長はじめ皆様方に深く御礼申し上げます。メンバーの方々は、それぞれ御高名な方ばかりと伺っておりますので、伺えてとても光栄に存じております。
まず最初に、お断り申し上げたいのですけれども、本日は、あくまでも一つの国の事情をお話しするということで、その国それぞれ事情がございますので、その国で起こったことをそのまま別の国に当てはめるということは至極トリッキーであり、余り賢明なことではないというふうに思っております。国はそれぞれ事情が異なりますし、法的制度、また、その他諸々の制度、文化背景も全体的に異なりますので、ある1カ国のシステム全体をそのまま単純に別の国に輸入しようといたしましても、それはかなわないことですし、また、賢明なことではないと思っております。
本日は、アメリカの経験をお話し申し上げることになっておりますけれども、それはあくまでもアメリカの経験でございまして、日本に全てが当てはまるということではございません。あくまでもFDIC及びRTCとしての経験をお話し申し上げまして、そのうちのいくばくか、日本側の御参考に供していただければ幸甚でございます。ぜひ、アメリカで行われたことのみ検討を皆様方がなさるのではなく、あくまでも全体的なアプローチをおとりになり、アメリカの場合、どのアクションがうまくいって、うまくいかなかったか、また、その背後に流れていた原則及び合理的な考えは何であったのか、それぞれ御判断いただきつつ、御検討いただければと願っております。
本日は、破綻した、もしくは破綻しつつある貯蓄機関の問題をどうアメリカで処理してまいりましたか、経験をお話しさせていただきます。特にアメリカで銀行問題が発生いたしました最も最近の時期である1980年から94年の間を中心に申し上げられればと思います。
この間、連邦預金保険公社(FDIC)が閉鎖させた、もしくは資金援助を提供した先の銀行は
1,617行に上ります。さらにRTCという整理信託公社も設立されまして、それが存続しておりました1989年から95年にかけまして
747の貯蓄機関を整理しております。
特にアメリカが用いました三つの主要な破綻もしくは破綻しつつあった機関の処理法について、使用頻度の多かった順にお話ししたいと思います。
1番目がパーチェス・アンド・アサンプション。これは略して日本でもP&Aと称されていると思います。2番目が預金のペイアウト。そして第3番目がオープンバンク・アシスタンスであります。
主要な三つの処理法でありますパーチェス・アンド・アサンプション、預金のペイアウト及びオープンバンク・アシスタンスは、何年間もかけて進化してきたものでありまして、現在もこの進化のプロセスは続行中であります。まだ完璧な形にはなっておりませんし、これからなるとも思えません。様々な市場や技術的な要因が問題行の取扱い方にも影響いたします。そして、しかも、これらの影響を与える要素というのは、常に変化を遂げております。
処理法について随時お話し申し上げる前に、2点強調したい点がございます。
まず第1点ですが、処理を行っていく上での主要な目的の一つは、できるだけ保険対象となっている預金者にとって、銀行破綻という事件がノンイベント、大きな出来事にならないように済ませるということであります。すなわち、混乱は最小限に食い止めるという原則であります。実際多くが金曜日の営業時間が終わって閉店いたしまして、翌週月曜日には引き継がれた銀行の支店として衣替えを全て終えて、店を開いているということになっております。
第2の強調点は、処理のプロセスは複雑だということです。会計士、弁護士、清算の専門家、財産の管理専門家、金融アナリスト、その他諸々、多数の人たちの作業があってはじめてできるものでありまして、これらの作業は法律によってそれぞれ律せられております。また、所有権や法人関係、破産手続等の法律的な事項も、いかなる処理案件にとってもたくさん絡んでまいります。
それでは、三つの処理法について御説明いたします。
まず、P&Aもしくはパーチェス・アンド・アサンプションですが、P&Aというのは、破綻機関の保険の掛かっている預金を全額、健全行が購入する取引のことを申します。破綻機関の保険対象でない預金も含め、資産と負債の一部もしくは全てを購入することもできます。1980年から1994年の間、FDICの手がけました破綻したもしくは破綻しつつあった
1,617行のうち、約74%についてこのP&A方式が採用されておりまして、RTCの場合は1989年から95年の間に
747行のうち、約67%に適用しております。
P&Aについては二つの大きな利点がございます。まず、機関が閉鎖さたれ場合の直後に起こる混乱を回避することができるということと、ある程度借り手側の保護も確保できるという点です。問題行の健全な借り手は、受け皿銀行から資金を借り続けることを可能にするということであります。
また、購入する資産と承継する負債の比率もP&A方式でもまちまちでありまして、取引形態も実際的には多様になります。
P&Aの初期においては、すなわち1980年代の銀行危機がアメリカに起こる以前の時代におきましては、引き継ぐ側の銀行は保険対象になっていない資金も含めて、破綻銀行の預金負債全てを受け継ぐのが一般的でした。引き継ぐ銀行の方は現金ですとか、市場性の高い流動資産等のクリーンな資産だけを購入するのが普通でして、FDICは通常、破綻銀行の債権を受け皿銀行に売ることはいたしませんでした。
こういった銀行破綻の処理方式というのは、破綻件数が少ないうちはうまくいっていたんですけれども、破綻件数が急増を始めました1980年代になりまして、FDICは余りにも処理案件が増えてきて、資産が増えてしまったということで、押しつぶされそうになってしまいました。
