金融規制の質的向上について
(ベター・レギュレーションへの取組み)

平成19年7月31日
金融庁長官 佐藤隆文

本日は日本の経済界を代表される方々のお集まりにお招き頂き大変光栄に存じます。本日は、金融規制の質的向上、ベター・レギュレーションへの取組みについてお話させていただきます。

(ベター・レギュレーションとは)

「ベター・レギュレーション」とは、より良い規制環境を実現するための金融規制の質的な向上を指しますが、このベター・レギュレーションをこれからの金融行政における大きな課題として位置付けていきたいと考えております。なぜ今ベター・レギュレーションなのか、については、大きく二つの文脈からその必要性が強く意識されます。

一つ目は、我が国金融・資本市場の活性化・国際競争力の強化という政策課題との関係です。少子高齢化が進み、人口減少時代の到来を迎える中、我が国経済が持続的発展を遂げるためには、金融分野においても、個人金融資産や年金が有利かつ確実に運用され、その利益が国民に還元されるとともに、高い付加価値を生み出す金融サービス業が経済における中核的な役割を果たす必要があります。また、我が国金融・資本市場が内外の投資家にとって魅力的であることや金融サービスの利用者にとって一層利便性のあるものとなることが求められています。また、我が国市場をマザーマーケットとする金融機関が活躍の場を広げることも、市場の競争力の強化や利用者利便の向上につながるものと思われます。金融規制の質は、規制の適用されるマーケットの競争力を左右する重要な要素であり、ベターレギュレーションの取組みを進めていくことは、我が国金融・資本市場の活性化や競争力の強化に貢献するものと認識しています。

もう一つの文脈は、金融セクターを巡る局面が変化し、それに合わせて金融行政の手法も変化していかなければならないとの認識です。

そもそも金融行政には「金融システムの安定」、「利用者の保護」、「公正・透明な市場の確立と維持」という三つの目的があると考えております。FRBのバーナンキ議長も最近の講演において「我々は、政策責任者として、金融イノベーションの速度がどれほど加速されようとも、本質的に変わることのない金融行政上の目的を3つ定めている。それは、(1)金融システムの安定、(2)投資家保護、(3)市場のintegrityである。」と述べておりますが、この三つの目的は、世界の主要な金融規制当局の間で広く共有され、かつ簡単には変わらないものと認識しています。他方、我が国の金融セクターを取り巻く局面の変化に対応し、この三つの政策分野を巡る状況は以下のように大きな変化を遂げています。

まず金融システムの安定に関しては、丁度10年前の平成9年は、大型の金融破綻が起きて、日本の金融システムそのものがどうなるのかといった不安が起きた時代でした。その危機を、厳格な検査監督、資本注入や破綻処理等を通じて何とか乗り越えた後も、暫くの間、不良債権問題の解決が最優先課題となっておりましたが、現在では不良債権の処理が進み、主要行の不良債権比率は諸外国の大手銀行と比較しても遜色のない水準まで低下しています。また、その後、利用者保護に関して、金融機関の業務執行で、様々な問題のあるケースが多数顕在化する局面が到来しました。これに対し利用者保護ルールの整備や監督上の対応を行ってきました。さらに、証券市場においても、不公正取引、ディスクロージャーを巡る不適切な事例などの問題が発生し、それに対し、法制面、或いは実施面での対応を行ってきました。それぞれの分野において、直面する問題に官民を挙げて取り組んできた結果、枠組みの整備が進み、かなりの程度実態の改善が進んできたものと思います。

現在、我が国の金融セクターは、これまでの経験で教訓として学んだものをしっかりと定着させ、更にこれを深化させるという局面にあると認識しています。その中では、各金融機関の自己責任と自助努力による様々な課題への取組みが極めて重要となってきます。例えば、リスク管理の分野においては、金融機関自らがその規模や特性に応じリスク管理体制を高度化させることが望まれており、今春からスタートしたバーゼル II の枠組みにおいても、そうした視点が導入されています。利用者保護の分野においても、金融機関自らが、問題を発生させないための実効性ある管理体制やチェック体制を構築していくことが大きな課題になっていると思います。証券市場においては、整備された制度の円滑な施行や、策定されたルールが適切に遵守されるよう取り組んでいく必要があります。こうした中、金融規制のあり方も、改めて金融機関の自己責任を重視し、自助努力を促すように変わっていかなければなりません。

加えて、最近においては、金融取引のグローバル化、金融商品や販売チャネルの多様化が急速に進展しています。また金融機関につきましても、経営形態の多様化やコングロマリット化が進展しています。更には、市場における投資ファンドの影響力が飛躍的に拡大するといった新しい事態が発生しています。こうした新しい状況に的確に対応していくためにも、常に規制、監督手法の進化を図るというベター・レギュレーションの取組みが必要と認識しています。

(ベター・レギュレーションへの4つの柱)

