日本不動産研究所における佐藤金融庁長官講演
「金融行政の諸課題と不動産市場」

平成21年 2月27日
金融庁長官 佐藤隆文


はじめに

金融庁の佐藤でございます。日本不動産研究所の創立50周年を記念する講演会においてお話しする機会をいただき、大変光栄に存じます。

本日は、現下のグローバルな金融危機の原因とその解決に向けた国際的な取組み、そしてこの金融危機の我が国への影響に対する我が国当局の施策についてお話ししたいと思います。その後、内外の金融規制当局が直面している課題、及び、金融規制という面で我が国が独自に取り組んでいる課題についてご紹介します。最後に、我が国不動産市場の近年の動向やグローバルな金融市場の混乱が同市場に及ぼしている影響を見るとともに、不動産市場をめぐる課題と金融庁としての対応について申し述べたいと思います。

1.世界の情勢と政策対応

それでは、まず今回のグローバルな金融危機の推移と各国の政策対応を見ていきたいと思います。

(1) 今回のグローバル金融危機の原因

一昨年来のグローバルな金融市場の混乱は、昨年の9月に米国の大手投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産してから混乱が更に深刻になっています。そして、米国連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン前議長が議会証言で今回の金融市場の混乱を「100年に一度の津波」と表現してから、「100年に一度」という言葉が今回の世界金融危機の規模を形容するのに頻繁に用いられるようになりました。

確かに、昨年9月以降に金融の世界で起きている出来事とそれへの当局の対応は、長らく人々の記憶に留められることになるでしょう。ご承知のとおり、

  • 米国の有力投資銀行は、リーマン・ブラザーズが破綻したほか、他も買収され、あるいは銀行持株会社に組織改編されるなど、独立した事業体としては消滅しました。
  • 短期金融市場においては、流動性の枯渇に対応し、世界の中央銀行が協調して巨額の流動性供給を行っていますし、最近では更に企業のコマーシャル・ペーパー(CP)や社債の買取りといった手法も一部で採用されています。
  • 欧米各国では、その具体的スキームは様々ですが、公的資金による資本注入、不良資産から生じる損失の一部の政府補償など、当局による金融機関への介入が相次いで行われています。今月10日には米国のガイトナー新財務長官が、ストレス・テストを実施した上での資本注入や、官民共同出資による不良資産買取ファンドの創設を主な内容とした新たな金融安定化策を発表しています。

それではここで、今回のグローバルな金融危機を引き起こした原因として、必ずしも包括的ではありませんが国際的にある程度共通認識となっている諸点について、おさらいをしておきます。

今回の危機については、証券化という金融技術が全世界的に普及した中で、いわゆる「組成・転売型(originate-to-distribute)」という金融のビジネスモデルの問題点が顕在化したことがその背景にある、という指摘がなされています。すなわち、証券化の一連のプロセスにおいて、ローンの借り手と貸し手、証券化商品の組成者や販売者、格付会社、投資家および金融機関といった各当事者において、深刻なモラルハザードが生じかねない点が指摘されています。これは言い換えれば、インセンティブ構造に歪みが見られるということです。

このことを念頭に置きながら今回の金融市場の混乱の推移を見ていきますと、2003年以降の良好なマクロ経済環境の継続を背景に市場関係者の間で油断が広がり、市場では金融に係る健全な商慣行が守られなくなっていました。米国のモーゲージ市場等においては原債権のオリジネーターがずさんな融資を行う一方、金融機関におけるリスク管理は不十分であり、また投資家は格付会社による格付に過度に依存し自らが投資する商品を十分に精査していませんでした。こうしてローンの貸し手から証券化商品の組成者、販売者、投資家へと金融商品が形を変えて転売される中で、融資審査や商品の精査を行うインセンティブがうまく働かず、金融商品の持つリスクについての認識が十分でないままにリスクの移転が行われていたというのが今回の混乱で見られた特徴だと思います。

このため不動産価格が下落し始めリスクの大きさに関する再評価が始まりますと、証券化ビジネスに伴うリスクに関する金融機関の情報開示が不十分だったこともあり、リスクが証券化によりどのように移転しているのかが不透明であったため、取引相手への不安からカウンターパーティ・リスクが著しく高まりました。また、格付や証券化商品の価格形成に対する信認が失われたため、市場の流動性が干上がり、損失の規模に関する不透明性が著しく高まったわけです。