受け皿銀行の方にもっと資産を引き継いでもらうためにFDICは、プット戦略と称するものを考案いたしました。この戦略は、受け皿銀行が破綻銀行の全資産を引き継ぐかわりに、その後、移転期間内にFDICに要らない資産を戻せるという方法であったんですけれども、これには幾つかの欠点がありました。
その一つが、売った資産の半分が結局FDICに戻ってきてしまったというものです。
この間、受け皿銀行といたしましては、良いとこ取りということをやってしまったということで、良いところだけ自分のものにしてしまって、都合の悪いものはFDICに戻したという形になってしまいました。そして、結局FDICに資産が戻ってしまうと、その結果、当該資産の価値がさらに劣化してしまうといったような状況を招いてしまいましたので、結局、1991年にこのプットオプションの使用は打ち切られました。
次に、FDICは、受け皿銀行側が資産を手放すことがないようにということで、第2の戦略を考案いたしました。これがオールバックP&A取引もしくは全預金P&A方式であります。
この下ではFDICが落札者に対して一時払いを行う見返りに、落札者の方は引き継いだ破綻銀行の資産・負債に関わる全てのリスクを承継するというものであります。そして、この戦略で民間部門への資産の移転は確かに進行しましたけれども、整理コストを全体的に押し上げてしまうという結果を招いてしまいました。
米国の銀行問題がピークに達しました90年代の初頭、破綻した大規模銀行の商業債権についてまともな応札が出にくくなりましたので、FDICとしましても銀行部門により多くの資産を残しつつ、かつ、FDICと受け皿銀行側の利害をより良く調整できる処理法について考えざるを得なくなりました。
何とか渋っている受け皿銀行側に債権を購入してもらおうというためにFDICは、ロスシェアリングの付いたP&A方式を提示いたしました。これは問題資産のロスの大半をFDICが負担し、残っているロスについて受け皿銀行側は責任を持つという合意の下に行われる方式で、結果、受け皿銀行側のリスクを軽減することができます。そして、典型的なケースとしては、FDICは大体3年から5カ年にわたる一定の期間に発生したロスの80%を負担いたしました。
その後、このロスシェアリング方式にはトランジッションアマウントというものを導入いたしまして、きちっと制度的にもまとめました。このトランジッションアマウントというのは、シェアドアセットについて、まずFDIC側が想定されるロスの推定額を算出いたしまして、その額を提示いたします。そして、実際のロスが推定額を超えた場合には、その分についてFDICと受け皿銀行が95%対5%の比率でロスを負担し合うというものであります。これはデュデリジェスが限定的だということと、マーケット自体が不確実だということで、法外なロスが出たかもしれないとする買収側の懸念に応えようとする策でありました。そして、その結果、ロスシェアリング方式で破綻銀行の資産を民間部門にとどめることができましたし、また、銀行を清算せずに資産を銀行システム内にとどめるということで、資産の価値を保持することもFDIC側としてできました。
そして、このロスシェアリングの方式は、ホールバンク取引、全預金取引を含むロスシェアリング条項を含まない方式と比べまして、FDICにとってもコスト節約ができる策になりました。
危機が起こっている最中行いましたこの整理処理方法については、様々な批判の声が寄せられました。その一つは、P&A方式ですと保険に入っている預金者のみならず、全預金者が結局完全に保護されてしまうというものでありました。この点を解決するためにアメリカの議会は、1991年、最小コスト原則というのを導入いたしました。これは預金保険側に最もコストがかからない整理法をFDICが採用すべしというふうに定めた法律であります。
この最小コスト原則が導入されました結果、FDICは、保険が掛かっている預金のみを対象とするP&Aを考案いたしました。この取引におきましては、入札者は、保険の掛かった預金のみバランスシート上の負債の欄で考慮すればよいということになります。
次は、第2番目の方法の預金のペイオフです。預金のペイオフの場合は、FDICは、銀行が閉鎖されると同時に管財人として指定されます。保険に入っている預金は、全額預金者の方に払い戻されます。銀行が閉鎖された後、数日以内に預金者には小切手が郵送されてまいります。また、保険の掛かっていなかった預金を持っていた預金者及び破綻行の一般債権者につきましては、破綻行の資産の売却及び清算益の一部を受け取る権利を定めた受取り権利書証を受け取ることになります。そして、保険の掛かっていなかった預金者及び一般債権者の流動性に関わる問題を若干でも緩和するという意味で、権利書証に定めました配当金がよく前払いされるということがあります。これが行われることによりまして、少なくとも、時によって非常に長引いてしまう清算プロセスが全て済むまで待たずとも、一部資金は回収できるということになります。
預金のペイオフの変形といたしまして、付保預金移転というものがあります。この場合にはFDICは、ある金融機関をエージェント行として任命をいたします。そして、その任命を受けたエージェント行が破綻銀行の預金者に対しまして移転預金口座を提供するわけです。単純に預金のペイオフをして、払戻しをしてしまうという方式に比べまして、この付保預金の移転の方が、預金者及び地域社会に対しての混乱は少なくて済みます。FDICにとりましても、オーバーヘッドを節約することもできますし、また、エージェント銀行側も新たな顧客獲得のチャンスにもつながるということになります。預金のペイオフ、特に単純に直接その預金保険機関が預金を払い戻してしまうということにつきましては、行政上及びロッジ的にも非常に大きなチャレンジングな課題であるというふうに思います。
