平成22年9月16日
金融庁

第5回コーポレート・ガバナンス連絡会議 議事要旨

1.日時:

平成22年9月1日(水曜日)17時00分~19時00分

2.場所:

中央合同庁舎第7号館13階 金融庁共用第一特別会議室

「モニタリング・モデルの徹底についてどう考えるか。」

現状、海外の投資家からみて日本には投資ができない、M&Aができないといった、制度を問題視する声があり、問題意識を持っている海外の投資家の声をもっと聞くべきである。法律・制度を変えるのなら、問題意識がぼやけたまま議論を進めても意味がなく、こういった声に真摯に向き合って、現在の市場や制度についての問題意識を明らかにする議論をすべき。その上で、国内だけで議論するのではなく海外も交えてまずモニタリング・モデルを採用すべきかどうかを議論すべきである。

金融庁において企業統治を議論する意味や出発点が不明確である。日本の企業統治について何か具体的な問題・欠陥があるのか議論の背景を明確にすべき。そのなかで、金融庁において企業統治について議論する積極的な意味を明らかにすべきである。

日本の資本主義はこれで良いのか、株主不在の資本主義で良いのか、会社は誰のためのものか、といった点をきちんと議論すべき。

日本では企業の統合が進まず、国内の競合他社との消耗戦で力尽きているといった議論がなされて久しいが、問題が解決されないまま現在に至っている。日本の産業の活性化、雇用の確保のためには海外の資本が必要であるが、収益のあがらない企業に対して海外投資家は投資をしない。

経団連は、企業の自主性を任せるべきと主張しているが、自主性に任せた結果、企業の低収益・株価の低迷に至ったという現状に反省はないのか。世界から忘れ去られているマーケットについて、経団連として、産業構造を改革するとかそういうイニシアティブはないのか、問いたい。

投資家サイドから見て、コーポレート・ガバナンスの議論が必要な背景としては、日本企業の収益性が低く、そこにコーポレート・ガバナンス上の問題があるのではないかという点が挙げられる。また、別の観点として、グローバルな視点から見て分かりやすい制度が必要ではないか、グローバルスタンダード的なものがあるのであれば、そういった分かりやすい制度を考えるべきではないかという問題意識もある。

ガバナンスを供給サイドから見るか、需要サイドから見るかという視点が重要。商品が分かりにくいものであるときは、少なくとも製造者は消費者のニーズを聞くはず。投資家サイド、すなわち、証券を買う方から、分かりづらいという声があるのであれば、企業としては、消費者である投資家の声、ニーズを聞くのが筋。日本だけでなく広く海外から資金調達をしている上場企業は、消費者である海外の投資家が問題視しているのに、その声を聞こうとしない。グローバルに共通の土壌で提供している商品について、日本の風土や考え方をベースにしながら、いかに消費者に買ってもらうかという視点で議論するのが、一番分かりやすい整理。そういう意味で国際的な納得性が得られ、かつ日本が提供できる制度は何かを考えるのが重要ではないか。

日本では、法律の建前と実務が乖離している。例えば、代表取締役は取締役会で選定すべきところ、実際は現在の代表取締役が後任を選んでいる。また、株主から選ばれるはずの取締役が、逆に株主を選んでいる。法学者からすると違和感がある。モニタリング・モデルの徹底の議論は、この実務の現状を法律によって変えるというもの。仮に実態として現状の実務のままでいいというのであれば、法律の方を実務に合わせて変えるべき。いずれにしても、法律と実務の乖離に違和感があるので、この乖離を無くすための議論をすべき。

モニタリング・モデルの徹底についてどう考えるか、という抽象的な問いは、現行の監査役(会)設置会社がこれでよいのかという議論から始めると分かりやすい。現行の監査役(会)設置会社と委員会設置会社の選択制が不十分なのであれば、その先の議論として、(1)パターナリスティックな観点から、監査役(会)設置会社という選択肢を排除するのか、それとも、(2)企業の自主性に任せる観点から、選択制を前提として、監査役(会)設置会社をベースに何か別のモニタリング機能を付加することを認めるか、ということが考えられる。

委員会設置会社の在り方についても、理念と実務が乖離している部分があり、形式的にはしっかりしているが実態は十分とは言えない。東証一部上場企業のうち、委員会設置会社は42社あるが、この中で、社外取締役のうち親会社・関係会社・大株主の出身者を除いたものを「独立取締役」とみなすと、その人数は、0~1人が10社、2人が5社もあり、一方で、過半数は10社に過ぎない。この点も含めて議論すべき。

