金融審議会「我が国金融・資本市場の国際化に関するスタディグループ」(第20回)議事録

日時:平成21年3月18日(水)10時00分~11時59分

場所:中央合同庁舎第7号館13階 共用第1特別会議室

○池尾座長

それでは、定刻になりましたので、まだご出席の予定でお見えでないメンバーの方も若干おられますが、時間が限られておりますので、ただいまから我が国金融・資本市場の国際化に関するスタディグループの通算で第20回会合を開催いたしたいと思います。皆様には、本日はご多用中のところをご参集頂きまして誠にありがとうございます。

それで、いつものことですが、会議に先立ちまして、本日の議事は公開の形で行わせて頂いておりますことをご報告申し上げておきます。

それでは、早速本日の議事に入らせて頂きます。

本日は、上場会社等のコーポレート・ガバナンスのあり方についての5回目の審議になりますが、1回目はキックオフのフリーディスカッションをして、その後第2回、第3回、第4回と3回にわたりまして、上場会社等のコーポレート・ガバナンスのあり方に関しての各論的なご審議を頂いたということですが、その中でいろいろとちょっと集約に困るような幅広いご意見を頂いたわけですが、併せまして、このスタディグループとしてコーポレート・ガバナンスのあり方について議論、検討を行っていくときの基本的な視座の確認ということも各論的な議論と併せて大切であろうと。基本的な視座を絶えず再確認しておくことが必要であろうというふうなご指摘も頂いているところでありますので、本日は、今なぜ我が国においてコーポレート・ガバナンス改革が求められているのかとか、その中で上場会社等のコーポレート・ガバナンスに係るルール整備を行っていく上での手法等についてどう考えたらいいかとか、そういうことを議論する上で大所高所からの議論を頂こうかということで、本日は関メンバーと上村メンバーのお2人からそれぞれ前半プレゼンテーションを頂いて、それを踏まえた上で本日はやや総論的な議論を後半させて頂ければというふうに思っております。

それで、関メンバーと上村メンバーに各々25分程度ずつプレゼンテーションを頂きたいということで、まず早速ですが関さんからお願します。

○関メンバー

大所高所からということで大変緊張するわけですが、私がプレゼンテーションさせて頂くというのは、恐らく金融審議会で会長代理を8年間やらせて頂き、かつまた、公認会計士制度部会長をやって改正公認会計士法をまとめたということと、先年の10月まで1年間だったんですけれども、監査役協会長をやったということもあるのではないかと思いますが、今日はむしろそういう立場ではなくて、経済人の立場と言いますか、経営を預かる立場にある者として考えていることをお話しするということにしたいと思いますので、よろしくお願いしたいと、こういうことであります。

まず最初に、なぜ今この企業統治問題なのかということについてどう考えるかということで、私はそこに3つぐらいの整理があるんではないかと、そのほかにもあるかもわかりません。1つ目は、資本市場が機能不全に陥っているということです。これが我が国の企業統治問題とどう関わるかということが議論の焦点になるわけですけれども、少なくとも日本の資本市場に対する信頼性ということについて問題がないということにはならないんではないかということが1点であります。この点についてはもう少し詳しくお話ししたい。

それから、2つ目は、依然としてこの資本市場をめぐる企業不祥事が多発しているということはご存じのとおりであります。

それから、3つ目は、我が国のコーポレート・ガバナンスの仕組みというのは、評価はともかくといたしまして、仕組みとしてかなり国際的に見て特異なものが幾つかあるわけでありまして、これをどうしていくのかと、国際的に通用する企業統治体制というものの対応をしていかなきゃいかんという背景があるのではないかということであります。この点についても後で詳しく話をしたいと思います。

まず最初に、資本市場の機能不全というものをどう認識するのかということであります。今、我が国の資本市場が低迷しておりますのは、ほかならぬ米国発の金融危機、あるいは経済危機の所産であるということは疑いを得ないところでありますが、ご存じのとおり、特に、日本の株式市場というのは、まさにニューヨーク市場のミラーイメージでありまして、完全に株式市場については外国依存が定着しておるということであります。

貯蓄から投資へのかけ声にも関わらず市場は育たなかったということでありまして、こういう事実というものをきちんと再確認しておくことが議論の前提として重要なのではないかと、こう思って別紙1を整理いたしました。

細かい説明はやめますが、これは9月末の日銀の資金循環統計からとったものでございます。表は、一番右の方に1,500兆円の個人金融資産がどういうふうに使われているかということ、それから、真ん中のコラムが、上は国内銀行の、これはゆうちょも含めた資産、負債ですが、下の方は投資信託、保険、年金資産ということで、いわゆる市場間接金融の仲介機関の資産、投資信託に関しては個人と年金等のファンドを対象にしたものを抽出したものでございますが、それぞれの仲介機関の資産内容であります。

それから、一番左のコラムが、我が国全体の金融資産、個別の金融資産の残高であります。どれを見て頂いてもわかることですが、例えば個人金融資産で言うと、株式とか出資金は8%、投資信託は4%と。それから、真ん中の仲介機関でも、投資信託、保険、年金というのを見て頂いても、いわゆる株式とか出資金、それから社債、金融債といったものは非常に少ないわけでありまして、左の方に我が国金融資産全体としての残高が出ていますが、ご覧頂きますように、ほとんど大きいところは国債、地方債といった公的セクターに資金が流入している。また、海外証券にも相当規模の資金が流出しているということです。いわゆる民間に対する成長資金の供給というのは、主として銀行を通じて行われているということでありまして、直接市場を通じては極めて少なく、本来成長セクターに流れるべきものが国だとか海外へ流れているということであります。

したがって、資本市場をどう活性化していくかという観点から言えば、いかに外国の居住者から資本を呼び込むかという問題はもちろんありますけれども、日本の機関投資家が我が国資本市場を必ずしも十分使っていないということが問題の本質なのではないか。したがって、日本の機関投資家が資本市場というものをどう考えているのか、その信頼性というものをどう考えているのか、企業統治というものをどう考えているのかということが、私は問題の本質ではないかと思っておるということで、そういう意味でこの資料をお付けしたわけであります。

それから、2つ目は、企業不祥事の多発であります。資本市場をめぐる企業不祥事がいつまでたっても全く減らないということでありまして、このことが日本の資本市場の信頼性を著しく低下させておるということについてはどなたも異論のないところだと思います。したがって、企業不祥事をどういうふうに防止するかという観点からの企業統治問題というのはクリティカルな問題であると、こういうことであります。

それで、別紙2を見て頂きたいんですが、別紙2は不祥事事例の分析レポートということで、これはかつて経済産業省の企業行動の開示・評価に関する研究会で、企業不祥事事例の分析をかなり詰めておやりになったことがあるわけですが、それをやって頂いたプロティビティジャパンというところに、資本市場にまつわるものを取り出して最新版に改訂してもらった資料であります。これも詳しい説明はやめますが、読んで頂ければありがたいと思いますが、3ページ目に、具体的な名前は挙げていないわけですけれども、A社からK社までについて、企業の資本市場に関わる最近の不祥事のようなものを分析しておるわけであります。

この大きな表を見て頂きますと、一番上に、問題点のところに、コーポレート・ガバナンスにおける問題というのが出てございます。AからDまで、システムの誤作動というのはちょっと別にいたしまして、すべての事例について言えることは、いわゆるコーポレート・ガバナンスの問題です。経営者を中心とした、いわば専門用語で言いますと、統制環境に関わる問題が、問題の核心だということでありまして、そのことを今日は再認識して頂ければありがたいと、こういうことであります。

ご存じのとおり経済がどんどんどんどん悪くなってきておるわけでございまして、こういう時期になりますと必ず会計不祥事が起こるわけであります。内部統制、J-SOXであるとか公認会計士法の改正であるとかいろんな手立ては打っておるわけですが、必ず会計不祥事が後日大きな問題になるのは避けられないんではないかと、強い危機感を持っているということでありまして、そのことが今、企業統治問題をきちんとやっておく必要があるということの根底にあるわけであります。