(2) 今回のグローバル金融危機と1990年代日本との比較

こうした今回の金融危機の展開を1990年代における我が国の金融危機と比べますと、二つの危機には共通の展開が見られることがわかります。すなわち、

  • まず不動産価格の上昇を前提としてずさんな融資が行われ、
  • その後不動産価格の下落を発端として金融市場の動揺が発生し、
  • その動揺の影響が実体経済に波及するとともに、
  • 金融システム全体の危機にも発展し、政府や中央銀行による支援が必要になった

ということです。この共通性が、今回の危機に対応するために欧米諸国で講じられている措置と、1990年代の金融危機において我が国で講じられた措置との間に共通点があることの背景にあります。

他方、今回の危機が、いくつかの重要な点でかつての我が国の危機とは大きく異なっていることも事実です。すなわち、

  • 先ほど申し上げた証券化技術やoriginate-to-distributeモデルの普及により、リスクが様々な投資家に拡散していますし、
  • 金融のグローバル化の中で証券化商品が国境を越えて取引されることによって損失が全世界的に広がり、それが世界経済全体の急速な悪化につながっています。

これらの点は、1990年代の我が国の危機においてリスクが銀行セクターに質の劣化した貸出債権として集中し、また実体経済への影響がほぼ国内に限られたのとは対照的です。このため、今回は我が国金融機関の証券化商品へのエクスポージャーや関連損失の規模が欧米金融機関に比べて小さかったのにもかかわらず、海外の金融危機の影響を我が国の金融セクターも相当程度受けることになっているわけです。

(3) 欧米諸国の政策対応

ここで、現在のグローバルな金融危機への各国による政策対応に目を転じたいと思います。

米国や欧州各国の当局は、先ほど申し上げましたように、今回の金融危機に対応するため、中央銀行による異例の流動性供給のほか、公的資金による資本注入や損失補償スキームといった例外的な措置を講じてきています。

海外当局において現在採用されているこのような措置の多くには、我が国が1990年代及び2000年代初頭に苦労を重ねて取り組んだ措置との共通点が多く見受けられ、我が国の過去の苦い経験が、現下の世界的な金融危機に対応して各国当局が取り組むべき方策について有益な教訓を示唆していたことを示しています。このことについては、昨年11月及び本年1月に別の講演の機会がありました時に指摘をしていますので、詳しくは金融庁のウェブサイトの「大臣談話・講演等」のページにアクセスしていただければと思いますが、ここでは「迅速かつ正確な損失の認識と、不良資産のバランスシートからの切離しが不可欠である」ということに触れておきたいと思います。

この点で欧米の金融機関や当局は困難に直面しているように思われます。今回の危機において、欧米金融機関は損失状況を迅速に開示してきてはいるものの、他方で、市場流動性が著しく枯渇した金融商品の価格評価の手法や、複雑な金融商品へのエクスポージャーについて金融機関の間で比較可能なデータが欠けているという問題が残っており、損失の規模についての市場の不安は十分に解消されていません。

また、金融機関は、不良資産をバランスシートから切り離そうとすれば巨額の損失が実現するおそれがあることから、そのようなことを行うインセンティブを持っていません。このような状況の下では、金融機関がそうした不良資産を保有している限り、市場関係者の懸念を払拭することは難しいかもしれません。その意味でも、米国のガイトナー財務長官が先日発表した官民共同出資による不良資産買取ファンドが、不良資産の価格の算定と金融機関のバランスシートからの切離しに向けて有効に機能することが期待されます。

(4) 国際連携

さて、今回の危機が金融市場を通じて発生した「21世紀型危機」であること、そしてその影響が全世界的な広がりを見せていることを反映して、現在各国でとられている危機対応措置はより市場指向的(market-oriented)なものとなっており、G7(七か国財務大臣・中央銀行総裁会議)やG20首脳会議、金融安定化フォーラム(FSF)といった国際会議や国際機関が、政策対応の策定や調整で主導的な役割を果たしています。