「機関設計のあり方、監査役のあり方」

海外の投資家から見て、日本企業のガバナンスに問題があり投資に適さないという声が強いとされているが、この直接的な原因が監査役制度のわかりづらさにあるとするのは短絡的に過ぎる。監査役(会)設置会社と委員会設置会社の中間形態にすれば、ガバナンス向上と収益向上に直結するという議論にも聞こえるが、その点は疑問がある。

監査役(会)設置会社がモニタリング・モデルとして不十分ということであればすでに多くの会社が委員会設置会社に移行しているはず。委員会設置会社にも運営上難しさがある。監査役(会)設置会社がモニタリング・モデルとして不十分であるなら、何が不十分なのか議論すべきであり、海外からわかりにくいというだけでは議論として不十分ではないか。

監査役制度は、世界的に稀な制度ではあるが、ある意味では、1人の監査役に強大な権限を持たせる仕組みであり、モニタリングシステムとして評価できる点もある。監査役制度のよいところを議論してもよいのではないか。日本の企業は、大半が監査役(会)設置会社であり、委員会設置会社から監査役(会)設置会社に移行する例も出てきている。日本として監査役制度をピーアールしてもよいのではないか。問題があれば、その点を修正すればよい。世界的に稀な制度だからといって否定するのは乱暴な議論。

監査役制度の問題点は、監査役に役員の人事・報酬に関する権限がないこと。現状監査役には、強大な権限があるが、それは監査役として長く居座るために利用できる権限であり、実効的な監督のための権限になっていない。他方、人事・報酬の監督権限を監査役に与えればよいかというと、すでに他の面で強大な権限があり、それを与えてしまうと、独裁者を作るようなものであり適当ではない。

海外の投資家も、会計監査人による監査報告書は非常に重視している。会計監査人としては、監査の適正性について、第三者からの訴訟リスクもあるという厳しい状況。会計監査人として懸念しているのは、企業の経営状態が悪化すればするほど監査報酬が下げられ、監査にも支障が生じる上に、取締役が会計監査人の選任権を有すること。このように、少なくともインセンティブのねじれの問題がある現状において、会計監査人は非常に厳しい立場に置かれているということを認識して頂きたい。

監査役に選任と報酬の権限がないことが問題。海外の投資家は、監査役制度そのものがいけないと言っているわけではない。監査役制度と独立取締役は補完的関係にあって両者を同列に扱うべきではないが、例えば、監査役に選任権を付与するという考え方もあるし、あるいは選任について独立した立場からチェック機能を果たすという考え方もある。経営全般の監督機能、特に利益相反の監督機能については、今の監査役制度では不十分。監査役制度がどうかということよりも、利益相反のおそれがある問題について、客観的なチェック機能をどう確保していくのかが重要。

モニタリング・モデルの議論は、コンプライアンスではなく、「攻めのガバナンス」という視点にポイントがある。日本企業が「攻めのガバナンス」に転じていくとの観点から、コーポレート・ガバナンスの仕組みを作り上げていくことが今回の会社法改正の基本的方向性ではないか。企業の持続的発展のためには、取締役が自ら適正な経営判断を行い、これに対するチェック機能が有効に働いているということに尽きる。これがグローバルスタンダードの考え方に繋がる。このような意味では、取締役の機能の充実・強化が会社法改正の議論の中心であるべき。

委員会設置会社の促進に当たっては、取締役会の権限を委員会に委譲可能としたり、社外取締役の要件の緩和等により、グローバルスタンダードに近い形態を採り得るような方向性が望ましい。

独立取締役については、人数を増やしたり、任期を伸ばすなどして、その地位を高めていくべきではないか。

機関設計については、制度を複雑化すべきではなく、むしろ要件の緩和などにより、委員会設置会社を促進するような方向性を打ち出すべき。

すでに内部統制報告制度が導入されており、このなかで監査役の機能を考えるべき。

会計監査人の人事・報酬問題について、監査役に権限を付与することで会計監査のチェックの向上を期待できるのかは疑問。インセンティブのねじれの問題について、現行の制度の下でも解決できるのではないか。