それから、国際的に通用する企業体制への対応ということについては、これは先程言いましたように、国際的に見て評価はともかくとして、明らかに仕組みとしてかなり特異なものがある、これをどう考えるかということについてきちんと整理しておく必要があると、こういうことでありますが、特に会計基準については、相当な問題意識でいろんな議論がなされておりますが、実は会計基準だけではなくて、監査基準のコンバージェンスというのが国際的に問題になっておるわけであります。これはやかましく騒がれておりませんが、会計基準と併せて国際監査基準というものをどうコンバージェンスしていくかということが極めて今日的な課題になってきておりまして、企業会計審議会のような専門的なところで論じられておるわけですが、このことについて、既に友永先生からプレゼンテーションがあったと聞いておりますけれども、このことを強く意識しておく必要があるだろうと考えております。

それで、企業統治問題というのは一体何だということについて、これも一種の確認のようなものなんですけれども、2番に、企業統治の主たる課題と、課題というよりは企業統治の主たる内容、一体何をやらなければならないのかということを整理すると、恐らくこの4点ぐらいになるんではないかということでございまして、私がくどくど申し上げる必要もないのでごく簡単に論点だけをお話ししていきますと、1つはトップ人事です。業績不振企業の経営者に一体誰がレッドカードを出すんだという問題であります。

2番目が報酬でありまして、適正な報酬を誰が決めるのかという観点であります。この点で申し上げておかなくてはならないことは、米国では、この点に関しては歴史的事実として、全くガバナンスが働かなかったということです。ああいった経営者に対する報酬というのは社会的正義にかなわないということは誰が見ても明らかでありまして、今般、AIGの議論がなされておりますが、まさに私どもには信じられないことがアメリカの企業の中では起こっているということであります。

それから、3番目ですが、この点は、私は今日的な課題として非常に重要になってきているんではないかと思いますが、株主と経営執行に関する利害調整をどうするのかという問題であります。そこに4つ具体的に書いてありますが、買収防衛につきましては、これはさんざん議論が行われて、特に、経産省の企業価値研究会でこの問題が論議されて、一定の方向性と結論が出て、それに沿って我が国のこの問題に対する対応が進んでいると思っておりますが、買収防衛策の正当性というものをどうするかということに関しては、株主総会ですべて議論して決めてもらおうという考え方があったわけですが、必ずしも何でもかんでも全部総会で決めてもらうということが決していいことではないんではないかということが一つ、それから、会社のガバナンス機構とは別に、識者を集めて第三者委員会でいろいろ議論をしてもらおうというような仕組みが随分あったわけですが、必ずしも望ましい方法ではない。むしろ非執行役員と言いますか、社外取締役と社外監査役、どちらも非執行役員というふうに言ったらいいと思いますけれども、非執行役員が特別委員会のようなものをつくって、責任のある独立した取締役、あるいは監査役という立場で、きちんと議論して、そしてそれに執行取締役が従うという形が望ましいんではないかということで、そういう形がかなり買収防衛策を導入する会社に適用されてきているというのが現状ではないかと思います。大変望ましい形だというふうに私は思っています。

それから、2つ目は、第三者割当増資の問題であります。実は諸外国では大規模な第三者割当増資というのは総会決議事項になっておるわけであります。しかしながら、日本では取締役会で決めることができるということであります。この当否についてはいろんな議論があると思いますが、今日は東証の飛山専務がいらっしゃっておりますけれども、私の理解では2007年のことなんですけれども、最近のことはちょっとよくわかりませんが、東証での増資が4兆円ありました。しかしながら、公募増資というのは全く影を潜めまして、ほとんどが第三者割当増資だということで、しかもかなり大規模に行われています。そのことが株式、特に新興市場等を初めとする株式の価格の著しい低下に拍車をかけ、ダイリューションが起こって株主の利害を著しく損なうという事実がありまして、これをどう考えますかという問題があるということであります。

それから、ご案内のとおり親子上場問題もあるということで、これは親子上場をやめるということにはなかなかいかないわけですが、上場された子会社の少数株主の利益をどういうふうに守るかという古くて新しい問題があるだろうと考えております。

それから、その次に株主代表訴訟というのを書いてございますが、これは、ご案内のとおり株主代表訴訟というのは、取締役の責任を追及するよう、株主からの提訴請求が監査役あるいは監査委員に対して出されるということでありまして、株主代表訴訟の提訴請求を受けた監査役等は、それの当否についてきちんと検討した上で、株主から要請があれば回答するということが義務づけられておるわけです。こういった手法をここでわざわざ挙げたのは、こういった手法というのが株主と経営執行に関する利害調整に相当応用がきくんではないかというふうに私は思っておりまして、そういう意味で、この手法の適用を拡充していくということができないかという問題意識です。例えば、株主提案というものがいろいろなされるわけですが、これのスクリーニングを監査委員会、あるいは監査役会がきちんとやるというようなことも検討に値する課題だというふうに思っておるということでございまして、そういう趣旨でここに挙げてみました。

それから、4番目に内部統制システムの構築と運用、どう内部統制システムを構築し、適正に運用していくかということをきちんとするということが企業統治の非常に重要な課題だということであります。

3番目に、法的インフラの現状と課題というのを挙げておりますが、こういう企業統治を実現していく上で、法的インフラというものをどう考えるかということであります。本件については上村先生といった専門の方がいらっしゃるので私がここでぐだぐだ申し上げるつもりは全くありませんが、少し感じていることだけを申し上げますと、ハードロー、ソフトローと書いてありますが、ハードローはもちろんのこと、このソフトローというのが非常に重要なのではないかということであります。これからは何でもかんでも法律を改正するということではなく、ソフトローをできるだけ使っていくということが大事なんではないか。つまり、取引所の規則やルールを充実させていく、あるいは、証券業協会の自主規制ルールをきちんと確立していくということが大変大事なことではないかと思っておるということが1点であります。

ただし、大事なことは、このソフトローでやるにいたしましても法律に定めがないことはできないわけでありまして、そういう基本的な事項については法律できちんと決めるということが重要です。会社法なり金融商品取引法で規定しないとできないことについてはきちんと規定するということをやった上で、できるだけ取引所や証券業協会の自主規制に期待するということではないでしょうか。

2点目は、プリンシプルベース、ルールベースと書いてありますが、これは、企業統治を考える上で大変大事なことではないかと思っております。私の限られた経験から言いましても、例えば監査役は適法性監査というのはどうしてもやらなきゃいかんと、違法な行為があるときには差し止め請求までしなきゃいかんということになっておりますが、法律に違反しているかどうかということから言うと、日本は形式要件と言いますか、要件をきちんと満たさないと法律違反になかなかならないということで、そうしたベースで物を考えますと、実は何もできないということになるということであります。一体、それは法律違反なのかと言われると、それは法律違反でないということになれば、それなら経営判断の原則に任せてくださいよと、こういうことになって、ほとんどの問題がそこでスルーされてしまいます。したがって、監査委員なり監査役というのは、実は一生懸命仕事をしようと思っても仕事の領域が極めて限られるということであります。

私は専門家ではありませんので、専門家の皆さんでよく議論して頂きたいと思いますが、私の理解では、ちょっと条文は忘れましたが、日本の金融商品取引法でもそうなっているわけですけれども、アメリカのSEC規則でもテン・ビー・ファイブ(10b-5)というのがありまして、いわゆる相場操縦であるとか計略であるとか、技巧であるとかというのは、これはまさに犯罪だということになっておりまして、アメリカでは判例というものが相当積み重ねられておるということであります。

したがって、そういうことを少し細かく勉強して、もう少しプリンシプルベースできちんと議論ができ、正しくない問題がとらえられるというふうなプラクティスを日本でどう定着するかというのが大変重要な課題ではないのかと、こういう認識であります。

それから、その次の公開会社法、これは上村先生が後でお話しされると思いますが、公開会社法という構えをするかどうかは別問題として、以下、私は次のような論点を実践的に解決して頂きたいというふうに思っておるということであります。