また、今回と同様の危機が将来再発することを防止する観点から、金融システムの強靭性を強化することを目的とした金融規制の再構築に向けた国際的な作業も同時に進んでいます。昨年11月15日に開催された「金融・世界経済に関する首脳会合(金融サミット)」では、金融市場の改革のための5つの共通原則、及びこれらの原則を実行するための行動計画が採択され、現在は、来る4月にロンドンで開催される予定である第2回首脳会合に向けて、各国当局をはじめFSFや国際基準設定機関において、行動計画の実施に向けた作業が行われています。

2.我が国の情勢と政策対応

では次に、我が国の状況と、私ども日本の当局による政策対応について見てまいりたいと思います。

(1) 1990年代の金融危機との比較

我が国経済が今般のグローバルな金融危機に起因する世界経済の停滞の影響から無縁でいられないことは言うまでもありません。ご案内のとおり、昨年10-12月期の実質GDP成長率の速報値は年率換算でマイナス12.7%となり、「戦後最悪の経済危機」と表現されるまでになっていますし、今後もしばらくは内需、外需とも落ち込むことが見込まれており、先行きの見通しは非常に厳しいものとなっています。そしてこうした我が国実体経済の停滞は、銀行における信用コストの増大という形で我が国の金融セクターに打撃を与える大きな要因の一つとなっています。

今般のグローバルな金融危機が我が国の金融セクターに影響を与えているもう一つの大きな要因は株価の大きな変動です。我が国金融機関の昨年10-12月期の決算を見ますと、株価の大幅な下落に伴う評価損失や減損処理の拡大が銀行の業績を更に悪化させるとともに、証券会社の業績も取引量の減少と発行市場の低迷から悪化しています。

このような影響の大きさから、今回の経済状況を「100年に一度の危機」と表現することにも理由がないわけではありませんが、その一方でご案内のとおり、我が国が前回厳しい金融危機を経験したのはそれほど昔のことではありません。10年ほど前にも同じく金融規制当局に籍を置いていた身からしますと、金融をめぐる今回の局面は、我が国にとっては「10年で2度目」であるとも言えるのではないかという感じもします。

このように我が国の現在の状況について異なる見方や表現が出てくる背景には、現在の状況が、1990年代に私どもが直面した状況といろいろな点で異なっており、かつ、その相違点の中に、現在の方が当時よりも状況がよいと考えられるものと、当時よりも状況が悪いと考えられるものとが混在していることがあるのではないかと思います。

以下、前回と今回との主な相違点を三つほど挙げたいと思います。

第1は、我が国において見れば今回の混乱は外生的ショックによって生じたものですが、前回危機は内生的ショックにより生じたものだった、という点です。すなわち、今回の混乱が米国住宅市場や米英証券化市場の崩壊という外生要因に端を発したものであるのに対し、1990年代の我が国では我が国金融機関が国内の不動産市場におけるバブルの生成に深く関与していました。このため我が国金融機関の問題債権へのエクスポージャーは1990年代における方がはるかに大きく、今回の世界の金融市場の混乱が我が国金融システムそのものに与える直接の影響は、少なくとも現在のところは前回危機に比べてそれほど厳しいものではありません。

第2に、我が国の金融規制の枠組みや金融のセーフティ・ネット(安全網)が、現在は相当程度改善されていることが挙げられます。1990年代初期の我が国には、不良債権に関して情報開示や引当を行うための実効性のある共通の枠組みが整備されていなかったため、金融機関に不良債権の処理を先送りするインセンティブが生まれ、我が国経済は信用収縮と実体経済の悪化という負のスパイラルに陥りました。こうした苦い経験に基づき、我が国は情報開示の強化や不良債権の処理・引当ルールの明確化、銀行の健全性の度合いに応じて当局が業務改善命令を発出する早期是正措置の制度化を行い、さらには、金融機関が資本不足に陥る前に監督当局がより密度の濃い監視を行いうるよう早期警戒制度を導入しました。預金保険制度も強化され、システミック・リスクに対応するためのしっかりした枠組み、安全網も整備されています。