また、国民の信頼を維持するためにペイオフ自体は迅速に、かつ、最小限の混乱にとどめて実行すべきものと考えております。
次に、第3番目の方法のオープンバンク・アシスタンスでありますけれども、このオープンバンク・アシスタンスというのは、閉鎖危機にあるけれども、まだ営業を続行している銀行に対して支援を提供する方式です。支援の形は、問題行に融資をする、預金をする、もしくは問題行から資産を買うといったような形になります。そして、支援された方の銀行は、その融資については返済することを前提としております。問題行や問題スリフトの健全行による買収を円滑化するためにFDICはこの方法を使用いたしました。目的の全体は、預金保険基金に対しての破綻銀行コストを最小にとどめることであります。
ただ、このオープンバンク・アシスタンスはアメリカでは余り使われておりません。特に1991年の法改正で最小コスト原則が導入されて以来使いにくくなっているからです。
以上、三つの処理方法を御説明申し上げましたので、残りの時間は二つの関連問題の討議に充てたいと存じます。
第1番目が、大型で複雑な機関の破綻をアメリカはどう処理してきたかということ。第2番目は、基金の中で、アメリカでは破綻した機関の資産をどう民間部門に返していったかであります。
申し上げましたように処理プロセスを最小限のコストで賄うという最小限コスト原則を義務づけました法律が1991年に成立した結果、FDICといたしましても、自らの選べる整理法については制約されるということになりました。
しかし、この最小コスト原則は導入されましたけれども、システミックリスクがおそれとしてある場合には、適用除外という扱いを受けることになっております。特別な非常な事態が生じたときには、最小コスト要件を守らなくてもいいという条文であります。特別な状況というのは、FDIC、FED、財務長官が大統領と協議いたしました結果、もしこの場合に最小コスト原則を守ってしまうと深刻な悪影響が経済状況及び金融安定に出ると判断されたときは適用除外になるというものであります。ただ、もちろん問題となっている対象機関の経営は真っ当にされていなくてはいけませんし、法律、規則、監督、指令、命令等、全て要件は遵守されているということが大前提になります。
しかし、以上の条件が全て 100%満たされているのなら、オープンバンク・アシスタンスを使うということは適切と考えられます。
システミックリスクにつきましては、このように法律上明確な規定もございますし、政府の最大トップの関与が求められているということからもおわかりのように、問題行が大規模の場合、いかに相対立し合う利害をバランスすることが大事になってくるかということがわかります。
大型機関の預金者、債権者、株主を小さな銀行の預金者、債権者、株主より優遇したくないという考えももちろん働くわけですし、特に大規模銀行の問題の処理で市場の価値といった規律を緩めるような結果にはしたくないと思います。しかし、一方でシステミックリスクももちろん気掛かりであるということで、大規模銀行の問題が経済の他の部門に波及してほしくないという一念も働きますので、余りにも問題が複雑で、簡単にはとても答えの出ない問題であります。
大規模銀行同士の合併等、米国銀行界の主役が未だ進行中なだけにこの問題は重要であります。もちろん小規模銀行も多数残っておりまして、今でも
5,000行ぐらいは残っておりますけれども、それでも業界のリソースの大半は、ひと握りの少数のメガバンクにますます集中している昨今です。
第2の問題は、アメリカにおいて民間部門にどのように資産を戻していったかという問題であります。これについては、官民挙げての大々的なコミットメントが必要でありました。1980年代の銀行危機が起こる以前は、アメリカにおいてもFDICが1件1件資産処理を内部職員だけでやって、事は済んでおりました。しかし、破綻銀行から入ってくる資産の量が増大するにまちまして、とてもFDICにしても、RTCにしても自分だけでは資産を処理することは無理になりましたので、民間部門から業者に頼みまして、様々な作業を委託するということでやっていきました。
この民間部門の請負業者選定及び監督だけでも大きな課題になりました。この期間中、請負業者が管理し、処分をした資産は18万
7,000件に上りますし、簿価にして789 億ドル、もしくは約 8.6兆円にも上ります。
FDICとRTCは、それぞれ大量の資産を入札と密封入札で民間に移転いたしました。入札の方は不動産、有形資産の処分のみならず、正常債権と不良債権のプールの処理の際にも使用いたしましたし、入札は地方単位、また、全米単位両方で実行いたしました。また、密封もしくは封印入札の方は、通常、個別資産の処分をするときに使った方式であります。
RTCでの不動産入札は当初は、非常にスロースタートになってしまいました。もう当時既に冷え込んでいた不動産市場をさらに足を引っ張ってしまって悪化させるのではないかという非常な懸念があったからです。これも一つの理由となりまして、RTC設置法の中では、時価の95%以下で不動産は売却してはいけないという項目が入ったことであります。そして、この当初の懸念は、売却のスローペース及び在庫のキャリングコストの増加、多数の資産を同時に管理していくことの難しさ、また、伝統的な民間市場であったものについて政府の関与が長引いてしまうということで悪影響が出るのではないかといったような懸念に形を変えてまいりました。