独立取締役は、少なくとも公開会社については、1名、2名、3分の1、過半数と段階的に数を増やすような経過措置を設けてでも義務化をしていくべきではないか。

社外要件については、過去5年以上経験した者を容認する、あるいは、追加的な開示を求めるといった方式を利用するのもよいのではないか。

委員会設置会社には、グローバルに活動する上で、海外の投資家に対するガバナンスの仕組みの説明のしやすさがある。監査役(会)設置会社と委員会設置会社の中間の機関設計を創設するという考え方についても、経営の選択肢を増やすのはいいが、わかりづらくなるのは問題。ポイントは監督と執行の分離だと思うが、新しい制度を作ったときにその点が不明確になるのではないかということも懸念。

監査役も監査委員も、法律上の権限を見ていくと、重要なのは調査権限であり、この点は現行法でも同じ。結局は、法令上の権限がどうかというよりも、監査役にしろ監査委員にしろ監査権限を実効的に行使するための体制の整備ができているかどうかが問題。従って、内部統制システムの構築、とりわけ内部的な情報を収集する方法、社内のサポート体制等の体制整備が重要。社内監査役は内部的な情報を収集する機能に長けており、その活用が評価されてもよい。

日本において監査役(会)設置会社が多い理由は、経営陣に都合がよいからだと思う。日本は社長の権限が強い。監査役については株主総会で決定することになっているが、推薦は社長又は取締役が行うことになっている。結局社長に対して物申せない仕組みになっている。監査役の地位向上が必要。突き詰めれば、監査役を監査委員として取締役に昇格させればよい。監査役に、取締役会に入るという思いがあってもよいと思う。

海外投資家の視点も重要だが、それよりも日本国民の視点が重要。日本国民はあまり資本市場に参加しておらず、それは日本の市場を評価していないということ。金融庁としては日本国民の投資を呼び込むよう工夫すべきではないか。ただ、日本人にとっても監査役制度はわかりにくい仕組み。監査役には発言権があるのに議決に参加しない、従って法的責任・ライアビリティを負わないで発言できる、というのは誰だって違和感がある。日本の投資家の視点からしても、日本の上場企業の監督機能は働いていない。社団法人会社役員育成機構が行ったコーポレート・ガバナンスに関する意識調査では、回答した部長・課長・社員の約半数が「取締役会で独立的な立場から提言ができる社外取締役の数が増えない限り、日本のガバナンス向上実現は困難」と回答している。日本国民は、現状をよく分かっている。また、自由な委員会の設置を機動的に行うことができるようにすべき。それが「攻めのガバナンス」。取締役会には独立性及び柔軟性が求められており、コストがかかるだけの複雑で中途半端な制度は適当ではない。

平成14年改正で委員会設置会社を導入した際には、社外取締役が取締役会の過半数を占めなければならないとするとなかなか日本に根付かないだろうということで、過渡的な制度として各委員会の過半数でよいとした経緯がある。企業経営者も委員会設置会社制度に興味があるが、社外取締役が多いのは使い勝手が悪い。使い勝手の良い制度とするのがガバナンスを進める上で一助となる。そのような意味で、委員会設置会社の柔軟化が一つの方向性ではないか。

監査役は、人事・報酬について物申せないが、監査役制度自体は監査する側と監査される側が同じ権限を持たないという点で完結している。長い歴史的経緯からしても、監査役制度をすぐに廃止するのは難しい。監査役(会)設置会社の変形を目指していくのがよい。人事・報酬のモニタリングの強化のために、独立・社外取締役を入れたり、独立取締役の制度も組み合わせるという方向性がよいのではないか。

監査役会とは別に独立性の確保された委員会を設けるためには、3人以上メンバーが必要になるが、独立性の高い者の必要数を増やす制度改正はプラクティカルではない。モニタリングということであれば、独立取締役を義務づけるのでよいのではないか。

委員会設置会社の方がガバナンスが優れているという理由がわからない。委員会設置会社がよいのであれば、みんな採用しているであろう。独立取締役の義務化についてもその必要性がよくわからない。少なくとも社外者が入ってきて何が出来るのか、それをきちんと議論すべき。

個人的には、親会社から来ている人が社外と扱われることの説明は難しく、現在の社外要件の見直しはすべきかもしれない。

機関設計については、委員会設置会社か監査役(会)設置会社かではなく、独立した者の数が重要である。過半数とすべきであるが、まずは、二人以上あるいは3分の1以上の社外取締役の義務づけをすべきである。

利益相反のある人事や報酬の決定の仕方について法律で義務付ける必要はなく、取締役会に複数の社外取締役の導入を義務付けることにより,自然と人事や報酬について社外取締役を中心とした委員会で判断するという方向に進むはず。委員会設置会社と監査役(会)設置会社は両立てでよい。監査役が独立取締役を兼務することを認めてよいのではないか。