第3に、今度は現在の方が深刻であると考えられる点として、現在の金融市場の混乱が世界経済全体の急激な減速をもたらしていることが挙げられます。1990年代の我が国の金融危機の影響はほぼ国内に限られ、同時期にはアジア通貨危機も発生しましたが、それらの影響にもかかわらず世界経済は全体としてはプラス成長を維持しました。そして我が国の不良債権問題が解決に向かうころには、米国や中国への輸出が我が国経済を牽引するようになっていたわけです。これに対して今回は、国際通貨基金(IMF)が今年の世界の実質GDP成長率をわずか0.5%にまで下方修正しており、金融危機の深刻な影響が、先ほど申し上げたように実体経済と株式市場を通じて我が国金融セクターにも押し寄せてきています。

このように、我が国は1990年代に比べて、ある面では良い条件にあり、別の面では悪い条件にあるということができると思います。実体経済の回復はしばらく見込めないというのが多くの見方ですが、金融システムはこれまでのところ欧米と比べれば健全性を維持してきています。その意味で、我が国の金融セクターには、その金融仲介機能の十分な発揮を通じて実体経済を支え、その更なる悪化を防ぐことが期待されていると言えるのではないかと思います。

(2) 我が国の政策対応

以上申し上げましたように、今般の世界の金融市場の混乱が我が国の金融システムそのものの健全性に与える直接の影響は欧米と比べればいまのところ限定されているものの、混乱の影響が、世界経済の急速な減速に伴う我が国の実体経済の悪化、あるいは株価の大幅な下落を通じて国内の金融部門にも及んできています。特に中小企業をめぐる環境や地方経済が厳しい状況にあると認識しており、我が国当局としては、引き続き高い警戒水準を維持しながら、これらのセクターへの資金の流れの状況を十分に監視していくことが重要であると考えています。

また、このような観点から金融庁では、グローバルな金融市場の混乱によって誘発された様々な市場価格の過度の変動が我が国の実体経済に悪影響を及ぼすことを和らげるための施策を実施してきています。

  • そのうちの一つが、会計をめぐる国際的な動向への対応です。これは民間・独立の主体である企業会計基準委員会(ASBJ)による措置ですが、国際的な動きと整合性をとる形で、いわゆる時価会計における「公正価値」の算定方法に係る解釈の明確化や、金融商品の保有区分の変更に係る基準改正を行っています。こうした対応は、十分な取引量がない中での市場価格の過度の変動が上場企業のバランスシートに与える影響を緩和することに寄与するものと考えています。
  • 第二は、中小企業向け融資の貸出条件緩和が円滑に行われるための措置です。リストラの余地も小さく黒字化や債務超過の解消に時間がかかるという中小企業の特性にかんがみ、金融庁の監督指針や金融検査マニュアルを改定し、貸出条件の変更を行った中小企業向け融資が不良債権に該当しない場合の範囲の拡充を行いました。金融庁が先週発表した実態調査の結果によれば、中小企業に対して貸出条件緩和を行った債権は、主要行等、地域銀行及び信用金庫・信用組合全体で、平成20年10-12月期において32,837件、1兆3,123億円となっています。これは件数ベースで前期比17.2%、金額ベースで前期比11.3%の増加となっており、今回の措置の効果が現れてきているのではないかと考えています。
  • 第三は、金融機能強化法の活用による企業金融の円滑化です。世界的な金融市場の混乱で損失が発生した金融機関のリスクテイク能力の低下に対応するため、国の資本参加を通じて金融機関の金融仲介機能を強化し、地方経済や中小企業などを支援することを目的としています。このための改正法は昨年12月の成立後速やかに施行され、また平成20年度第二次補正予算において国の資本参加枠を2兆円から12兆円に拡大しています。金融庁では、全国の財務局で開催した金融機関向け説明会で本制度の趣旨や内容を周知徹底するとともに、本制度の活用を積極的に検討するよう呼びかけています。
  • 第四に、自己資本比率規制の一部弾力化が挙げられます。現在の市場環境の金融仲介機能への悪影響を部分的に遮断し、金融機関の金融仲介機能を低下させないための時限的措置として、国内基準行については有価証券評価損の自己資本からの控除を停止しました。
  • そして第五に、金融庁では金融円滑化に向けた金融機関に対する働きかけを行うとともに、中小企業庁とも連携しつつきめ細かい実態把握に努めています。

