【国際室から】
 
 

WTO金融サービス交渉について

 

金融庁総務企画局総務課国際室長  
神崎 康史


.はじめに
 2001年に開始されたWTOドーハラウンドは、現在、2006年末の交渉妥結を目指して交渉が続けられています。WTO(世界貿易機関)は、約150の正式加盟国を抱えた、多国間自由貿易体制の柱となる国際機関です。
 WTOでは様々な分野が交渉の対象になっていますが、金融庁が関係しているのはサービス交渉です。広範なサービス分野のうち主に金融サービス分野を担当しており、金融庁の担当者が2ヶ月に1回程度の頻度でWTO事務局のあるジュネーブに出張して、各国の担当者と自由化交渉を行っています。
 本稿ではWTO金融サービス交渉の概要について、交渉現場の実感に基づき個人的な見解を交えつつ説明を試みました。なお、WTO交渉と関係の深い経済連携協定(EPA)交渉については、アクセスFSA第25号(2004年12月)を是非ご参照下さい。


.金融サービス交渉の位置づけ
 金融サービス交渉はサービス交渉の一分野です。WTO交渉というと、国内的にはモノの貿易に関する交渉、特に農業の関税交渉が注目されることが多いと思いますが、日本のマクロ経済構造を見た場合に、サービス交渉の重要性は無視できません。日本全体の戦略を示した「WTO新ラウンド交渉における基本的戦略」(2002年10月発表、外務省HPに掲載)はサービス産業が日本経済の6割以上を占めているという事実に言及しています。
 しかし、日本経済に占める割合が大きいからといって、直ちに全てのサービスがWTO交渉上重要であるということにはなりません。実際に交渉を進める際には、具体的にどのサービス産業がどのような業務で国際競争力があるのかきちんと見定める必要があります。果たして、金融サービスはどのような位置づけなのでしょうか。
 バブル経済崩壊後、我が国の金融サービス部門の国際競争力、国際的プレゼンスは、国際業務の整理縮小に伴い低下しました。しかし、不良債権処理が一段落した今、我が国金融機関はアジアの新興市場国を中心に再び国際業務を活性化する方向に転じつつあります。損害保険会社、銀行の国際業務拡大のニュースがしばしば新聞で報じられているのをご覧になった方もあると思います。また、金融自由化によりアジアの新興市場国の金融・経済が活性化されること自体、各国にとっても、またアジアとの経済上の結びつきの強い我が国にとっても、意義あることです。
 このような認識から、金融庁はWTO交渉における金融サービス自由化交渉を重視しており、2004年12月に発表した「金融改革プログラム―金融サービス立国への挑戦」においてもWTO交渉への積極的な参加を謳っています。また、政府全体でも、金融サービスはサービス交渉における最重要分野の一つと位置づけられています。


.WTOで何を目指すのか
 WTO金融サービス交渉の目標は、一言でいえば、海外に進出した我が国金融機関の活動を円滑化することです。主要な先進国の金融市場は比較的開放的ですが、経済成長著しい新興市場国の中には、外資系の金融機関を差別したり、その活動を阻害する規制を有する国があります。
 「外国の金融機関による銀行への出資は最大○○%までとする」、「外国の保険会社は○○という業務を行ってはならない」などの様々な制限が、各国のWTOの自由化約束表に書き込まれており、これらの制限の撤廃・緩和を巡って交渉が行われるわけです。
 海外に進出する日系企業、特に中小企業については、わが国金融機関が金融面でサポートすることが多いことから、近年、日系企業の進出が著しいアジアの新興市場国への関心が高まってきており、金融庁としては主にこれらの国と継続的に自由化交渉を行ってきています。


.交渉の経緯とこれまで直面してきた問題
 2001年12月から金融庁は主に業界団体を通じてWTO加盟国に対する自由化要望事項の調査を開始し、その結果を参考に2002年6月に初期リクエストを提出しました。その後、初期リクエストに基づいて、中国、インド、ASEAN諸国等のアジアの新興市場国を中心に二国間の自由化交渉を行いましたが、各国からのオファーは、多少の改善点はあるものの満足のいくものではありませんでした。2005年2月、主要関心事項に絞った上で改訂リクエストを提出して交渉を継続しましたが、ここでも十分なオファーを得ることはできませんでした。
 交渉は我が国金融機関のニーズ調査→リクエスト提出→二国間の自由化交渉→相手国からのオファー→再交渉というサイクルで進められます。プロセス自体はさほど複雑ではありませんが、具体的な成果を得るのは簡単なことではありません。
 そもそも、リクエストを受けた国に追加的な自由化約束を行う義務はありませんから、理論的にはリクエストを拒み続けることは可能です。自由化約束に関する一定の基準を作って、各国に自由化をさせればよいではないかと思われるかもしれませんが、サービス交渉は関税交渉とは異なり、各国が達成すべき目標の数値化・客観化が極めて困難です。
 また、金融サービス独自の難しさとして、金融がどの国にとっても経済のインフラ的存在であり、多くの途上国が金融危機の経験等から自由化に慎重な姿勢を取っていること、自由化を達成済みの先進国側から途上国に譲歩を求める一方的な構図になりがちであることなどが挙げられます。
 また、一見瑣末なことのようですが、WTOにおける交渉の状況が途上国の金融当局者(WTOでは「金融専門家」と称しています)に必ずしも正確・迅速に伝わっていないことも交渉上大きな障害となっています。本格的調整を行う前に、先進国の金融当局と途上国の金融当局が規制監督の観点も加味しながら自由化の可能性について意見交換を行い、途上国の懸念を徐々に和らげていくことが、両者にとって受け入れ可能な合意内容を探る上で大切です。しかし、金融当局の担当者が積極的に交渉に関与しなければその下地を作ることさえ難しくなってしまいます。金融庁は、EPA交渉で培ったチャネルを活用しつつ、アジアの新興市場国の金融当局に金融サービス交渉への積極的な関与を呼びかけています。