上場会社を念頭に置いた議論と理解している。新しい機関設計については、グローバルにわかりやすい制度という観点からいうと、機関設計の複雑化には反対。投資家からすると、人事・報酬に関する権限が重要な問題であり、何らかの制度的手当てが必要。

「攻めのガバナンス」のための取締役の機能の充実には賛成であり、取締役の在り方を中心に議論をすべき。

「社外」要件を「独立」要件とすることは、必ずしも要件の厳格化と捉えるべきではなく、「監督」に求められる資格要件のコンセプト変更と考えるべき。

監査役制度そのものの是非よりも、監査役制度がより機能するための議論をすべきではないか。監査役制度がわかりづらいとか、監査役制度があるからコーポレート・ガバナンスが向上しないという短絡的な議論は不適切。アメリカにおいて社外・独立取締役を増やすことで企業不祥事が減ったのか疑問。人材の確保の問題や、独立性を求めるがゆえに会社経営にひずみが生じているという報告もある。独立取締役を相当数入れたからといってガバナンスの改善に直結するといえるのか疑問。

監査役(会)設置会社でありながら、執行役員制度を採用している会社が多いが、執行役員制度は投資家にとって不明瞭。独立取締役については、法律で一定数の設置を義務付けることは難しいのではないか。規模が大きい企業はいいが、上場会社の中でも規模が小さい企業では人数の確保が難しい。そういう意味ではソフトローでの対応がよい。世間一般的に、独立取締役の育成等のインフラの醸成も課題。形を作っても仏に魂は入らない。

モニタリング・モデルの徹底、社外取締役の導入を推進する側は、投資家の需要に対して企業の供給が応えていないという議論をし、一方で、監査役(会)設置会社を中心とする現状を肯定する側は、コーポレート・ガバナンスの向上とは何かという点を問題にしている。もっとも、コーポレート・ガバナンスが向上しているかどうかは、立証するのが困難であり、証明できないからといって、新しい制度を作ってはいけないというわけではなく、投資家が求めているのであれば、これに応えられるメニューを増やすことは検討に値する。これだけ多くの海外の機関投資家から日本の監査役制度がわかりづらいという意見を出されている中で、わかりやすさを高めるというのは一つの考えとして評価されるべき。

機関設計についてあまりにいろいろなメニューがありすぎるのは、わかりやすさという観点から問題があるが、一方で二個だけで十分かは疑問であり、もう一つくらいメニューを増やすことは十分にありうるのではないか。

例えば、利益相反取引が行われる場合に、社外取締役がそれをレビューするというメカニズムをビルトインすることができるというのは、社外取締役の大きなメリットだと思う。通常、社外取締役としては、取締役会でビジネスの議論をしているときに、そこに積極的に出て行って自分の考えを通そうとすることは多くないであろうが、他方で利益相反の問題が議題となる場合には、自分の役割だと感じるはずであり、その意味では社外取締役の意義は大きいのではないか。

会社法の社外取締役の定義はおかしい。これを機にグローバルなスタンダードに近づけるという努力はすべきであり、金融庁が主張すべき事項。現状では、過去一度でも執行に携わったものであれば、社外取締役にはなれず、20~30年前の取締役でもなれない。グローバルスタンダードでは過去5年以内に執行に携わっていなければよいのであり、過去何年以内という形で短くしてもよいのではないか。ある意味で社外取締役の概念を広げつつ独立取締役の概念をビルトインするという形で修正すべき。

海外では、例えば、女性を4割以上にしなければならない等としているところもあり、取締役会のあり方について多様化という新たな視点を導入しているところもある。こうした多様化がグローバルで議論されているなかで、独立取締役すらいない日本の現状が海外の投資家に納得してもらえるのか。グローバルな状況を踏まえどう映るかという視点も必要。

モニタリング・モデルに関して、監督と執行と分離の程度が不徹底。社長に選ばれている人が社長を監督しているという現状について、ガバナンスの観点から疑問視する声は、海外投資家だけでなく、日本国内にも存在する。監督と執行の分離の徹底が検討のベースになる。

機関設計の柔軟化について、経営陣にガバナンスの向上に対してどういったインセンティブがあるのか。やはり自分の意向を徹底したいという意識があるので、自分がやりにくい手段は選ばないはず。チェック&バランスという制度の意義を会社においてもとりいれていかなければならない。