更に、こうした短期的な措置に加えて、金融庁ではより中長期的な観点から規制・監督の枠組みの整備も併せて進めています。

  • 例えば、証券化プロセスにおけるインセンティブの歪みを是正するため、証券化商品の原資産の追跡可能性(トレーサビリティ)を担保する措置を講じたほか、金融機関の監督におけるリスク管理や情報開示に関する着眼点を監督指針において充実させました。
  • 格付会社に関する公的規制の枠組みの検討も行っています。格付会社をめぐっては、今般の金融市場の混乱を受けて、利益相反の防止の徹底、情報開示の拡充の必要性などが指摘されており、欧米でも規制の導入又は強化に向けた動きが進んでいます。国境を越えて利用されている格付が、投資者にとって有用なものであるためには、各国において国際的に整合的な規制を導入し、協調して監督していくことが重要です。金融庁では昨年12月に金融審議会において取りまとめられた報告書を踏まえ、現在、法案の国会提出に向けた最終作業を行っています。
  • 更に、市場動向の把握を専門的に担当する部署を新設するなど、金融庁内の体制整備も行いました。

3.我が国の金融行政のベクトル

それではここで、我が国の金融行政のベクトル、今後の方向性について、私の考えを申し述べます。

(1) 短期的な危機対応と中長期的な規制再構築

欧米と我が国の当局が現在講じている措置を見ますと、短期的な危機対応措置と、より中長期的な、同様の危機の再発を防止するための規制枠組みの再構築に向けた取組みとが、同時並行的に実施されていることがわかります。

大火事が目の前で燃え盛っている時は鎮火に取り組むことがもちろん必要ですが、同様の大火事の再発防止に向けた枠組みを構築することも極めて重要なことです。ここで政策が短期の危機対応に過度に寄り過ぎると、中長期的にモラルハザードや金融システムの歪みにつながり、市場機能を損なってしまいます。他方で、中長期的な政策をあまりに性急に実施してしまうと、場合によっては足下の状況がさらに悪化し、危機管理がより困難なものとなりかねません。従って、短期的施策と中長期的施策の間のバランスを適切に取ることが重要となります。

そして、実はこのことも1990年代の我が国の経験から得られた教訓の一つと言うことができるのです。当時の我が国の取組みは完全な成功例であったとは言えないように思いますが、それでも、不良債権の早期認識とそのオフバランス化を要請しながら、例外的措置として金融機関に公的資金を注入する一方で、同時に早期是正措置と資産査定のルールを導入するなど、中長期的な観点から規制の枠組みの改革を並行して行いました。

恐らくこの経験は今日の欧米の状況に照らしても意味のあることではないかと思います。今日の主要国の規制当局に共通のキーワードは「秩序だった形でのレバレッジ解消(orderly de-leveraging)」というものですが、「秩序だった形での(orderly)」とは、足下の短期的な応急措置と中期的な目標の実現との間で適切なバランスを図るということを意味するものと思います。また、G7声明や金融サミットの宣言が、マクロ経済政策を含む危機対応措置の実施への強い決意に言及する一方で、同様の危機の再発防止のための行動計画の実施を強調しているのも、規制当局が時に相反する二つの目的を同時に追求することの必要性を反映していると思います。

ところで我が国の場合、規制枠組みの改善にはもう一つ別の側面があります。それは、我が国金融・資本市場の競争力強化を目的とした「市場強化プラン」と、「金融規制の質的向上(ベター・レギュレーション)」という、中長期的で、かつ、前向きな政策課題があるということです。そのような意味で、我が国は金融規制という面でユニークな立場にあるということができると思います。

(2) 市場強化プラン

まず、平成19年12月に策定した「市場強化プラン」は、我が国の金融市場における民間主体の活動を活性化し、我が国市場に繁栄をもたらすことを目的とした包括的な政策パッケージであり、以下申し上げる4つの柱から成り立っています。