レジュメの次のページに参りますけれども、そこに幾つか挙げましたけれども、1つは委員会設置会社、監査役設置会社というガバナンスのハード論と言いますか、組織論はどう考えるかという議論が1つあると思います。私は、この2つの制度の選択制ということで、旧商法改正で委員会等設置会社を導入したというのは、画期的な出来事だったんではないかというふうに考えております。

ご案内のとおり、日本の組織は取締役会と監査役会という二本立てになっているわけですが、私も含めて日本の経営者は、取締役会というのは最高の執行機関だということで、監督というよりは、むしろ執行の意思決定機関だという認識が一般的なんだろうと思います。このことの良し悪しはともかくとして、委員会設置会社というのは監督機能に純化した取締役会ということになるんではないかと思います。私自身の経験で言えば、日本郵政は委員会設置会社でございまして、私は監査委員長を先年の10月まで務めたんですけれども、日本の取締役会、監査役会とは基本的に建てつけが全く違う仕組みだなということを実感したわけでございまして、監督機能ということでは相当厳しい組織形態であると思います。

したがって、理念的には監督機能という観点から言えば、委員会設置会社というのは1つのティピカルな組織形態だと思います。しかしながら、実際にこれが本当に機能するかどうかというのは、私は全く別問題だというふうに思っております。先程米国の報酬の件を事例に出しましたけれども、米国で行われている委員会設置会社のガバナンスは本当に機能したのかなと思いますし、我が国の委員会設置会社も日本郵政のようなところはちょっと別にして、実質的にはあまり機能していないのではないでしょうか。実態的には、監査役設置会社とそう変わらないんではないかと思っております。

そして、日本では委員会設置会社にどんどん移行するということにはなっていないわけであります。なぜならないのかというのは、これはいろんな意見があると思いますが、いずれにいたしましても、委員会設置会社が主流になるという実態にないということでありまして、この評価は別にしまして、監査役設置会社というものが相当の間、日本の主流の制度ということで、これを国際的に通用する制度としてきちんと外国にも説明できるものにしなければいけないという課題があるんではないかと、こういうことを申し上げたいわけであります。

しばらくは、この両制度の評価というものは市場の評価に委ねるしかないんではないか。むしろ、監査役設置会社が主流であれば、これを充実させて外国にきちんと説明できるようにしていかなければいけないんではないかと、こういうことであります。

それから、3番と4番は、会計、財務報告の信頼性に関わる問題であります。

詳しい話はやめますが、会社法と金融商品取引法の二重監査問題というのがあるわけでございます。監査役サイドからみれば、期ずれの問題と言っているんですけれども、株主総会が終わった後に、有価証券報告書と有価証券報告書をベースにした財務報告に係る内部統制報告書が出るということでありまして、タイミングがずれているわけであります。

これは考え方として誰も反対する人がいないと思うわけですが、経営者がつくる内部統制報告書と、それの監査証明と言いますか、公認会計士のつくる監査報告書はぜひ株主総会に提出し、経営者が報告をすると同時に、その監査報告も公認会計士がきちんとやるというプラクティスを確立するということがに実践的には大事なことなのではないかと思っております。

J-SOXというのは、経営サイドでは手間ばかりかかってということで、何でこんなコストのかかることをやらなきゃいかんのだという批判というのはあるわけですが、先程私が申し上げましたように、資本市場をめぐる不祥事は大半は経営者の問題でありまして、つまり統制環境の問題であり、統制環境の問題を実践的に解決するためには、経営者が自ら株主総会の場で、どこに財務報告のリスクがあり、どういうふうに統制をしていくんだということについて意見を述べる、報告するということが一番大事だと思います。そういうプラクティスが確立できれば、細かい業務プロセスのどこをどう詰めて監査証拠をどこでやらなきゃいかんというようなことを事細かくやらなくても、大方の不祥事問題は解決できるんではないかと、こういうふうに思っているということであります。

その次の監査法人に対するインセンティブのねじれ問題でありますが、私は何としてもねじれは解消しなければならないと思っております。理由は幾つかあるんですが、1つは、経営者が監査法人の報酬を決めるというような仕組みは、国際的にはとても通用するようなことではないと思いますし、経営者としても、きちんと監査役と公認会計士が連携をとって財務報告の信頼性を担保してもらいたいというふうにみんな思っているんだと思います。この問題は、実は極めて本質的な問題でありまして、このインセンティブのねじれ問題は、監査役と公認会計士の連携を実態的に阻んでいる最大の要因であります。公認会計士は、監査役の方は向きません。なぜならば、自分の報酬を決定している経営者の方の意向を大事にするわけでありまして、監査役が幾ら言っても言を左右にして聞かないというのが大半の実態であります。もちろん全部が全部そうだとは言いませんが、原理的にそうなっているということであります。

別紙4は、前回のスタディグループで島崎さんが書類を出されましたので、島崎さんのペーパーを読んだ私の感想を書いたものであります。ぜひ読んで頂きたい。ここで島崎さんと議論をして事を構えるつもりは全くありませんので、読んで頂ければありがたいと思います。

それから、5番目に、親会社取締役の子会社に対する指揮命令権ということで、現在の会社経営というのはまさに連結経営になっておるわけであります。しかしながら、今の法制上、100%子会社に仮に不祥事が起こりましても、親会社の取締役の善管注意義務は必ずしも問われない、かなり間接的にしか問われないということになっておりまして、これをどう考えるかという基本問題があるんではないかと、この辺は私はよくわかりません。むしろ上村先生の方の議論に委ねたいと思っております。

最後に、注に、監査役協会が、「上場会社に関するコーポレート・ガバナンス上の諸課題について」ということで有識者懇談会が、これは私が監査役協会長のときにつくった懇談会なんですが、ここにいらっしゃる上村先生や岩原先生にも入って頂き、もちろん島崎さんにも入って頂き、十数回の議論を重ねてこのレポートを出すということでございます。ぜひこの場でもヒアリングして頂きたいなということでそこに注を書いた次第であります。

以上です。ありがとうございました。

○池尾座長

大変どうもありがとうございました。

それでは、引き続き上村先生からお願いいたします。わかりやすくお願いいたします。

○上村メンバー

ただいまわかりやすくという注文を頂きました。もう少し早く言って頂くとよかったのですが。しかし、なるべくわかりやすくと思っております。レジュメは4ページにわたっております。どうも自分の報告のメモみたいな締まりのないレジュメで恐縮でございますけれども、これを使ってコーポレート・ガバナンスをめぐる幾つかの論点について、今考えていることをお話させて頂きたいと思います。

いきなり大きく振りかぶったような言い方で恐縮でございますけれども、なぜ、今日本でこういう問題を議論しているのか、しなければいけないのか、という問題であります。思いますに、あらゆる制度は人間のためにあるわけですが、人間とか個人とか、そういうものの意義を削減させる要素と、ヨーロッパは一番戦ってきたように思います。それは、ここでの問題に関係するものとしては、2つの要素、法人と資本市場であります。法人、あるいは団体とか結社を人間のように扱えば扱うほどに、個人がそれだけ削減されている。資本市場で買えたというだけで、他の人間を支配できるということになればなるほどに人間の意義は削減される。しかし、株式会社という制度は、ほかの会社形態と違いまして、この法人と資本市場の高度の結合形態なのでありますから、使い方を誤りますと非常に危険ですが、しかし、強烈なパワーと富を生み出す力も持っているということでございます。

この2つのうち、前者の法人については、私はヨーロッパとアメリカは比較的共有しており、個人中心の企業社会に対するこだわりがあると思いますが、資本市場への態度は大きく違っておりまして、アメリカは資本市場についてはかなり甘いシステムだったと思います。今回の金融危機なぜアメリカ発なのかというのはそういう問題と関わっていると思います。