RTCも資産を在庫として抱え込んでいても、民間資産市場の回復には資さないということを認識いたしました。そして、RTC自ら市場の回復の先鞭をつけるのは自分の責任と認識いたしまして、資産を早く民間部門の最も生産的な用途に戻した方がいいという方針で、ロスはロスとして認め、前に進もうではないかという方針をとり始めました。そして、その結果、RTCは、より積極的に不動産の処分を始めたわけです。そして、結局、ふたを開けてみましたら、不動産市場の悪化というのは杞憂だということも判明いたしました。そして、FDICとRTCが破綻銀行及び破綻したS&Lから得た資産を比較的早く処分できたことが、回復プロセス自体のスピードを速めたことに役立ったようです。
FDICとRTCは、証券化等も利用いたしまして、特にコマーシャル・モーゲージの証券化等を通しまして、新市場を創設いたしました。また、より限定的ではありますけれども、エクイティ・パートナーシップ・プログラムを使っての資産処理も行ってまいりました。RTCは資産プールの提供やファイナンシングのアレンジ等、リミテッドパートナーとしても活動いたしましたし、民間部門の投資家の方々はゼネラルパートナーとして株式投資を行う資産管理サービスを提供するといったようなことを行い、最終的に大量の資産をRTC、FDICともども民間に移すことができ、しかも、回収率も高まったというふうに思っております。
そろそろ結論に入っていきたいと思います。多分皆様方も、部屋の温度も上がってきたことですし、早く終わらないかなときっと思っている頃だと思いますので。本日は、約15年の間を通して起こったアメリカの状況について述べさせていただきました。当時は、そのものずばりが起こっていたということで全体像が明らかでございませんでしたので、どういう順序で起こったのか、順序立てて追っていくことはできなかったんですけれども、本日は、一応もう時間がたっているということで、ある程度順序立ててお話をさせていただいたつもりであります。そして、危機が起こっている真っただ中においては、破綻処理に当たっていたわけですので、私どもはまさに未知の領域で格闘していたわけであります。
しかし、今回アメリカの教訓から学べる一つの大きな事項は、問題があるときには、その問題処理を長引かせてはよろしくない。やはり迅速に決定的な策をもって手短に決着をつけてしまうということがよろしいということを大きく学んだような気がいたします。
これから質疑応答と伺っておりますけれども、その前に私の方から少し、同行しておりますFDICのワトソン局長を御紹介申し上げたいと思います。もちろん、部会長より既に御紹介ございましたけれども、私の方から少し付言させていただければと思います。
御存知かと思いますけれども、FDICの設立は1933年でございまして、単なる偶然かと思いますけれども、ワトソン局長も実は1933年、同じ年のお生まれであります。誠にFDICにとってはふさわしい方でございまして、FDIC職員全員挙げて、もしFDICの価値と精神を最も良く具現化している人は誰だといえば、全員ワトソンさんだというふうに答えが返ってくるぐらいのすばらしい方であります。
そして、本当にキャリアの職員としてすばらしい方でございまして、一応タイトル的には「調査統計局長」というふうになっておりますけれども、この調査統計局というのは、多分に誤解を生む名称でございます。と申しますのも、ワトソン局長は危機の間、ずっと通じて、まさに主要な役割を果たして先頭に立って破綻案件の処理に当たってきた方であるからです。ブッシュ大統領が1989年当時にRTCを作るんだという構想を発表なさったときも、ワトソン局長はFDIC側のマネジメントチームの重要な一員でありました。そして、ありとあらゆる主要な政策決定には全て関わってこられたのがワトソン局長でございまして、公共政策の重要なもの、また、主要な銀行破綻案件については全て全面的に関わってこられた方であります。この20年間ずっとエキスパートコンサルタントといたしまして、私も含めまして、FDIC歴代の議長に対して様々なアドバイスを与えてきた方であります。
多少回りくどくなりましたけれども、いかにすばらしい専門家であられるかということを御説明させていただくということで、また、そのために今回も同行していただいた次第です。
○倉澤部会長 どうもありがとうございました。今後の当部会の議論にとって大変有益な貴重なお話をいただくことができました。
それでは、先ほど申し上げましたとおり、ここでタノウエ議長、ワトソン局長を囲んでの自由討議を行いたいと存じます。私から申し上げるまでもなく、FDICの議長及び今タノウエ議長から御紹介がありましたように、すばらしいお仕事をなさっているワトソン局長御自身に直接御質問ができる機会は極めて貴重なものですので、平素よりの疑問、御意見等をどしどしお出しいただければと思います。
では、堀内委員。池尾委員、その次にお願いいたしましょう。堀内委員、どうか。
○堀内委員 どうもありがとうございます。
私は個人的には、銀行の破綻の費用の少なくとも一部はマーケットの投資家が負担するような、そういう安定した仕組みを作るべきだと個人的には思っているわけですが、先ほどのお話の中で、1991年にミニマム・コスト・プリンシプルが導入されて、それ以降FDICは、P&Aのプロセスでインシュアル・デポジットのみを対象とするような方式に限定してきたんだというふうなお話があったかと思います。
私はアメリカのことは余り詳しくないので、お聞きしたいんですけれども、そのプロセスで、一つは、P&Aでカバーされなかったマーケットの投資家たちの反応はどうであったか、あるいは混乱はなかったかどうか。あるいはそういうプロセスを通じて見たときに、最小コスト原則をとっていなかった時期におけるP&Aと、それ以降のP&Aで、全体のコストというのはなかなか難しいんですけど、銀行破綻のコスト全体の比較をしたとしたら、やはり最小コスト原則以降の方がまさに安上がりのプロセスになっているのかどうか。その辺がわかれば教えていただきたい。
○ワトソン調査統計局長 大変良い御質問いただきまして、私の方からお答え申し上げたいと思います。