  • 一つ目の柱は、信頼と活力ある市場(取引の場)の構築です。公正さと透明性を確保しつつ、多様な資金運用・資金調達の機会を提供できるような取引の場を整備することです。ETF(上場投資信託)の多様化やプロ向け市場の創設、金融商品取引法上の課徴金制度の見直しなどが挙げられます。
  • 二つ目の柱が、金融サービス業の活力と競争を促すビジネス環境の整備です。実際にビジネスを行うプレーヤーが能力を十二分に発揮できるような環境を整備することです。銀行・証券・保険の間のファイアーウォール規制の見直しや、銀行又は保険会社のグループの業務範囲の拡大などが挙げられます。
  • 三つ目の柱が、より良い規制環境の実現です。これはこの後ご説明しますベター・レギュレーションということですが、規制が時代の要請に合った質の高いものとなるように、当局として常時心がけていくということです。
  • 四つ目の柱は、市場をめぐる周辺環境の整備ということで、専門性の高い人材の確保や都市インフラの充実を意識しています。

市場強化プランのうち法律事項については、昨年6月に公布された金融商品取引法改正法のうち、ファイアーウォール規制の見直しを除く部分は既に昨年12月12日に施行され、ファイアーウォール規制の見直しについては本年6月1日に施行されることになりました。その他、法律改正を要しない事項についても着実に作業が進展しています。

なお、今回のグローバルな金融市場の混乱を踏まえ、金融規制の再構築という潮流との整合性も考慮しつつ、「市場強化プラン」中に修正を要する部分があるかどうかを注意深く検証していくことも重要であると考えています。ただし現時点で基本的な方向につき修正が必要とは考えておらず、我が国市場の強化のためこのプランを着実に推進していく方針です。

(3) 金融規制の質的向上(ベター・レギュレーション)

我が国の金融規制の面での立場をユニークなものにしているもう一つの要素が「ベター・レギュレーション」です。これは、規制の実効性、効率性、整合性、あるいは透明性を高めることにより、金融規制の質的向上を図るという取組みです。金融庁では平成19年夏以降、この取組みを今後の金融行政の大きな政策課題と位置づけており、その実現に向けて以下の4つの柱を掲げています。

  • 第1の柱は、「ルール・ベースの監督とプリンシプル・ベースの監督の最適な組合せ」です。詳細なルールを設定し、それを個別事例に適用していくという「ルール・ベースの監督」と、いくつかの主要な原則を示し、それに沿った金融機関の自主的な取組みを促す「プリンシプル・ベースの監督」とを最適な形で組み合わせ、金融規制の全体としての実効性を確保することを掲げています。このために金融庁は昨年4月、金融サービス提供者との間で、プリンシプル・ベース監督の基軸となる14項目の主要原則(プリンシプル)に合意しこれを共有しています。
  • 第2の柱は、「優先課題の早期認識と効果的対応」です。金融システムに内在するリスク、将来顕在化する可能性のある大きなリスクをできるだけ早く認識し、そのような優先課題への対応のために行政資源を効果的に投入していくというアプローチです。一昨年以来の世界的な金融市場の混乱への重点的対応や、金融の円滑化に向けた予防的な観点からの取組みも、この第2の柱の文脈で捉えることができるかと思います。
  • 第3の柱は、「金融機関の自助努力の尊重と金融機関へのインセンティブ付与の重視」です。これは、個々の金融機関の取組みが結果として公共の利益や行政目的に合致する場合には、そのことが営利企業としての個々の金融機関にもメリットを及ぼすという因果関係を規制・監督の中で構築していくということです。例えば、検査結果につき段階評価を示して金融機関に経営改善に向けた動機付けを行う金融検査評定制度はこの典型例ですし、金融グループ内の利益相反防止のための自主的な規律付けの枠組みの整備を前提としたファイアーウォール規制の見直しもこれに該当する例だと思います。
  • 第4の柱は、「行政対応の透明性・予測可能性の向上」です。従来から私どもは検査・監督の枠組みの中で、金融検査マニュアルや行政処分についての考え方やルール解釈・適用に係る具体的事例の蓄積を公表していますが、情報発信の充実等も含め、さらなる向上を目指すということです。

以上の4つの柱を意識しつつ、具体的にどんな点に力を入れて取組みを進めていくかを示すのが、「ベター・レギュレーションに向けた当面の5つの取組み」というものです。金融機関等との対話の充実、情報発信の強化、海外当局との連携強化、調査機能の強化による市場動向の的確な把握、そして、職員の資質向上ということです。金融庁では、この4つの柱と当面の5つの取組みを中心に、これまでに昨年5月と12月の2回、ベター・レギュレーションの進捗状況に関する報告書を取りまとめています。