ベター・レギュレーションについては、大きく以下の4点をその柱と位置づけております。これは、当局職員の心構え、あるいは、今後の監督手法の進化の方向性とも言えるものです。

第一の柱は「ルール・ベースの監督とプリンシプル・ベースの監督の最適な組合せ」です。ルール・ベースの監督は、詳細なルールを設定し、それを個別事例に適用していくという手法であり、金融機関にとっての予測可能性を確保し、行政の恣意性を排除するというメリットがあります。他方、プリンシプル・ベースの監督は、いくつかの主要な原則を示し、それに沿った金融機関の自主的な取組みを促す枠組みで、金融機関の経営の自由度が確保されるというメリットがあります。ルール・ベースの監督が有効な分野としては、行政権限に基づいて不利益処分を行う場合や不特定多数の市場参加者に共通のルールを適用する場合が考えられます。他方、金融機関の経営管理やリスク管理、法令等遵守の態勢の整備を促す場合には、金融機関の自主的な努力が不可欠であり、プリンシプル・ベースの監督が有効です。また、新しい金融商品・サービスや販売方法について、あらかじめ全てをカバーしてルールで定めておくのは不可能なので、そのようなケースではルールの隙間を補うプリンシプルが存在することが大きな役割を果たすと考えます。

さらに、プリンシプル・ベースの監督については、それが有効に働くためには、金融機関の自己規律が重要であると認識しています。すなわち、「法令違反ではないからいいじゃないか」という文化ではなく、「法令違反でなくても、望ましくないことはしない」という文化が出来あがることが大事だと思います。こうした各社の倫理規範と自己規正が強く働くことが必要であり、その意味で、それを業界レベルで合意する自主規制機関の役割にも期待がかかります。

このルール・ベースとプリンシプル・ベースの2つの監督手法は二者択一のものではなく、むしろ相互補完的なものであり、2つの監督手法を最善な形で組み合わせることによって、全体としての金融規制の実効性を確保していくことが重要と考えます。両者の組合せ方については、諸外国においても様々な取組みが行われているところです。例えば、最近、英国のFSAは金融機関が遵守すべき原則として11のプリンシプルを示し、プリンシプル・ベースの監督を進めていく旨を明らかにしています。もっとも、英国では8,500ページに及ぶ詳細なFSAのルールが存在しており、ルールによるがんじがらめの規制への反省から、ルールとプリンシプルのバランスの軸足をよりプリンシプルに移していく局面にあると捉えるのが妥当ではないでしょうか。我が国の場合は、現行の法令や監督指針等の中にプリンシプルがちりばめられていますが、プリンシプルをより体系化することの是非や、ルールとプリンシプルをどのようにミックスしていくことが我が国の法体系などからみて最も適当かを、金融機関をはじめとする関係者の方々と議論していきたいと考えております。

第二の柱は、行政資源の有効活用による「優先課題への効果的対応」です。これは、限られた行政資源をいかに有効活用するかという問題意識に基づいています。米国や英国ではリスク・フォーカス、または、フォワード・ルッキングなアプローチと呼んでおりますが、深刻な問題がひそんでいる分野、将来大きなリスクが顕在化する可能性がある分野を、先を見越してできるだけ早く認識し、そのような重要課題への対応のために行政資源を効果的に投入していくというものです。このような早め早めのアプローチをとることにより、リスクへの対応に際し、可能な選択肢も広くなると考えられます。

また、我々の行政資源は限られておりますので、これは一方で金融行政の目的に照らして優先順位の低い枝葉末節には固執しないということを意味します。

金融システムに内在するリスクを早期に認識するためには、グローバルな経済、市場で何が起こっているかをモニターするとともに、金融機関がどのような戦略で、どのような行動を行っているかについて出来るだけ正確に認識しておく必要があります。金融庁と金融機関の間で密度の濃いコミュニケーションを図っていく他、現在グローバルにその影響力を強めているファンド等とも直接・間接のコミュニケーションを図っていく必要があると感じております。

第三の柱は「金融機関の自助努力尊重と金融機関へのインセンティブの重視」です。既に、金融検査評定制度やバーゼル II 等において、金融機関に対して経営管理の質的向上やリスク管理の高度化に向けたインセンティブを付与する仕組みが導入されている他、地域密着型金融も、今年度から新しい恒久的な枠組みに移行し、各金融機関の自主性をより重視する枠組みになりました。このように、金融規制の枠組みにはインセンティブ重視、自助努力尊重という方向性がかなり織り込まれてきているところです。先程申し上げたように金融セクターを巡る局面もシフトしており、金融機関の自助努力の重要性が増している中、これらの枠組みを更に中身の濃いものにしていきたいと考えております。