独立役員からすると会社の状況というのはよくわからない。常時、会社内にいるわけではなく、会社の従業員との接触も限られた人間がどのようなモニタリングを行うことができるのか。社内の事情に明るい常勤の監査役がいることで、独立役員が安心できる側面もある。

委員会設置会社は一つのモデルとして理念的にははっきりしている。その普及が進まないのは、会社の社長にとって、人事や報酬を社外の者が決めるということへの違和感があることが原因。意思決定を取締役会がすることを前提に、権限の分配をあまりに法律がしばりすぎているため、外部の人が会社の意思決定をするというなかなか理解されにくい制度設計となってしまっている。取締役会の決議事項の範囲という問題点もしっかり議論していかないと、社外者がどうして社内のことを決定できるのかという、社内の人の反発を抑えられず、取締役会におけるモニタリングの在り方という本来の議論に到達できない。

社外取締役を法律によって義務付けている国は殆どない。アメリカにせよイギリスにせよ法律で社外取締役を義務付けているわけではなく、上場規則等ソフトローによるものが殆どである。企業の自主的な取り組みを尊重するやり方であり、義務付けるという方法を採用している例はないのではないか。

社外取締役のメリットとしては、従来の取締役会では監督される側が監督する側を支配するという実態だが、社外取締役についてはこういった関係がないので実効的な監督ができるというところにある。

日本法上、取締役会は、代表取締役を監督する建前になっているが、実際は機能せず法律と実務に乖離がある。社外取締役の設置義務付けを法律で行うという考え方は、取締役会に監督機能を営ませるという法律の理念に少しでも近づけるために社外取締役の数を増やし監督の実効性を強化すべきというもの。海外では、監督される側が監督する側を支配するという実態がないから、法律で社外取締役を義務付けなくても問題はないが、日本では法律と実務が乖離しているため、法律の理念を実現するために法律で社外取締役を義務付けるべきという議論。

会社法の議論としては、上場企業と非上場企業の全てを対象とせざるを得ない。独立取締役の論点は、上場企業又は有価証券報告書提出会社に絞って議論すべき。

会社法でやるべきことと取引所でやるべきことは異なるので、内容によって役割分担をすべき。ただ、監査役と独立取締役の双方を必要とするのでは余剰感があるところ、監査役の設置の代替として社外取締役の設置を認める制度を設けるための議論は会社法の中でせざるをえない。

監査役について、社外・独立が良いと言うことはあまりいわれない。これは、監査役が意思決定に参加しないからである。これまで監査役制度が評価されてきたのは、監査役が日々の業務執行に参加していないから。同じ理屈は独立取締役にも妥当するが、1人や2人では不十分。

欧州におけるComply or Explain原則による規範は、企業主導のもと、機関投資家等との合意に基づき、当局が関与するもので、その繊細さはガラス細工の様。

会社が全面遵守を宣言する場合、多くの機関投資家は自動的に会社議案に賛成するため、企業にとってもメリットがある。

Comply or Explain原則がアメリカで制定されなかった背景には、不合理な取締役選任プロセスなど歩み寄れない問題が横たわっているから。日本では社外取締役の扱いが問題になろうが、イニシアティブをとるのは経団連しかなく、機関投資家の理解を得るためには、何らかの形で社外取締役を導入せざるを得ないだろう。

海外の機関投資家は、日本の制度、特に日本の監査役についてはよく理解している。理解しないで議決権を行使することは、受託者責任を果たしたことにならない。

海外の投資家は、日本では、日本の銀行が持株を通じて企業に影響力を行使し得るとして、銀行出身の社外取締役の独立性を問題視することがある。東証の独立役員制度についてはさほど重視されていない。

社外取締役のみならず、社内の取締役も、経営の効率性を向上させるという点では重要な役割を果たすものであることにも留意すべき。また、内部の情報が社外取締役に伝わることや内部統制の重要性も認識すべき。

海外の投資家は、監査役が取締役とは異なる機能を有しており、その重要性についてはある程度理解している。このような状況の中、監査役が取締役を兼務するという制度を新たに導入してしまうと、これまでの理解と齟齬を来たしてしまう懸念がある。グローバル・マーケットの中において日本が重要視されていない現状、わかりやすい制度を採用して理解を得ることが重要。

以上

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金融庁 Tel:03-3506-6000(代表)
総務企画局企業開示課・企画課調査室(内線3814、3510)

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