法人への警戒ですが、フランス革命期の団体・結社嫌悪感が、有名なル・シャプリエ法による、すべての団体・結社の禁止につながり、それが解禁されたのは1901年のアソシアシオン法であります。あくまでも法人だろうが、会社だろうが、団体だろうが、自主規制機関だろうが、個人という視点から見ると、それを阻害しかねない危険物でありますから、それら自体が個人によってコントロールされているものになっていなければならないのであります。こうしたことが、特に欧州のガバナンスの根底にあると思います。

それから、資本市場への警戒ですが、これも市場で「買えた」ということの権威の問題であります。株価で人物を評価するということへの危険が、欧州ではかなり意識されているのに対して、アメリカはかなり寛容であります。このことは、結局は人間論と申しましょうか、個人とは何かとか、ヨーロッパ的な、市民社会のあり方といった問題が、株式会社制度や資本市場にとって本質的な問題として認識されているかどうかという問題であります。つまり、主権者である市民が株主だから株主主権なのか、買えたら主権者になるのかと、こういう問題でありまして、つまりはこの2つの問題への警戒感が経験不足の日本には欠けていたように思います。しかし、法人中心と市場の過度な利用は、日本に戦後の大きな経済成長をもたらしたともいえます。これはよくないか、よいかということになりますと、私は貧しい国民が何とか豊かになろうと思えば、あまりデモクラシーとか、手続的正義といったものはある種ぜいたく品でもありまして、どうせ目的は衣食住と決まっていますので、やはり官僚や経営者が開明専制君主として振る舞う、というような形で成長がなされるのも時代の要請には適っていたのだと思います。しかし、今になってみると、欧米がこだわってきた市民社会的な部分というものを、実は代償として支払らっていたということなのではないか、と思います。

株式会社とは、もともと会社が資本市場を使う仕組みであります。しかし、それを使わなかったのが戦後の企業社会であります。会社は、経営の手段であり道具である。経営の邪魔をしない会社法がよい会社法だと、これはあるところでコーポレート・ガバナンスなどに非常に関心のあるかに見えるかなり有名な経営者が、はっきりおっしゃっていたことがあります。要するに邪魔しないでくれればいいんだとおっしゃっていまして、私はびっくりしたことがあります。しかし、株式会社というのは、有限責任が前提であり、市場と関わり、規模の大小の問題があり、そして公的規制の問題もあるわけですから、そこにルールがあるのは当たり前でありまして、これを邪魔だと思うような感覚の経営者がいるとしたら、これはまさに失格なわけであります。

ですから、こうした会社と経営との関係についての戦後の感覚が、今、資本市場を使いこなそうという、つまり株式会社の本来の機能を十分に発揮する時代になってきたにも関わらず、そうした時代の感覚、かつての感覚を十分に脱却し得ていないのではないかという感じがしております。貧しい時代には、主役は官僚であり、銀行であり、労働組合であり、そして経営者でした。彼らの幹部達が相談しながら物事を決めていたわけであります。しかし今や、株式会社制度本来の性格が全面的に花開く時代にとうに突入しておりまして、次に何が大事かを官僚が決められない。だから市場だという話になる。資金調達も銀行だけではだめで、これも資本市場だという話になる。それから、労働組合が市民社会を代表していたかと言うと、これはやっぱり労使対立の中での労組という立場であって、欧米のように資本市場イコール市民社会というような観点に立っていたわけではないと思います。そこも変わる必要があります。今は高速道路、これを資本市場としますと、そこで整備された自動車である株式会社を運転するプロ・専門人としての経営者という像になってきておりまして、まずはこれらのシステムを知り抜くことが必要であります。そして、それを使いこなせる知識と技量が必要だという時代になってきていると思います。

経営をやっていれば、会社法などわかるんだ、というような経営者がまだかなりいるのではないでしょうか。隣におられる関メンバーや島崎メンバーのような方は別だと思いますけれども、かなり多いように思われます。あのイギリスでも取締役は研修をして、ディプロマをとって、研修の履歴を開示したりしておりますが、そこには資本市場と一体の株式会社というのは一筋縄ではいかないものであるとの、経験豊富な英国の認識が示されているように思います。

資本市場を使う会社制度としての株式会社を真に使いこなすためには、株式会社の意義を論理で再構成する必要があると思っております。つまり、この分野で経験と遺伝子に頼れない日本は何事も先端的な理論構築を心がけるべきだと思います。最後に来たものが最も洗練されるというのは自動車や電化製品だけではありませんで、私は法制度でもそうだと思っております。これは非常に簡単でない、難しいことですが、ただ、失敗の経験によって初めてわかったというような時を、座して待つ、というような姿勢よりはずっとましだと思っております。

資本市場法の論理自体も同じでありまして、いち早く資本市場の機能の確保の重大性を理論的に先取りする必要があると思います。つまり、契約の相手方である投資家を保護するという以前に、今の金融危機を見ればわかりますけれども、株なんか一回もやったことがないような従業員とか労働者、要は市民一般、そういった人たちが全面的に被害を受ける。資本市場とは国民経済全体を担うシステムでありますが、このことを、いち早く今度の金融商品取引法の第1条の目的規定において実現しました。つまり、資本市場の機能の確保と公正な価格形成という文言が入ったのですが、世界で初ですね。これは欧米の目的規定に較べても断然進んでいる、あるいは問題を先取りしていると私は思っております。公正な価格形成とは、要は取引対象の現時点での真実価値を把握させた上での取引を確保することで実現するものでありまして、金商法上のさまざまな制度趣旨がこれによって変わってきているはずだと私は思っております。

そうした日本にとっての企業法制のモデルというのは、私はイデアルティプス(理念型)で構成すべきだと思っております。2ページの上でございますが、つまり最大級の証券市場、これは非常に取り扱い危険物でありますが、それを支え得る株式会社の姿とはどのようなものか。もし最大級の証券市場というものが背中に乗った株式会社を想定した場合にはそこに何が起こるのか、そこでうまく運営できなければ国民がどういう目にあうのか、そのためには何が必要なのかということを徹底的にシミュレートするということであります。

アメリカのかつての所有と経営の分離論とか経営者支配論とか、日本のかつての株式本質論、これは株式会社財団論とか、債権論とかいろいろありますけれども、これは高度な証券市場の存在を前提とした理念型としてのガバナンス論でありまして、かなり高水準のものであったと思います。

しかし、戦後それは理論だけで、リアリティがない、つまり資本市場がありませんでしたので、実態と合わなかった。そういう発想よりも閉鎖的な会社を想定した株式所有論が通説となりました。しかし、今再びそういう理論構成が必要な事態になっている。つまり、証券市場と一体の理論構成を復活しなければならないのであり、それが公開会社法理論のつもりなのです。

お手元にあります資料3という図に、カラーの図でございますが、その1ページ目のところに旧来発想とございます。これは、要するに会社法というのは、上に証券取引法が乗ってようと、公的規制があろうとなかろうと常に横から見てきておりまして、会社とは、株主とは、企業価値とは、と論じてきた。これは、証券取引法が大蔵省による業者の取り締まりの法であるとされ、銀行法も業者の取り締まりの法であるとされた時代にはこういうふうにしか考えようがなかったわけでございます。しかし今はどうなっているかと申しますと、2ページをご覧頂きますと、これは縦から、上から見るということでございます。つまり、株式会社というのは一番左の下にございます。公開会社というのは金融商品取引法と一体の株式会社でございまして、ガバナンスは会社法の世界だけで規定されているわけではなく、金商法が要求する情報開示、会計監査、内部統制等を実現することがガバナンスに課せられた役割ということになります。

銀行のように特別の法的規制がかかっている場合にはどうかと申しますと、一番右ですが、銀行法の目的を達成するためには、金商法の開示だとか監査が十分に機能しなければなりませんが、それを実行するのも会社のガバナンスであります。例えば、銀行検査マニュアルがなぜ必要かと申しますと、これは公的規制の目的が確実に確保されるためには、会社法のガバナンスが格別に緊張しなければいけないことを物語っているわけであります。

