【海外通信】
 

ワシントン雑感

世界銀行 理事
大久保 良夫

 7月、米国ワシントンにある世界銀行(以下、世銀)に赴任しました。まだ赴任して3ヶ月ですが、金融庁で色々な方々と仕事が出来たことを感謝し、懐かしく思い出しています。ワシントンで勤務するのは3回目です。前回は1993年の夏まで、世銀の隣のIMFでスタッフとして働いていました。今回、11年ぶりにワシントンに来て感じたことを記してみます。


.緑の芝生とコンクリートの壁
緑の芝生とコンクリートの壁 ワシントン郊外の景色は、11年前とほとんど変わっていません。木々がたくさん茂り、緑の芝生が広がり、リスが餌を探して走り回っている平和で開放的な風景です。しかし、良く見ると、多くの家が玄関や庭先や芝生に星条旗を飾っています。これは、2001年9月11日の同時多発テロ事件以来ということで、この事件がアメリカ人の心理に大きな影響を与えていることがわかります。
 この事件の調査委員会は、今年7月「9月11日事件レポート」を公開しましたが、これはベスト・セラーになっています。空港警備、危機対応、諜報などについて、連邦政府、地方政府、関係当局や軍の体制上の問題点などを詳細に調査したものです。あのような事件を予見するのは難しく、防止する体制も十分でなかったことは明らかですが、対応体制を作るのは簡単ではありません。悲惨なテロ事件をどうやって防ぎ、安全で平和な社会を作っていくかは、米国のみならず国際的な課題であり、一国の枠組みにとらわれず、様々な意見の違いを乗り越えて解決策を探っていかなければならない問題です。テロ防止やマネー・ロンダリングなどの直接的課題への取り組みはもちろん、途上国の貧困の削減や若年層の大量失業などの解決も含めて、国際機関の果たす役割は大きく、世銀もこの課題への取り組みの大きな一翼を担っています。
 8月1日には、世銀・IMFもそれぞれの本部の建物がテロの対象として狙われていたという情報が明らかになり、ワシントンではテロ警戒レベルも引き上げられました。それ以降、世銀本部を訪ねる人は手荷物を厳重にチェックされ、金属探知機を通って写真入りのバッジを貰わないと建物に入れないなどの措置が厳密に実施されています。また、建物の回りにもコンクリートの低い壁が作られ、自動車爆弾などに簡単に突っ込まれることがないように警備されています。駐車場に入る車も厳重にチェックされています。こうした警戒体制は、現在、日常のものとして受け入れられています。厳重な警戒体制が解かれ、コンクリートの壁が片付けられる日がいつ来るのか分かりません。




.電話が通じない!

 日常生活で問題が生じると、会社を調べて電話します。請求書に誤りがある、名前や住所が違っている、ケーブルテレビがよく映らない、停電した(良くあるようです)、飛行機の出発時間を確かめたい、等々。ところが、電話に出るのは録音音声が多く、「ご用件が○○ならば1のボタンを、△△ならば2を、◇◇ならばの3を押してください。」との声。自分の用件は△△だとして、2を押すと、「あなたの電話番号を入力してください。」との反応。慌てて入力し、間違えると、「市外局番から入力しなおしてください。」との返答。「あなたの入力した番号は○○ですね。正しければ1を、間違っていれば2を押して、もう一度入力し直してください。」1を押すと、「顧客サービスの質を確保するため、この電話はモニターされ、または録音されることがあります。」とのアナウンスが流れます。やっと会社の人と直接話せるかと思うと、「ただいま混み合っておりますので、しばらくお待ちください。。。」待つこと数分、ようやく相手が出てくるというような具合です。しかも、相手が出てくると、「ご用件は何ですか。あなたの電話番号は?」の繰り返し(さっき一生懸命入力したのに、、、)。それでも相手と話せるのは有難く、何とか用件を伝えて解決すれば本当に救われた気がします。日本でも最近自動電話応対が増えていますが、こんなに手間を取らせたり待たせたりしたら、日本人なら腹を立ててしまうことと思います。
 しかし、面白い発見もあります。例えば、会社によっては、「英語の方は1のボタンを、スペイン語の方は2のボタンを押してください。」というアナウンスが流れ、その後すぐにスペイン語でメッセージが流れる場合があります。スペイン語を話す人が増えて、そういう人もできるだけ顧客に取り込みたいからでしょう。米国は英語の国というのは真実ですが、街中では純粋(?)な英語を話す人よりも、スペイン語など外国語なまりの人と話すほうが多いような気がします。スーパーマーケットのレジの人、クリーニング屋さん、床屋さん等々。スペイン語が上手い人は米国で全く不自由なくすごせるのではないでしょうか。
 自動電話対応が増えている背景には、電話応対体制の維持に伴う人件費の合理化に加え、サービスや料金体系の複雑化、訴訟の回避、電子メール・インターネットの普及などもあると思います。クレジット・カードもインターネットで申し込んだほうが早いと勧められました。電話口で的確に質問に答えられる人を配置するのには大変コストがかかる一方、インターネットで申し込めば、記録が明確に残り、業務に詳しい人がキチンと処理できるということなのでしょう。
 ちなみに、電話に出てきた相手は、実はインドで働いている人ではないですか、と教えてくれた人がいました。通信費が安くなっているので、コールセンターを外国に移してしまってコストを節約している会社もあるのです。英語を話す人がいるのなら電話応対はどこでも良いわけです。お客さんは、知らないうちに国際電話をかけているのかも知れません。




.日本食は健康に良い!