.金融庁の対応
 こうした困難を乗り越えて新興市場国の自由化を促していくために我々が交渉の円滑化のために普段から心がけていることは以下の通りです。
 第一に、自由化推進派諸国との連携です。我が国のリクエストは、相手国によっては20を超える項目数になることもあります。多くのリクエストが複数の要素を含んでいることを考えれば、実質的にはそれ以上の相当数の要求をしていることになります。
 交渉では個々の要素を丁寧に議論していかなければ妥協点を見出すことは不可能ですが、これには多大な時間を要します。サービス交渉一般に言えることですが、相手国の関連法令を事細かに調べ上げて疑問点は逐一解消していかないと丁寧な議論はできないのです。
 従って、米国、EUなどの自由化推進派メンバーと情報交換をして、効率的に議論をすすめることを心がけています。また、自由化推進派の中で足並みを揃えていくために、交渉の基本方針についてすり合わせもしています。
 第二に、交渉対象の絞り込みと柔軟性です。多岐に亘るリクエストを様々な国から受け取る結果、しばしば途上国政府の担当者は消化不良を起こしてしまいます。相手国の国内調整も念頭において、リクエスト内容の絞り込みを行ったり、要求内容に柔軟性(経過期間の導入や自由化に範囲の限定など)を与えたりすることが、先進国が自らのビジネス上の利害から無理やりに自由化を迫ってくるという強迫観念を与えないためにも重要です。その際には、どのリクエスト項目がビジネス上重要か判断するとともに、相手国の法令や国内の動きに関する情報に基づいて実現可能性を見定めていくことになります。
 第三に、日本政府全体の交渉方針との整合性の確保です。交渉事ですから意見交換だけで終わるはずはなく、最終的には駆け引きによる利害調整が行われます。そうした駆け引きには、サービス分野に含まれる各分野における駆け引きもあれば、サービス分野全体における駆け引き、更には、サービス以外の分野も含めたWTO交渉全体の中での駆け引きがあると思います。このようなあらゆる駆け引きの場面で、金融が我が国の「攻め」の分野として位置づけられていることが金融サービス交渉を成功に導く鍵となります。従って、在ジュネーブの日本政府代表部の金融サービス担当者と日々連絡を取りつつ交渉にあたるのはもちろんのこと、外務省で交渉全体を調整しとりまとめている担当者とも、リクエストの背景などの情報共有に務めつつ、WTO交渉全体の観点も踏まえた方針のすりあわせを行ったり、日々緊密な連携を図っています。


.おわりに:最近の進展と今後の見通し
 最後になりますが、今後の見通しを考える上で、WTO交渉の最近の動きと見通しについて触れたいと思います。
 2006年末の交渉期限を控えて、昨年12月、香港で閣僚会議が開催されました。加盟国のサービス交渉に対する強い危機感を反映して、香港閣僚宣言では、サービスの各分野毎にプルリ交渉が開始されることが合意されました。
 プルリ交渉とは、一部の加盟国、より正確には、リクエストをする側とリクエストをされる側の国が参加して行う自由化交渉です。金融サービス分野では、2006年2月28日に、日、米、EU、カナダ、等の自由化推進派の国が共同で中国、インド、ASEANなどの新興市場国に対して共同でリクエストを提出しました。
 自由化推進派の国々はこれまで個別にリクエストを提出していましたが、この共同リクエストで統一的な自由化目標が示されれば、メッセージがより明確に伝わるのではないかと期待しています。また、分野別の交渉ですから、新興市場国には金融専門家を交渉の現場に派遣することが期待されており、これまで以上に生産的かつ建設的な交渉を行うことができると確信しています。交渉期限まで時間は限られていますが、これまでの経験を十分に活かしながら、我が国金融機関の国際的な活動の円滑化に向けて精力的に交渉していきたいと考えています。

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