その前に、タノウエ議長より私の過分な御紹介いただいて、正直申し上げて、悪い意思決定にも若干加わってしまったのではないか。全て良い決定をしたわけではなかったということをちょっとお断り申し上げたいと思います。
また、アメリカは91年の後半にこのFDIC改善法ということで最小コスト原則を導入した新しい法律が通ったわけですが、それは非常に幸運だったと思っております。なぜなら、その改正法が導入された時期がアメリカ経済及びアメリカの銀行システムが好転を始めつつあった時期に相当したからであります。ですから、実際にこの最小コスト原則の下で処理に付された銀行というのは、件数的にも少ないですし、また、規模的にも小さな銀行ばかりであったということになっておりまして、そういった小規模の銀行でございますのは、経済全体に対して大きな重要性を持っているようなものはなかったということが言えます。もちろん、寡婦ですとか、孤児ですとか、また、老齢者の方々ということである程度その歪みがいってしまったということもございますけれども、ただ、それは大々的な問題ではなかったということで、マーケット全体に大きな反動につながるといったようなことは全くなくて、今まできております。
また、91年以来、銀行のフランチャイズとしての価値も劇的に上昇してまいりまして、トラブッた問題銀行の方もFDICの支援を受けることなく処分された、整理された、もしくは何らかの形に生まれ変わったということが多々こざいました。
それから、破綻処理対象になったものにつきましても、かなり良いプレミアムを付けて、大銀行、受け皿銀行の方に売却されたという経緯が多々あります。
ただ、この最小コスト原則が導入される前と導入された後でコスト的に何か大きな一般論的な結論があるかとおっしゃいますと、まだ結論は出ていないということであります。まだ91年以降、大規模な銀行を対象にしての処理が行われておりませんので、それが出てきませんと、その前と後との比較ができないというふうに思っております。
○倉澤部会長 堀内委員、よろしゅうございますか。
○堀内委員 はい。
○倉澤部会長 では、池尾委員、どうぞ。
○池尾委員 P&Aの処理をしようとするときに、受け皿金融機関が見つけられるかどうかということについて懸念があるんですね、日本では。お話しになった1980年代から1994年の時期は米国の場合、インターステート・バンキングに関する規制が存在していて、破綻金融機関の買収が州を越えた銀行業務の規制を回避する効果を持ったということで、インターステート・バンキングに対する規制があったということが受け皿金融機関が比較的見出しやすかったという背景になっているんではないかと思うんですね。つまりインターステート・バンキングに関する規制が金融機関のフランチャイズ・バリューを作っていたので、受け皿金融機関を見つけやすかったのではないかというふうに思っているんですが、その点がどうかということをお伺いしたい。
それで、1994年、確かその規制が撤廃されたはずですが、今95年以降、フランチャイズ・バリューが高まったというお話がちょっとあったんですが、それはどういう意味なんでしょうか。一般的に経済が好転したから価値が高まったということなんでしょうか。
○ワトソン調査統計局長 良い観察をいただいたと思います。アメリカは時期的にも恵まれていたというふうに思いますし、事実として、他方、多数の破綻銀行、問題行もこざいましたけれども、もう一方では、多数の健全な受け皿銀行になり得る機関もたくさんあっということが言えると思います。州際業務規制というのはもちろん後日撤廃されたわけでありますけれども、そういったものが存在したということで、より受け皿銀行が出てきたということも多少言えるかと思います。テキサスなどでは規制が厳しかったといったような事情もありますので。ただ、撤廃された後、さらに受け皿銀行が増えているといったようなことも言えます。
そして、その間、フランチャイズ・バリューも上がってまいりまして、その主たる理由というのは、やはり経済全体及び銀行システム全体が健全性をさらに上げていったからだというふうに考えており、また、銀行につきましても、全米で自らの知名度を上げたい、プレゼンスを上げたいということで拡大していくという方法をとりましたので、その分バリューも上がったということだというふうに思います。
○タノウエFDIC議長
プット戦略ですとか、このロスシェアリング方式を導入したということで、以前は非常に躊躇し、二の足を踏んでいた銀行も魅力を感じて、受け皿銀行になってもいいというふうに思い出したという効果も大いにあったと思います。
○ワトソン調査統計局長 もちろん投資家たるゆえんは、そのリスクを負うということでありますし、そういった面でマーケットの規律も大事であります。サボディネィトクリッターですと、こういったところはワイプアウトしたということで、結局、預金者や一般債権者の方にまで及ばなかったというのがよろしかったんじゃないでしょうか。
91年の改正法導入に加えまして、議会の方は、破綻機関の株主に対して支援を出してはいけないという禁止条項を設けたということも大いに効果を出したというふうに思っております。破綻してもそこにある株主に対して、何かその株主が裨益してしまうようなことはしてはならずというものでありまして、それは今までやっていた慣行をいわば法典化した、法律に制定したといったような性格を持ったものであります。
○倉澤部会長 深尾委員、どうか。
○深尾委員 幾つか質問があるんですが、まず、システミックセクションを発動した場合です。株主は損失をかぶるにしても、劣後債務についてはどういうふうに扱われることになるのでしょうか。まだ発動された例はないと思いますけれども、サボディネィトデッド、劣後債務についてどういうふうに扱われることになるのか。