そこで、レジュメの2ページの上の方に戻りますと、これはここで触れなくても良いのかもしれませんが、もう一つの理念型構成の基本要素は私は市民社会論だと思っております。個人か、個人のための存在である機関投資家が、企業社会において、あるいは企業法制において主役であるかどうか、事業法人が株主であるとしても、事業法人自体が究極的に個人に開かれた存在になっているかどうか、これによって株主価値とか株主主権とか論ずることの意味が全く異なって参ります。たとえば、普通株式の普通というのは一体何だったのかといったことも考えてみる必要があるように思います。社会の主役である個人や市民が会社の株主であって、そしてそれが会社の株主総会でさまざまな問題を決定していく、それが普通すなわちcommonなのですね。だから、コモン・シェア(普通株式)なのだと思います。しかし、今の新会社法のように、普通株式が1株で、種類株があとほか全部で良いというようなことが認められますと、普通という言葉の意味が消えております。あるいは社団という言葉の意味もたとえ一人しか株主がいなくても、人間が主役という意味だとすれば重要な概念ということになります。あるいは先程第三者割当のところで出てまいりましたが、英国のようにright issueということで、公開会社でも株主割当増資が原則であるということは、つまり、第三者割当というのは例外であります。破綻処理なんかの場合にはありますけれどもめったにない。それはなぜかと申しますと、株主が個人と、個人のための存在である機関投資家になっておりますので、その構成を変えたくないからであります。ここで法人向けの第三者割当増資を認めますと、彼らが必死で守ってきた社会の質が、規範が崩壊しかねないということに対する警戒感の表れであろうと思います。これはアメリカでも基本的に同じだと思います。

そのほか、あくまでも「個」のためにこそ所有の絶対性があるのだという観念の下で、法人の所有や公共空間での所有への大きな制約が肯定されることが理解できると思います。株を買えたから主人公だ、所有者だという発想とは根本的に違うように思います。事業再編も、人の再編だという感覚がやっぱりヨーロッパの場合にはかなり強く残っているように思いますが、日本はアメリカ流に財産と財産の結合だという発想が強いと思います。いとも容易に対価の柔軟化を行うことで、人を追い出しても財産が結合すればよいという発想で良いのかが問われていると思います。結局、ちょっと舌足らずで恐縮でございますが、やはり日本は欧米のような経験「知」が足りていない、つまり会社法をつくっていく上での経験「知」が不足している分を理論「知」で克服するというのが日本の役割であり、使命であるように思います。ヨーロッパで「個」というものが確立したのは十三世紀以降と言われておりますけれども、その後のルネッサンス、それから啓蒙思想、市民革命を経て、そういうものを背景にして、団体や法人や結社に対する警戒感の強い企業社会を彼らは作ってきたと思います。日本にその歴史ないし遺伝子がないのであれば、その不足分を我々が理論「知」で何とか克服したいと、これは大それたことでありますけれども、そういう気持ちが必要だと思います。その場合には、条文には直接出てこない本質にまで遡って理論構成をする必要があるのではないかと思っております。

日本くらい比較法を真剣にやってきた国はございませんで、いつも私が申し上げているんですけれども、日本の大学というのはわずか125年とか150年とか言いまして、ヨーロッパに比べたら非常に短いんですが、それは外国の法律制度や政治制度を学ぶ大学として125年とか150年とか言っているわけでございます。中央大学は英吉利法律学校でした。法政大学も明治大学もフランス法律学校であります。それから、日大も専修大学も英米法の学校であります。早稲田の建学の母と言われております小野梓は英国公法の先生でありました。しかも現地語である日本語にすべて訳語があり独自に学問が展開している、そういう珍しい国である日本が、欧米が既に意識しなくなっている事柄、つまり経験「知」に頼り過ぎているような問題すら、その部分をみんなえぐり出して理論構成する、再構成することで、むしろ欧米が、実は我々の社会はこうだったのかと逆に知るということだってあり得るのではないかと思います。実は二、三日前にドイツに行っておりましてこういうことをしゃべってきたのですが、怒られるかと思いましたら、謙虚な口ぶりだけどかなり自信に満ちた発言で非常に気に入ったと言ってくれました。ドイツの有名な学者でありますけれども、ドイツ人の共通した感想だったとも言われました。

ですから、私は、日本が外国の制度を本当に真摯に学んできた長所というものを今こそ発揮できる、そういう国家としての長所があると思います。そして、日本で市民社会を再現するという目標を持つことは、いわば静かな革命と言うと大げさかもれしませんが、そういうふうにも言えるような文明史的な挑戦でもあるように思います。実は企業、金融・資本市場法制の問題は日本の国家のあり方と深く関わっているのだと思っております。

そこで、会社法の基本概念が資本市場を意識することによって私は変わってきたと思っております。つまり、企業、経営者の資本市場に対する責任という観念がまず存在していなければならない。つまり、発行体である株式会社が一次的責任を履行しないと資本市場は成り立たないというのが、例えば株式とか社債であります。公開するということは、この責任を履行するということの確認でもあります。情報開示、会計監査、内部統制、コンプライアンス等々は、これをしなければならない名宛人は発行体でありますから、それらの実行は資本市場を維持する、つまり資本市場が要求することを会社のガバナンスが実行しているということであります。これは当然のことだと思いますが、日本では先程の旧来発想が強いものですから、資本市場あるいは証券取引法、金融商品取引法の世界は会社法とは別の世界で接点がない、という通念をどうしても拭えないでおります。だからこそ大失敗を経験するまで待っていられませんから、理論で克服しようというのが公開会社理論なのです。

例えば、有価証券報告書は証券取引法、金商法に書いてある。適時開示は取引所のルールです。しかし、適時開示を発行体がやりませんと資本市場は成り立たないわけであります。品質の変化情報なしの証券市場はあり得ません。そういう意味では、決定的に重要なのは適時開示であります。有価証券報告書というのは、1年間やってきた適時開示を1年に1回まとめた文書でしかないわけであります。

対市場責任を想定する以上、その責任は買い手のための責任でもあるわけであります。売り手は株なら株主ですけれども、買い手は誰だかわからないわけであります。つまり公開会社というのは買い手、つまり誰だかわからない市民、国民、そういうものに向けて情報開示も会計も監査も内部統制もコンプライアンスもみんなやるんだという会社であります。株主というのは売り手ないし買った後の投資家の呼称であります。ここでガバナンスの性格は変わってきております。株主は会社の所有者だ、経営者は株主の代理人だ、そういった民法的なガバナンスから、買った投資家が株主であるということですから、最後に株主が出てくるガバナンスへというふうに理論の本質は変わってきております。これは私だけがそういうことを言っているというよりは、実態としては、欧米でもこれが当たり前と考えられていると思っております。株主が個人であることにこだわるということは、市民社会を相手にしているのですから、実は株主以前の存在を想定しているのだと思います。資本市場に登場するときは投資家と呼ばれるだけですね。

そうなりますと、投資家とか市民社会全体に対して会社の理念、ミッション、会社の成果を訴えていくわけですから、まずそこにガバナンスなり経営の正当性を担保する、そういう仕組みというのがまずあって、そして資本市場に訴えていくという形になります。そういう意味では、経営権の正当性を担保するものは株主が存在する以前に既に存在していなければならないことを意味しております。経営者にはなぜ経営権があるのかと言われたら、これは、自分を選んだのは取締役で、取締役を選んだのは株主総会だから株主総会であるという具合に血統書をずっと探していき、ああ、あったと言って安心するというのではなくて、現在自分を取り巻いている比較的厳しいガバナンス、それが自分を信任しているという、その事実にこそ経営権の正当性の根拠を認めるということになる必要があると思います。

あと、金商法の内部統制なども株主のための制度だと、よく書いてあるんですけれども、これはそういう面もありますけれども、しかし、それ以前に投資家のための制度でありまして、金商法である以上は当然のことであります。