金融規制の質的向上とは、規制を受ける側の負担にも配慮しつつ、時代遅れの規制を修正・簡素化し、あるいは金融の技術革新を阻害することのないよう気をつけながら、必要とされる規制についてはその実効性や効率性を改善していくということであり、先ほど申し上げた金融危機の再発防止のための規制の再構築という流れと矛盾するものではないと考えています。金融庁としては、このベター・レギュレーションに向けた取組みの定着と更なる推進に引き続き努めていきたいと考えています。

4.不動産市場の動向と金融庁の取組み

ここまではグローバルな金融危機への対応という観点から、金融行政が抱える課題についてご説明申し上げました。最後に不動産市場の近年の動向について、グローバルな金融危機という文脈の中での位置づけも考えながら申し述べるとともに、不動産市場をめぐる課題や関連した金融庁の取組みをご紹介したいと思います。

(1) 不動産市場の構造変化

不動産市場に関しては、ここ数年で構造的な変化が見られることを、今から2年ほど前、毎日新聞社の経済誌「エコノミスト」の2007年3月27日号で指摘しました。この指摘は現状においても引き続きあてはまると考えますので、簡単にご紹介させていただきます。本日お集まりの皆様には一部「釈迦に説法」になってしまうかもしれませんが、しばらくの間ご寛恕いただければ幸いです。

構造変化としてまず挙げられるのが、不動産市場における価格形成メカニズムの変化です。我が国では、1980年代後半の不動産バブルの時期までは、「取引事例比較法」による不動産鑑定が一般的でした。このこともあって足下の不動産価格の上昇を根拠とした将来価格についての楽観論が市場を支配し、不動産の将来価格の予測が不動産の具体的な利用価値に基づく評価から大きく乖離しました。これに対して、近年の不動産市場では、商業地の大型案件を中心に、不動産が生み出すキャッシュフローの現在価値から不動産価格を求める方法である「収益還元法」による価格算定が広がりました。このことは不動産の価格形成プロセスの標準化をもたらし、不動産関連の金融商品を他の金融商品と比較することを容易にしました。

もう一つの重要な変化は私募ファンドやJリート(上場不動産投資信託)といった不動産ファンド事業の浸透です。以前は、商業用不動産の多くは不動産業者や建設業者が購入し、銀行は借り手の信用力を拠り所に伝統的な事業金融を行っていましたが、近年に入り不動産ファンドによる物件の購入の割合が高まりました。民間の研究所による実態調査によれば、不動産ファンドの市場規模は、平成20年6月には20兆円を超えていました。これら不動産ファンドは、投資家から集めたリスクマネーに加え、銀行からのノンリコース・ローン(非遡及型融資)、すなわち対象事業の収益と対象担保とを限度として回収が行われる貸出で資金を調達するのが通常です。先ほど申し上げた第1の変化、すなわち、収益還元法による不動産の価格算定の標準化が、こうした不動産金融の形態の変化をもたらした一因であるということもできると思います。

以上のような構造変化を一言で表現すれば、不動産の「金融商品化」が進行しているということであろうかと思います。すなわち、不動産の経済的な価値が金融商品に形を変えて取引されるようになっている、ということです。その結果、我が国の不動産市場はこれから申し上げるような傾向を強めたと考えられます。

第1は、不動産市場と金融市場との連関の強まりです。不動産の価格形成過程の標準化が進むことにより、投資物件は投資利回りという共通の尺度で測られ、これを各時点の金利や国内外の代替的な投資対象の利回りと比較することにより評価されることになります。不動産が金融商品化することによって、不動産市場と金融市場にまたがった裁定が働くことにもなります。

第2は、国内市場と海外市場の連関の強まりです。収益還元法の普及により、我が国の不動産の価格が他国の不動産の価格と共通の指標性を有することとなるため、我が国の不動産が海外投資家にとっても適格な投資対象となり得ることになります。現実に、海外の不動産ファンドによる我が国不動産への投資は2年ほど前まで急速に伸びました。