最後の第四の柱は「行政対応の透明性・予測可能性の向上」です。金融庁では、その前身である金融監督庁の発足以来「明確なルールに基づく透明かつ公正な金融行政の徹底」を行政運営の基本的考え方としてきております。この考えに基づき、検査監督上の着眼点や行政処分に関する事務の流れなどを、検査マニュアルや監督指針として定め、広く周知する他、各事務年度ごとに当該年度の検査方針、監督方針を明らかにしています。最近1年間でも、行政処分の基準を公表したほか、ノーアクションレター制度についても、より使い勝手の良いように改正等の取組みを行ってまいりました。また、バーゼル II のルールの解釈等についても、金融機関等から寄せられた100以上の質問に対する答をQアンドAの形でウェブサイトに掲載しております。このように透明性、予測可能性の向上の面では様々な取組みをしてきておりますが、更に改善すべき点がないかどうかを関係者の意見も聞きながら検討してまいります。

(ベター・レギュレーションに向けての当面の具体策)

次に、こうしたベター・レギュレーションに関する4本の柱の下、当庁が当面取り組んで行く具体的方策についてご説明したいと思います。

まず一番目は、「金融機関との対話の充実」です。ベター・レギュレーションの構築のためには、金融機関と我々との対話の機会を一層拡大し、率直に意見交換できるような信頼関係を築くことが必要です。こうした対話の充実は、金融機関にとっての予測可能性の向上に資するだけでなく、我々当局の側にとっても、市場動向や金融の世界で何が起こっているか、何が起ころうとしているかを素早く把握する上で重要です。当局としては、一方的に金融機関を規制しようとするのではなく、金融機関が自らの抱える課題について当局と意見交換し、当局がそれに対するソリューションの材料を提供できるような関係を構築していきたいと考えております。また、上に述べたプリンシプルについての共通認識を醸成したり、金融システムが抱える問題について、官民が協同して解決策を探っていく上でも対話は必要不可欠であると思います。

二番目は「情報発信の強化」です。これまで当庁においては、内外の関係者に我々の考え方が正しく伝わるよう、幹部による講演の実施やホームページの活用、英文による資料の提供等を行ってきましたが、今後も様々なプラットホームを活用して、より多くの情報発信に努めてまいりたいと考えております。例えば、金融関連法令等の英訳の推進や内外のシンポジウム等への積極的な参加を通じて、金融行政に関する基礎的資料や時々の金融行政の考え方に国民が容易にアクセスできる環境の整備を進めていきたいと考えております。

三番目は「海外当局との連携強化」です。金融機関の国際的な活動や金融取引のグローバル化は加速しており、各国の監督当局もこれに対応し連携を一層強化する必要に迫られています。その際、各国の規制・監督当局間で国際的な規制・監督の整合性を常に確認することが重要です。国際的な規制・監督の整合性が損なわれることにより、規制が極めて緩い国・地域に金融取引等が逃避したり、規制の緩い国・地域における不公正な取引が、他の国・地域の利用者等に被害をもたらすような事態は避けなければなりません。また、グローバルなマーケットの動向を把握する上では、海外当局との情報共有は欠かせません。ファンドの動向に係る実態把握やグローバルなシステミック・リスクの管理等について、各国の規制当局や国際機関と連携し適切に対応していきたいと考えております。

四番目は「調査機能の強化による市場動向の的確な把握」です。マクロ経済や金融・資本市場の動向が金融機関の経営や金融システム全体の安定に与える影響について分析、把握するとともに、必要な監督上の対応を時を失せず講じられる体制を整備することが求められています。そのためには、マクロ経済や市場の動向について庁内の調査機能を強化する他、市場関係者、日本銀行、外国監督当局等との対話・連携の促進を図っていきたいと考えています。

最後の五番目は「職員の資質向上」です。これまで述べたベター・レギュレーションに向けての取組みを実現させていくためには、金融庁職員が金融技術の進展や市場の動向に遅れをとることなくその資質の向上を図ることが前提となります。ご存知の通り、金融は非常に高い専門性が求められる分野であり、当局の職員も例外ではありません。職員の専門能力の向上に向けて、研修の充実、人事制度上の工夫、官民の人材交流など、様々な方策を検討していきたいと考えております。

以上、ベター・レギュレーションについての考え方を述べさせて頂きました。金融行政が、先に述べました3つの目的、すなわち(1)金融システムの安定、(2)利用者の保護、(3)公正・透明な市場の確立と維持、に向けてその役割を十全に果たせることが、市場の競争力強化や利用者利便の向上につながり、ひいては国民経済の健全な発展に結びつくと考えております。金融を取り巻く環境は日々変化しており、我々に課せられた責務も高度化・複雑化しておりますが、金融行政の最終目標を忘れることなく、利用者である国民と金融に直接携わる方々の声に耳を傾けつつ、時代の要請に応えうる規制の質的向上を図っていきたいと考えております。ここにお集まりの皆様方にもご理解を頂き、ご協力を賜れましたら幸甚です。

(以上)

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