以上のようなことは、環境基準の遵守を課せられた会社が環境基準を守るのは当たり前と言うのと同じでありまして、公開した以上は金融商品取引法を守る会社として存在するというのは当たり前のことだと私は思っております。環境基準を守るのは、決して株主が喜ぶからではないのですが、株主が個人なら市民なら喜ぶはずなのです。

あと、変わる概念としては、いろいろありますので適当なところでやめておきますけれども、例えば、有限責任の意味も、これも普通は有限責任社員のみからなるのが株式会社で、合名会社というのは無限責任社員のみからなる、こういった説明がされますけれども、合名会社や合資会社の場合には、その社員の氏名・住所を定款に書くことになっておりまして、つまり責任というのは社員というヒトにつくわけであります。しかし、株式会社の場合には、そういう意味での有限責任社員はどこにもいないわけです。では、株式会社の有限責任とは何かと申しますと、これは株式という責任限定金融商品、つまり株式というモノが持っている性格でありまして、その株式を持っている人を株主と呼ぶ、だから結果的に有限責任になるというものであります。つまり、株式というモノが先行するからいきなり証券市場が可能になるわけであります。こういった基礎理論そのものも大きく変わらなければならない、あるいは既に変わってきていると思っております。

結局日本のガバナンスとしては、それが資本市場対応型に本当になっているのかどうか、あるいは株主といっても法人株主主権ということになっていやしないか、これは要は経営者主権でしかないわけであります。経営権の正当性の根拠を何に求めているのか、株主総会なのか、今自分を取り巻くガバナンスそれ自身なのかといったことが問われているように思います。

公開会社法というのは、株主総会の無機能化に対応してガバナンスを重視するという、我々が学生時代に会社法の授業で習ったとおりの話であります。つまり株主総会の無機能化、所有と経営の分離、経営者支配、ガバナンスの重視と、こういう流れそのものを理論化しようというものです。それからもう一つは、それが人間とか個人に開かれているのかどうかにこだわるものであります。

金融危機は、変われるチャンスだと私は思います。利益が最高のときにはシステムがいいからだと思いがちでありますから変えません。危機になりますと、こんな危機に何をするんだと言って変えません。ちょっと回復しますと、せっかく病気が治りかけているのに何を言うのかと言って変えませんと。ということは、要するにいつまでも変わらないということであります。私は、日頃より尊敬しております島崎メンバーもおられるのであえて申しますが、経団連が100%満足したと公言した新しい会社法が起こしている問題が実は続出しております。この会社法は有限会社を株式会社の原点においたのですから、資本市場対応型の株式会社を維持するためには取引所が頑張らなきゃいけないとか、金融庁が出てこなければならないといった問題にもなっているわけであります。そういう意味では、立法への関与のあり方について、やはり経団連としてある種の責任を自覚すべきではないかと思っているところであります。

戦後日本の経済発展に経済界が果たしてきた大きな役割を私は十分に評価しておりますけれども、今は違ってきたのではないか。つまり、証券市場、資本市場、市民社会、それと正面から対応できる、そういった会社制度にならなければいけない時に何が必要なのかという観点から、経済界も真正面から企業社会と企業法制のあるべき姿を議論していかなければいけないのではないかと思っているところでございます。

そこで、公開会社法について触れておきますと、お手元に要綱案がございますし、概要というのもございます。これは神田秀樹先生とも一緒になって日本取締役協会でやってきたものでありますが、今は日本取締役協会からは手を離れております。今日は神田先生おられませんが、一緒にやってきたからといって私が言っていることに神田先生がみんな賛成しているということではまったくございませんで、これは十分に強調しておきたいと思います。

欧米の公開会社法に一気に論理で追いつき、追い越すための提案であるというふうに私は考えております。欧米の会社法に論理で肉薄しなければならないということでございます。つまり、アメリカですと、34年法の12条G項の情報開示会社、これは公開会社であります。州には会社法がありますが、連邦に会社法がないアメリカではこれが相当程度会社法の代わりをしているわけであります。あるいは連邦証券取引所によるガバナンスですが、ニューヨーク証券取引所が、最初は監査委員会について定めていました。それが今や指名委員会、報酬委員会まで取引所規則でやる。これはしかしSEC管轄下のガバナンスであります。アメリカは、ロースクールでももちろん会社法と証券規制は一緒にやっておりますし、こうしたことは当たり前のことですから今さら公開会社法などということを言う必要はないわけであります。

英国でもpublic companyというのは公衆に担われた会社ということでありまして、例えばオーディターのような会計監査人は、当然会社法の中に組み込まれているわけであります。あるいは取引所のルールのような自主規制と合わせて公開会社法制そのものであります。逆に、インサイダー取引も証券詐欺も目論見書規定も会社法で対応してきた経緯もあります。

ドイツは株式会社が3,000ほどしかないと言われておりますが、つまりそれ自体が強行法規に基づく公開会社法そのものであります。もちろん会計士も会社法の中に入っております。

日本はどうかと申しますと、先程申しましたように会社法と証券取引法・金商法は別物だという考え方で来たものですから、会社法を習ったときに有価証券報告書も教えない、知らない、財務諸表も知らない、監査基準も知らない、適時開示も教えない、とこういうことになっております。司法試験の問題も民事法ということになっておりまして、民事法ということになりますと、私から見ると一番おいしい部分は出ないわけであります。民法・民事訴訟法と適合的な、まずそうなところばかり出ることになり勝ちです。

と言って金商法が司法試験の選択科目にもなっていないわけであります。ということになりますと、この分野を全く知らない人たちが、日々、法曹として生産され巣立っているわけであります。そういう状況を、そんなのはおかしいと、皆さん全員が思ってくださるのであれば公開会社法理論などとわざわざ言う必要はないわけであります。しかし、そうなっていない以上は、その部分は論理で克服する。資本市場との内的、外的連関を徹底的にえぐり出して公開会社法を構想し、そうした発想を基礎に、できるところから具体化させていくことが必要なのではないか。そういう観点から構想されてきたのが公開会社法構想でございます。

対象は、有価証券報告書提出会社としております。これは、上場会社と同じではありません。ただ、この両者でずれてくる部分は、公募した会社と外形基準の適用会社でありますが、これは半期報告書や臨時報告書の提出義務があります。適時開示の延長に有価証券報告書があるという、そういう意味での連続性はないとも言えますけれども、臨時報告書の提出義務がありますから、そこはそんなに大きな差はないだろうということで、現実にアメリカでも有報提出会社が開示会社として中心になっておりますから、ここは上場会社法とわざわざ言いかえる必要はありません。会社法の公開会社と混同するからという理由もあるかも知れませんが、閉鎖会社でも公開会社と呼ぶ会社法の定義の方が明らかにおかしいのですから、そのために呼び方を変えるというのはおかしいと思います。

それから、株式・社債、これは株式会社が市場に提供した有価証券という意味でありますが、株式・社債に関する金商法上のルールで発行会社が担うべきルール、発行会社が名宛人となっているルールは、公開「会社法」のルールであるとはっきりと法律で書いてしまえということであります。有報とか財務諸表とか監査基準とかいろいろそこに書いてありますが、これはみんな公開「会社法」であると確認してしまえということであります。これによって少なくとも会計についてはトライアングルの2つの重複が消えていくわけであります。

例えば、資本市場で継続情報開示制度が機能していれば、有価証券報告書は事後開示であるというようなことを一生懸命言うのは非常に些細な問題でありまして、そもそも先程申しましたように、有価証券報告書というのは1年中実施してきた適時開示の一年に一度の集約文書、あるいは年鑑・年報でしかないわけですから、先程関メンバーがおっしゃいましたように、こういう問題とか内部統制報告書を株主総会での報告対象にするということが、株主総会という株式会社法の理論の中に金商法の制度を入れるという不純な発想であるというようなことはまったくないどころか、私はそれはあまりにも当たり前のことだと考えております。事後開示だということを一生懸命言うということ事態が、資本市場のルールが機能していないことを前提とした話であります。