第3の傾向は、リスクマネーの流入です。これには証券化技術の普及が寄与しています。不動産ファンドには、信託スキームやSPC(特定目的会社)を用いて、それ自体が優先・劣後構造を有しているものが多く、その劣後部分にリスクマネー、すなわちエクィティ性の資金が流入するようになりました。この点は、1980年代のバブル期において、銀行による貸出が、本来であればリスクマネーによって賄われるべき部分をもカバーしていたために、その後の不良債権問題の深刻化を招いたことを考えれば、ある意味で改善であると言うことができると思います。

(2) 最近の動向と金融庁の取組み

以上のことを踏まえますと、最近の不動産市場の動向についてもより的確な説明ができるのではないかと思います。すなわち、我が国の不動産市場がいま申し上げたような構造変化を経たことで、一昨年以来の世界の金融市場の混乱の影響が我が国の不動産市場にも波及し、それが一因となって、これまで拡大基調にあった不動産ファンド事業が調整局面に入っている、ということです。日本国外で巨額の損失を被った海外の投資ファンドや金融機関が損失のカバーや流動性確保のために資金を引き揚げる一方、国内金融機関も我が国経済の悪化などの影響からより慎重な融資審査が行われるようになってきていると言われています。不動産ファンド市場の動向は様々な要因によって決定されるものであり断定的なことを申し上げることはできませんが、海外も含めた金融市場における条件変化が、我が国の不動産市場の流れを大きく変化させ得るようになっていることが窺われます。

次に、不動産市場におけるこうした構造変化や近年の動向に金融庁がどのように対応してきているかということですが、

  • 不動産価格や不動産市場をめぐる資金の動向の十分なモニター
  • 不動産市場における価格形成機能が適正に発揮されるための、関係当事者による取組みの促進

が挙げられます。

なお、「金融庁が銀行に対して不動産部門への貸出を増やさないように求めている」などといった風評が流れることがありますが、全くの事実無根であることを、この場を借りて改めて強調しておきたいと思います。銀行にとって不動産業向けに限らず全体としてのリスク管理は重要ですが、金融庁が金融機関に対して特定セクターに対するエクスポージャーを減らしたり抑制したりすることを求めることはありません。

他方、不動産市場における適正な価格形成機能を確保するための取組みとしては、関係当事者による適正手続きの確実な履行、適切な情報開示の実施、利益相反取引を防止するための施策、が考えられます。Jリートに係る取引所や投資法人、それに資産運用会社といった関係者においては、Jリートやその他の不動産ファンドが投資家にとってより魅力あるものとなるよう、投資家の信頼を高めていくことが重要であると思います。不動産の利用価値の適正な評価は市場の信頼性の基本をなすものであり、金融庁としてはこの点における関係者の取組みを促していきたいと考えています。

また、現在、Jリートの関係者の間では、合併によるJリート市場の再編の効果や必要性について議論が行われていると承知しています。金融庁としても、既に、合併比率の端数調整などにおいて必要となる合併交付金の交付が可能であることについて、関連する内閣府令の改正等により、明確化を図っています。

その他金融庁では、投資信託及び投資法人に関する法律その他の関連諸法令の解釈を明確化することを通じてもJリート市場の活性化を後押ししています。具体的には、投資法人が劣後投資法人債を発行することに特段の支障はないこと、及び、既存投資主に対して募集投資口を公正な金額で割り当てることは禁止されていないこと、を既に明確にしています。

先ほど申し上げたように、不動産市場は金融市場との連関の高まりといった構造変化を経て、今般のグローバルな金融危機の影響を大きく受け、調整局面に入っていると認識しています。実体経済や金融環境の好転により不動産の利用価値が高まらないことには不動産市場の回復もおぼつかない、という面も確かにあるかとは思いますが、他方で不動産市場自体にも改善の余地はあるように思われます。当事者間で適正な手続きが踏まれ、正確な情報開示が行われるようになれば、不動産市場の価格形成機能、ひいては市場全体の信頼性の向上が促されることになるでしょう。長い目で見て、こうした信頼性の向上への取組みが、銀行における的確なリスク管理及びリスクテイクと相まって、不動産市場の回復と息の長い成長に資することになることが期待されていると思います。

ご清聴ありがとうございました。

(以上)

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