○タノウエFDIC議長
まだもちろんおっしゃるように発動したことは1例もないんですけれども、仮に発動したといたしまして……。
○ワトソン調査統計局長 お答えでございますけれども、仮に将来システミックリスク状況が判定されたといたしますと、どういうふうになるかということでありますけれども、多分シナリオ的には、P&A、ブリッジバンク方式ということになるんだと思います。シニアクリッターはホールドし、ジュニアクリッターや一般の債権者というのはワイプアウトされるということで、ただ、日本の問題はまさに銀行を閉鎖せずにしてどうするかといったような問題を追っていらっしゃると思うんですけれども、そういう場合には、最初に債権者と株主側との対応をきちっと済ませないと次の段階のアクションはとれないということになると思います。
アメリカの経験を本日お話し申し上げましたけれども、ぜひ日本の御経験からも、いろいろ教えていただきたいというふうに思っております。FDICとしてまだ起こっておりませんけれども、いつか大型のメガバンクの破綻があるかもしれない。それに備えなくてはいけないということをいろいろ考えておりますけど、今は机上の学術的な研究の域を出ないというふうにアメリカの事情はなっておりますので、日本の経験等を通しまして、いろいろ教えていただいて、アメリカとしての対応を今から創意工夫で考えていきたいとは思っております。
○倉澤部会長 続けてどうぞ。
○深尾委員 二つ目の質問としては、アメリカの場合は、10万ドルまで金利を含めて100
%が保護されていると理解していますけれども、預金者のサイドのモラルハザードを防ぐためには、むしろ多少カットした方がいいのではないか。つまりイギリスの場合ですと20%のカットをしていると思いますが、仮に預金保険対象であっても多少の負担を預金者に求めた方がよいのではないかと思われるんですけれども、この点はいかがでございましょうか。
○ワトソン調査統計局長 市場の規律が余りにもうまく機能しているということでこの預金保険機構というものもそもそもできたんだというふうに思っております。ただ、預金保険制度については、どこまで保護するか。また、どの程度まで安全性を求めるのか。そして、誰を対象にして保護するのか。不安定要因はどこなのかということは、様々な受取り方があるとは思います。
ただ、実際危機が起こったときにどのように対応していくのかということなんですけれども、例えば、預金者の中には、全く情報を持っていない、ほとんどナイーブで知識もない人たちでリスクなど全く理解できない人たちがいるわけでありますので、その人たちも一緒くたに含めて、保険がたとえ掛かっていても、その一部を放棄したらいいんじゃないか、カットしたらいいんじゃないかといったようなことを求めてしまうと、かえって社会全体の不安定要因が増してしまうというふうに私は思っております。
私の個人的な経験から申し上げますと、とりあえず一定限度までは
100%全額保護しておく。そして、その一定ラインを超えた上での、超えた部分についての保護の仕方については、一部カット、放棄をさせるといったようなことも一つの検討要因として考えられるとは思いますけれども、最初から全額に対して、ある一定限度に達しないまでも、一律カットしてしまうといったような方法をとってしまうと、結局、債権者なり、また、預金者などもその銀行から離れていってしまって、もう返ってこないということになるというふうに思っています。
○タノウエFDIC議長
その預金保険制度の中で一体誰を保護する対象とするのかということでも解釈が違ってくると思います。アメリカのシステムはあくまでも預金保険というのは、最も零細な、最も小規模な預金者を守るということをまず前提としておりますので、例えば、私の母のような人間でしたら、とても金融機関の財務状況などの分析はできないということであります。学者ではございませんので。ただ、日本はもっと違うのかもしれません。想定なさっておられることの対象がもうちょっと高度な方かもしれませんし、より情報を持っている方かもしれませんけれども。
○倉澤部会長 もう一つぐらいにしてください。
○深尾委員 閉鎖した週末についてなんですけれども、この時期はやはり小切手とかキャッシュカード、クレジットカードは使用ができなくなるのでしょうか。破綻した金融機関の小切手、それから、クレジットカード、キャッシュカードについても質問です。
以上です。
○ワトソン調査統計局長 例えば、小切手は書きますけれども、それは不渡りになってしまうということです。その期間は。と申しますのは、例えば、小切手を書いて、それをもらって誰かが引き出そうとしましても、一たんその期間、銀行が破綻してしまうと、決済、クリアリングのサービスをある一定期間受けられないという停止期間に入ってしまいますので、その間に相当してしまうと、結局、小切手を書かれても、それを処理がその後進まないということです。
ただ、このクリアリングについてホールドがかかるのは一定期間でありますので、その後もちろん解除されますので、そうしましたら、また平常どおり動くということなんですけれども。
○倉澤部会長 吉野委員、どうぞ。
○吉野委員 二つ質問させていただきます。
一つは、企業の流動性預金というのを日本は相当抱えているわけですけれども、その場合に、アメリカの場合には、金曜日に閉めて、月曜日に開けることによって企業の流動性預金には影響なかったのか。あるいは企業は自分のプロテクションとしていろんな銀行にその流動性預金を分けるような行動があったのかどうかというのが第1番目です。