それから、もう一つは、社債や株式等に関する金商法のルールで、金融庁とか監視委員会、証券取引所、業者等が名宛人になっているルール、証券業協会等が担うルールについても、発行会社としてそれを遵守し、尊重すべき対市場責任があると考えますが、両者の意義は理論上は異なっております。

それから、資本市場を特に意識したガバナンス、これが要綱案の11案の中では第3章に書かれておりますが、これはある意味では普通の株式会社法の話であります。先程の2章の金商法上の制度は会社法である、というのは一々書いた方が良いのですが、この第3章、第4章というのは、株式会社とは資本市場と一体の会社制度であるのは当たり前と思われる方にとっては、まさに会社法の普通の問題であります。ただ、少なくとも有価証券報告書や金商法の情報開示制度や監査制度について、株主総会で質問するとか説明するとか、これは当たり前のことと言えば当たり前ですが、そういう観点を重視して書かれているのがこの第3章であります。もともと株主総会というのはshareholder’s meeting株式保有者集会すなわち投資者集会でありまして、bondholder’s meeting債権者集会と基本は変わらないという発想がそこにはあります。もとより権限や地位等の違いは大きいのですが。

それから、「連結」開示、会計、監査、内部統制ですが、内部統制も全社的内部統制と言われております。これらが、企業集団を中心に構成されている以上、ガバナンスも連結していないとやはり論理一貫性がないだろうということで、企業結合について支配会社の指揮命令権を認めれば一定の責任があるという形での提案を行っております。これは選択制という形になっております。関メンバーが先程おっしゃった点がここの問題であります。

具体的な立法の姿については、今私が申し上げるようなことではありませんけれども、1つは、これは法務省の方には多分怒られるかもしれませんが、新会社法前の公開会社原則に全部書き換える、原則を公開会社法のルールに再度書き換えるということがあります。例えば、株主総会というのは、法令、定款に定めることだけを決議するとか、新株発行というのは取締役会決議が原則であるとか、自己株式の取得は市場買い入れが原則であるといった従来の原則、これは公開会社法の原則だと言ってもいいような原則であります。できれば、こうした規定を原則化する形で復活した上で、公開会社法独自の規定を加味していくというのが、区分立法の形としては望ましいように思います。しかし、作ったばかりの法律を作り直すというのは大変なことだとは思います。ただ、理屈としてはそういうこともあり得るということかと思います。

それから、有価証券報告書提出会社の特例という章立てをしていくというやり方であります。これは一時新会社法制定の過程では検討されたことがあるようであります。立法担当者の方に実現するかも知れませんよ、と言われたことがございますが、そうはならなかったわけです。

ただ、その場合に、本体での概念と特例の概念とが違いすぎるというのは問題だと思います。本体の方を変えないとすると、そこで使われている、閉鎖会社を含む意味で使われている公開会社、あるいは私慕を含む意味で使われている募集というような概念と、その特例の章で使われる募集あるいは公開会社という概念との間に余りにも隔たりがありすぎることになります。混乱が生じますのでその部分だけは変えるとか、あるいはそれは無視しても、矛盾していても仕方ないと割り切るのか、といったことが問題になるように思われます。あるいは、各規定ごとに、今の新会社法がそうですが、有価証券報告書提出会社にあっては、というような条文を個々に付加することも考えられるでしょう。過渡期の立法として一時しのぎですがそういった規定をたくさんつくっておいて、いずれ時期を見て、まとまった区分立法を目指すということもありうるかなと思っております。

最後に、自主規制機関の役割と機能について申し上げさせて頂きたいと思います。

まず1つは、アメリカについては何度も申し上げておりますが、アメリカは連邦会社法がない珍しい国であります。会計について、何かと言うとコンバージェンス、コンバージェンスと言いますが、私はその前に会社法のコンバージェンスをやってから言ってはどうかと言いたいぐらいでありまして、各州でばらばらになっているわけですね。それを補っているのが連邦証券取引所のルール、あるいは連邦証券法のルール等々であります。これは先程申しましたので繰り返しませんが、これらの制度が連邦会社法の代わりをしなければならないという切実な要請がアメリカにはあり、しかもそれはSECの管轄下にあるガバナンスであります。この部分を捉まえて、アメリカで証券取引所が大きな役割を果たしているから日本でも、ということにはなりません。イギリスは、もともと業者がルールのほぼ一切を担っております。証券取引所だけではありません。制定法はなくてもやれるという行き方であります。実は証券取引法ないし金商法のような法律も、もともとなかったわけでありまして、証券詐欺もインサイダー取引も目論見書規制もみんな会社法の中にあったわけです。金商法みたいなものができたのは1986年の金融サービス法、2000年の金融サービス市場法でありまして、ようやく日本の金商法のようなものができてきたということであります。

テークオーバーのシティパネルは業者でつくっている。規制当局であるFSAも業者がお金を出して運営するcompanyです。取引所はもちろん業者がつくっている、株主総会すら機関投資家が大半ですから、業者のFSAプリンシプルが支配している、ということであります。しかもその自主規制ルールに違反した場合には、そのルール違反が損害賠償の根拠になるといったことも認められておりまして、エンフォースト・セルフレギュレーション、つまり強行法規性のある自主規制という言葉が言われていたわけでありますが、今は会社法の明文規定により、制定法と同様の権威があることが確認されております。日本とは全く事情を異にしているのであります。アメリカ的な特殊事情がなく、英国のような権威もないという条件のもとで、日本の証券取引所による自主規制ルールの過度な強調は、制定法でやれる問題について、ルールの水準をわざわざ低下させる理論になりやすいと思っております。ソフトローという言葉が随分使われますけれども、ソフトローには2つの意味がございまして、つまり手続がソフトかソフトでないか、つまり制定法手続きを踏んでいないからソフトだという言い方をする場合と、中身が厳しいかどうか、ソフトかソフトでないか、というのがあるわけでございますが、手続的にはソフトであっても中身はハードであるということは、例えばヨーロッパの自主規制などを見れば幾らでもあるわけでございます。つまり、ソフトローの話をすることによって法令より下回る理論になるのか、法令より上回る理論になるのかというのが決定的なポイントだと思いますので、私は、上回る理論にならないのであれば、日本は別に連邦と州の問題も何もないわけですから、会社法でやれるのにわざわざ自主規制にする必要はないと思います。これも今、関メンバーがおっしゃった点だと思います。

では、日本の証券取引所の権威を高めれば良いのですが、そのためには、証券取引所自身が、やはり自らの地位を高める努力をする必要があると思います。1つは、自主規制とは、金商法の補完であるという位置づけがずっとなされてきておりましたけれども、やっぱり問題によりましては自主規制の方が全然重要であるということは幾らでもあるわけでございます。金商法の末端の勧誘ルールよりも、取引所の中枢での業者間の価格形成ルールの方が重要でないなどということはないわけであります。あるいは、有価証券報告書よりも適時開示の方が重要でないなどということもないわけでございます。適時開示がなければマーケットは成り立たないわけでありますから。有価証券報告書がなくてもやれないことはないですが。

それから、業者に対する規制の根拠ですが、上場契約に基づくお願い、というような感覚がどうもまだ残っている感じがいたします。あくまでも資本市場の機能を守り、公正な価格形成を確保するという証券取引所の使命から、そのために必要な事柄を業者に対して要求できるのは当たり前でありまして、それはむしろ責務であります。こういう立場に立つことを確認すべきだと思います。あるいは、投資家は規制できないのかということでございます。公衆浴場とか遊園地とかの場屋営業者ですら入場者への規制に責任があります。商法で場屋営業というのは、設備を提供して、それを人に使わせるという営業でありますが、証券取引所はこの角度だけで見るとまさに場屋営業といえるように思います。

場屋営業者に、その施設を利用する人の安全や秩序維持のためにルールを定める権限があるというのは、これは当たり前です。取引所がその提供する施設の利用者である一定の投資家に対してルールを課すというのは、私は商法的にも当然のことだと思いますが、まして金商法1条の目的を達成するために必要であれば、プレーヤーへの規制もありうると思います。