 ワシントンでは、日本食が一層定着してきました。私のすんでいるベセスダという小さな街にも、日本レストランは少なくとも8件あります。世銀のキャフェテリアでも寿司が食べられます。日本レストランでは、日本人よりも外国人のほうが多く、トム・クルーズに似た人も上手にお箸を使っています。お寿司のみならず、松花堂弁当をメインにしたしゃれたレストランや、持ち帰り寿司や惣菜などを売っている店も増えました。先日、普通のスーパーでお寿司の盛り合わせを売っているのを見つけたのには大いに驚きました。郊外の大きなショッピング・モールの食堂にも日本食のカウンターがあります。鉢巻をした店員は東洋系の人でした。
 日本食は低カロリーで健康に良い、長寿にも良いというイメージもあるでしょうが、何といってもその美味しさが確実に理解されているためでしょう。日本食が好きなことと日本が好きなこととは違うでしょうが、日本人として、こういう風景を見るのは悪い気がしません。米国で「カリフォルニア巻き」が誕生したように、様々な日本料理が、外国の風土のなかで、新しいメニューに転化していき、さらにおいしいものが生まれる可能性もあるでしょう。「最初のデートのときには寿司には行かない。」という人が3割いる、との新聞記事がありましたし、本物のトム・クルーズは日本食を好きなのかどうか、私は良く知りませんが、多様な食事の文化をお互いに自然に受け入れていく動きは確実に広がっているようです。「最近の米国では『日本』が話題になっていない。」という人もいますが、体制が似ているヨーロッパの国も同じ程度かもしれません。日本食の定着は、むしろ、日本の経済や文化が自然に相互交流を深めていることの証拠ではないでしょうか。




.あなたは日本人?
世界銀行本部 世銀のような国際機関で働いていると、当然、様々な国の人に会いますが、「あなたは日本人ですか?」と聞かれることは稀です。こういう質問は、かなり親しくなってから聞くようです。というのも、国際機関では、職員の国籍の多様性を尊重するという一般的な要請があるなかで、個別職員の仕事は国籍よりも専門性を優先するという前提で進んでいるので、国籍を聞くことは専門性を軽視しているようにも取られかねないからです。
 日本人と他の東洋人との見かけ上の違いも現在はほとんどないように思えるので、外見から判断しにくいようなときには、こういう質問は一層デリケートなものかもしれません。
 ところで、「日本人」という場合、単に日本国籍を持った人を意味しているわけではないと思います。人種的に日本人でなくとも日本国籍を持てますし、片方の親が日本人であれば国籍はなくとも日本人というでしょう。外国人で日本語が上手な人について、「あの人は日本人より日本的」といったりします。「日本的な人」とは、日本文化を良く理解できる人と解釈しても良いのかもしれません。要するに、「日本人」という言葉は、国籍(パスポート)だけではなく、「人種・血縁」「言語」「共通の文化的・歴史的体験」など様々な角度から考えられる概念ですが、ほとんどの「日本人」は、そういう概念の一つ一つを区別する必要もなく、四季の自然の美しさに富んだ平和な日本列島に住んでいて、普段は「日本人」という本来多様な概念を深く考えずに生きていくことができるのだと思います。あるいは、そういう問題は考えたくないのかもしれません。
 逆に、世界の中では、国籍と人種と言語が概ね一致して成り立っている国はほとんどありません。英語は、英国、米国、カナダ、オーストラリアなど多数の国のほか、多くのアフリカの国やインドやシンガポールでも公用語になっていますし、フランス語もドイツ語も中国語も様々な国で話されています。一国内で多数の言語が話されている国も数多くあります。また、インド人という人種の人は英国などヨーロッパにも多数住んでいますし、アフリカにも住んでいます。例えば、世銀の幹部にはインド系の人が何人かいますが、彼らは必ずしもすべてインド出身ではなく、アフリカ出身の人もいます。特に、世銀のような国際機関の職員は、「国籍」でも「人種」でも「言語」でも多様な人材で構成され、複雑な国際社会を反映しています。
 人間の国籍はともかく、経済活動の根本をなす企業の「国籍」は、もっと複雑になりつつあります。ある企業について、それがどの国の法律に基づいて設立されたか、どの国に本社があるのか、どの国の人や会社が主要な株主となっているのか、どの国の人が経営のトップに立っているのか、どの国の人が従業員として一番多いのか、どの国で一番大きな売上や利益をあげるなどの重要な活動をしているのか、など、企業の「国籍」は様々な物差で考えなければならなくなっています。世界の大きな金融機関は、だんだん「国籍」があいまいになっている企業の最先端にあるのではないでしょうか。企業と投資家とを結びつける金融・資本市場も、国境を簡単に乗り越えて世界的な統合を進めているように思えます。そのような世界の流れのなかで、日本の「国」として、預金者や投資家を保護し、市場の信認を確保する仕組みを考えて作ったり、実施していく努力をしている金融庁の仕事がいかに重要であるかと感じております。
 「あなたは日本人?」という質問を頻繁に受けるわけではありませんが、世銀で仕事をしていると、急速に統合が進んでいる世界経済や金融・資本市場の縮図に接しているような気がしている毎日です。

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