それから、2番目は、先ほどリサイシブアクションとおっしゃったんですが、例えば、インドネシアは今リサイシブアクションとっていまして、結局どういうことが起こっているかといいますと、公的資金が入れられまして、その国債がマネーサプライにつながって、もう一つは、海外からの借入れのためにルピアが下がって、結局多額の負債になっているわけですね。ですから、そういうふうにアクションをとってうまくいくかどうかというのは、国によって大分違いまして、アメリカの場合に、やはり景気が回復してからということが大きいような感じがするんですが……。
もう一つお聞きしたいのは、銀行のマネジメントがインプルーブ本当にしたのかどうか。あるいはFDIC等が銀行の審査能力とか、そういうものに対してもインプルーブするようなことができたのか。あるいは景気が良くなったので、うまくいくように見えて、うまくいっているのか。その2点です。
○ワトソン調査統計局長 確かにアメリカの経済自体が良くなっていたということが我々にとっての幸運だったというふうに思っております。業績が良い。しかし、その業績が良い理由の一つは、銀行の経営が良くなったからかどうかということは、どこまでそれが効いたのかということについては、はっきりとは言えないわけですけれども、規模的には、銀行の経営陣も良くなったから、全体の業績が上がることの一助にはなったんだというふうに理解をしたいと思っております。
しかし、確かに80年代に比べまして、米銀のリスク管理というのが非常に高度になったというふうに宣伝されてきたと思っております。
それから、91年、最小コスト原則、また、改正法も導入されましたけれども、その後、企業側で破綻があったから、その流動性について何が問題があったといったような事例は大きなものは出ておりません。次のウイークエンドには使いたい預金がちゃんと手元にあったといったような形になっており、一般債権者もほっとするということで、何ら大きな問題は起きておりません。最小コスト原則が導入された後、実際に破綻したのは小規模機関ばかりでありましたので、もちろん地元のローカルな中小企業に勤めていた人がある程度支障を被ったということはあるかもしれませんけれども、それが大々的な問題になってワシントンまで上がってきてしまったといったような事例は今のところ、起こっておりません。スムーズに整理、処理がされておりまして、ほとんど対象になっている預金は保険が付いておりましたので、問題は起こっておりません。
インドネシアについての話ですけれども、逆に迅速なアクションをとらなかったらどうなっていたかということになると、マーケットに対しても、銀行の経営陣にとっても、何らインセンティブにはならない、何の足しにもならなかったということだと思います。
アメリカの場合にもS&Lの対応が遅れてしまったということで、最終的にアメリカの納税者に多大なコストを何倍も押しつける結果になってしまいましたので、もちろん集中している間にマーケットが好転して全てが解決されればいいというふうに思うかもしれませんけれども、それは余りにも金融の世界ではリスキーなことで、結局うまく運ぶところもあるけれども、悪く出てしまうこともあるわけで、ポリシーメーカーとしては、絶対ギャンブルはしてはいけないというふうに思っております。もちろん個人的問題でしたら、時とともに問題が解決されるということも時にはあるかもしれませんけれども。よく言います。最初に出たロスが一番対応しやすいなと。
○倉澤部会長 ほかにありますか。
翁委員、どうか。
○翁委員 ブリッジバンクについてお伺いしたいんですが、アメリカのブリッジバンクというのはP&Aの変形として、受け皿がある程度見つかっているんだけれども、その破綻金融機関の規模がある程度あって、時間がかかるのでそういったブリッジバンクを設立するというものだというふうに聞いておりますし、また、幾つかの例もあるということを聞いているんですが、91年にリーストコスト原則が入りまして、P&Aというのがインシュアル・デポジットが原則になっていて、大口預金者もロスを被り得るということになった場合に、2年間を限度にブリッジバンクを運営するような場合に預金がその間、逃げ出してしまうというようなことが出てくる可能性が増えているのではないかという感じがするんですが、91年以降どのぐらいブリッジバンクを設立されているかよくわからないんですが、もし今後ブリッジバンクを設立するということがある場合を想定してお答えいただいても構わないんですが、そういった大口預金者がロスを被り得るという世界になった中でブリッジバンクの運用をどういうふうに成功させ得るというふうにお考えになっておられるかということをお伺いしたいんです。
○ワトソン調査統計局長 ブリッジバンクという用語の使い方について、日本とアメリカで少し違いがあるかもしれませんので、それも含めて説明させていただきます。
典型的なアメリカにおけるブリッジバンクというのは、まず、ある銀行が閉鎖されますと、FDICが管財人としての指名を受けます。そして、その後、破綻銀行の負債及び資産全てもしくは一部をブリッジバンクに移転するができるということであります。そして、アクワイアがもちろん目ぼしい人がいる場合と、いない場合と両方あるわけですけれども、もう決まっている、もしくは決まりそうだというときも、デュー・ディリジェンスをやらなくてはいけないということで、一応ブリッジバンクの形にしておいて、環境を安定化しておいてデュー・ディリジェンス等のプロセスを進めるということもありますし、全くアクワイアの目ぼしがついていないときは、もちろんあります。そのときは、対象となっている銀行が余りにも重要、もしくは余りにも複雑で、即清算することができないので、ブリッジバンクを作って、そこに引き継ぐということもあります。
ただ、実際の話、アメリカでは、91年以降、ブリッジバンクは全く設立されておりません。というのは、91年以降、複雑な破綻案件というのは1件も発生しないからであります。
それでは、ブリッジバンクを今後作られることを想定してということでありますけれども、もちろん大口の預金者というのは大体いつも自衛手段は自ら考えていますから、ブリッジバンクに資金を移転するときもありますし、その他の方法で自らを守るということもあります。ほかの機関に移すということもあります。ブリッジバンクが一たん作られますと、法律の解釈上は、もはや最小コスト法といったようなものは適用されないという形になり、そのうちの預金者はブリッジバンクにその預金を移すこともあるし、もしくは、ブリッジバンクができて、そこに入れて、その後別の銀行にさらに受け皿銀行として決まるときには、全員預金を抱えている人たちにはホールドがかかるという形になっています。
一般論では語ることはできないんですけれども、大体問題行に大口預金を持っている者というのは、事前に自衛策を講じておりますので、アメリカの法律では、銀行が閉鎖された場合には、個人であれ、企業であれ、預金と融資と両建てで銀行と取引している場合には、その二つで相殺可能ということになっておりますので、
100万ドル預金があって、一方で 100万ドル融資を受けていた場合には、それでオフセットできる。だから、その銀行に対してのエクスポージャーはなくなるという方法があります。
また、ほかにも預金の裏付けとしての担保権の保証を求め、その他いろんな方法は預金者側にもあります。
これでお答えになったでしょうか。
○倉澤部会長 予定の時間からしますと、もうお一人で、しかももう1問くらいということですが、では、坪井委員、お願いいたします。
○坪井委員
迅速なる処置ということなんですけれども、要するに、金曜日に閉めて、月曜日には営業を譲渡されて行うというような迅速な処理するためには、2〜3カ月前からFDICが準備に入るというふうにお聞きしていますが、これは要するに、破綻するだろうという銀行とのコミュニケーションというんでしょうか、どういう関係で、一緒に処置しなければこの準備はできないと思うんですけれども、そのとき既にもう通告をして、破綻処理のための準備に入るのか。そういうときに風評的に非常に被害が起きてくる可能性が強いんですけれども、そういうこともどういう形で補完されるのか。もし秘密にやるとしたら、また秘密にやる手はず、管財人としてのことは破綻してからだと思うんですけれども、その段階で破綻するだろうという金融機関との間にどういうようなコンタクトができるのか。契約を結んでやるのか、その辺教えていただきたいと思います。
○タノウエFDIC議長
多分、ただいまの御質問は、監督機関同士の協力ということに多く関係しているようであります。FDICは通貨監督庁ですとかその他の官庁のさらなる監督を受けているという立場にありまして、預金機関といたしまして監督を我々に対してしている機関とも協力をしていくということが重要であります。監督機関同士、適切な情報を得ること。そして、実際に機関が破綻してしまったときも、即何の時間のむだもなく、タイムリーに現場に乗り込むことができるように準備をつけておくということが大切です。
それから、法律をベースといたしまして、バックアップ権限がFDICに与えられておりまして、保険機関といたしまして、独立した形で、ある預金機関が危なそうだ、リスクがありそうだと判断するときには、我々独自でその機関のところに行って、いろいろの調査ができるということになっております。
ただ、一番重要なのは、同僚の官庁間と協力をし、効率良くやっているということで、これは大変なことではありますけれども、タイムリーに動くという意味では、欠かせない要素であります。
また、Y2Kの関連で、不測の事態が起きたときに備えての危機管理計画といったようなものももちろん作っておりまして、例えば、企業側に対して、4月30日時点でまだ十分対応ができていないようなところについては、資産と負債について、機関についてですけれども、情報をつぶさにFDICにコンピュータテープとしてもらうということを課しております。そうすれば、実際にY2Kに絡んで何か混乱もしくは不具合が生じたときにも、一応バックアップとしてコンピュータテープが我々の方にもありますので、何とか不測の事態を乗り切ることが我々の側でできるんじゃないかというふうに思っています。そのような対策もとっています。
○倉澤部会長 どうもありがとうございました。予定の時間が参りました。
タノウエ議長、ワトソン局長、本日は、貴重な時間を割いていただき、有益なお話を賜りまして、本当にありがとうございました。今日のお話と討議は、これからの我々にとってこの審議会第二部会の討議の重要な糧にしていきたいと思います。改めて、もう一度お礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)
〔タノウエ議長、ワトソン局長退席〕
○倉澤部会長 それでは、最後に、次回の日程等につきまして、事務局より連絡させていただきます。
○玉川調査室長 次回の日程は、9月29日(水曜日)の午前10時からとなっております。議事といたしましては、預金保険制度を巡る問題につきまして金融監督庁等からの御報告、事務局からの今後の議論の参考として金融機関の資金調達構造等に関する御説明を予定しております。
○倉澤部会長 どうもありがとうございました。
この預金保険制度については、年末に出す最終答申の前に「基本的考え方」というものをとりまとめることを予定しておりますが、次回はそれに向けての議論も行いたいと考えております。
次回の進め方等につきまして、質問等ございましょうか。
以上のようなことで次回を開催させていただくということでよろしゅうございますか。
ありがとうございました。
それでは、以上をもちまして、本日の会議を終了させていただきます。
どうもありがとうございました。
(以 上)