そこにありますように、英国と同じように、そこでのルールに法令並みの扱いができるかどうか。あるいは、違反した場合の効果として私訴権等の肯定が可能かどうか、これはやはりイギリスのように法がこれは法令と同じ権威があるのだということをはっきりとさせる、といったことも考えられるかなと思っております。それらの一切がないままでの、証券取引所への過度な期待は慎むべきではないかと思います。

しかしその上で、日本の証券取引所にどうしても求められることがあると思います。それは1つは、現場主義からの要請であります。つまり、現場でやらないと困るということでございまして、市場管理とか適時開示、適時開示というのは、それが直ちに取引の一時停止といった措置に結びつくものでございますから、やはり現場でないと困る。あるいは上場管理とか考査等がございます。これは、どうしても取引所自身が現場でやらなければいけない。それから、先程来申しておりますように、資本市場を守るためのガバナンスという視点ですね。これは、株式会社法が真の公開会社法になっていなければ、証券取引所としてそのミッションを守り抜くために、ガバナンスについて発言しなければならないと思います。証券取引所が論ずるガバナンスとは企業一般のガバナンスとは異なるものである必要があり、そうした視点を徹底的に追及するという姿勢が必要だと思います。

それから、最後ですが、会社法が民法化したと言いましょうか、かなりルーズ化したと言いましょうか、つまり株式会社とは有限会社であるというところまでいってしまいましたので、そうしますと、私的自治とか株主総会の権威とか、そういうものがやたらと強調されるようになってきております。それから、契約自由の要素が非常に拡大しておりまして、種類株の自由とか、事業再編の自由とか、これも著しく広がっております。つまり、契約ベースでの自由が強調されるほどに、資本市場向けのある種強行法規が支配することの多い世界が後退する。それに対する緊急の対応として取引所が何らかの役割を果たさなければならないという問題があろうかと思います。

本当は会社法を何とかする、株式会社法とは公開会社法だったのだ、という観点から会社法を見直すのが筋のいい理論だろうと思いますが、それができないのであれば取引所がやらなければならない。資本市場を守るという取引所の目的のためには、ガバナンスに介入せざるを得ない、ということは当然あり得ると思います。もともと株式会社法というのは証券市場に適合的な制度として発展してきたものでありますから、取引所のルールを徐々に普遍化させていったとも言えるわけであります。日本の場合に、取引所のルールに大いに期待をかけるためには、そのための前提条件についてきちんと論議を行う必要があるように思っております。

ちょっと時間がオーバーして申し訳ございませんが、以上で私の報告を終わらせて頂きます。どうもありがとうございました。

○池尾座長

どうもありがとうございました。

それでは、お2人からのプレゼンテーションを踏まえて、残りの時間、議論をさせて頂きたいと思いますが、資料4という形で、一応大まかですが討議して頂きたい事項ということで項目を掲げておりますので、それをご覧頂きながらご意見、あるいはプレゼンテーションに対するご質問がありましたら、ご質問でも結構ですがお願いしたいということで、討議して頂きたい事項1は、今、上場会社等に関わるガバナンスの改革というのを議論しているわけですが、そういう議論をしているような状況なのかというふうな議論もあったりするわけですけれども、それはいかがなものかということですね。どうぞ、ご自由に。

○関メンバー

その前に補足、ちょっと大事なことを言い飛ばしたものですから二、三分補足をさせて頂きたいと思います。

私のレジュメの2枚目の非執行役員(監査役を含む)の役割強化と資格要件別紙3のところでございます。先程、委員会設置会社か、監査役設置会社かという問題があると言いましたけれども、もう一つは社外取締役をどう考えるかという問題が非常に大事な問題としてあるんだと思います。私は、社外取締役というのは執行の用心棒のような人ではなく、見識のある取締役が選ばれるということであれば、執行の立場からも、監査役の立場からもいた方がいいと思っております。

一方、監査役の方なんですけれども、この別紙3をちょっと見て頂きたいんですけれども、別紙3というのは大変おもしろい資料だと思うんですが、これは外国人投資家による対日議決権行使の状況のアンケートを示したものであります。上にカルパース、下にフィデリティが出ていますが、実は取締役選任に対する反対投票よりも監査役選任に関する反対が非常に多いということであります。

これは何かということなんですが、日本では、監査役会は社外監査役が半数以上でならなければならないということになっているけれども、監査役制度が機能するために、本当にいい人が選ばれているのかという選任の要件に関わる議論だろうと思っております。そういう意味で、非執行役員を選ぶ場合の資格要件については、実は法的要件が非常に緩いということでありまして、親会社出身者でも社外だと、あるいは親戚でも社外だとか、メイン銀行、それから取引先をどう考えるかというようなさまざまな議論があるかと思いますが、この独立性の要件というものをきちんとするということが、我が国のガバナンスが国際的に通用するかしないかということを議論する場合の非常に大事な議論になるということを申し上げたいわけであります。

以上です。

○池尾座長

ありがとうございました。

それでは、ご意見いかがでしょうか。

柴田メンバー。

○柴田メンバー

資本市場の根源的な特徴として、「見知らぬ赤の他人に命の次に大切なお金を預ける仕組みである」という側面があると思います。ですから、情報開示が大事であり、それに伴う透明性並びに信頼性の確保が大事であり、監査に係る議論及び内部統制に係る一連の議論は、それらを担保するための方法を議論していることだと思います。また、資本市場のもう一つの特徴として、「支配権を持たない株主が大多数を占める」ということがあり、日本最大の機関投資家であるところのGPIFであっても少数株主にすぎないわけですから、「少数株主の保護」が資本主義におけるコーポレート・ガバナンス議論の重要な目的であると考えます。

そう考えますと、「経営権や支配権の移転を伴うような第三者割当増資」が取締役会の決議だけで可能になるということには問題があるということで、改善の余地があるのではないかと思います。

市民社会に関する議論ですが、根本的には「王権に対する市民社会の抵抗」という歴史があって、市民社会がそれなりに出した答えが自治であるということですし、その自治の中に自主規制があるということだと思います。市民社会では、自治を担う人たちの間での平等性の担保というものが非常に大事な原則であると考えます。

先程上村先生がおっしゃいました通り、資本市場のいろいろなルールは、市場に参加している人たちが市民社会的な精神を持って公平なルールをつくって、法制化されようとされまいとに関わらず、お互いにそれを守るように決めて、お互いの間で強制権を持って臨んできたという歴史的背景があると思います。そういった意味で、資本市場の機能を守るための自主規制機関というものの権限というのはある程度強化されてもいいのではないかと考えます。

○池尾座長

ありがとうございました。

では、藤原メンバー。

○藤原メンバー

スタディグループが発足して以来、2年以上の時間をかけて、私たちは日本の金融・資本市場を、もっと国際的な市場にしようとして話し合いを続けて来ております。既に何度か発言しておりますが、東証もある意味では国際化されていて、例えば、毎日の株取引の6割は外資による取引となっております。これは何を意味するかと申しますと、外資系が日本株を大きく売り始めると、日本株の値段が下がるということです。これはデータベースでも見ることができます。

私は日々の取引の6割を占める外国人投資家のガバナンスに関する考えは無視できないと思っております。例えばアジア・コーポレート・ガバナンス協会は日本の上場企業に対して社外取締役をアポイントすることを提案しております。私も最低1人社外取締役を任命することを義務化した方がいいと思っております。しかし、経団連は社外取締役を置くことに反対しています。経団連は取引の6割が外資系であっても、それが社外取締役を1人置くことの理由にはならないと言っております。ここで私が彼らに言いたいことは、東京市場に外国人投資家がいなくなってもいいかどうかという問題点です。

東京市場は外国人投資家が要らなくてもいいのでしょうか。例えば、今後企業が増資をしなければいけなくなった時、また金庫株を放出しなければいけなくなった時、これらの企業は外国人を本当に要らないのでしょうか。今議論しているガバナンスの問題は、企業の情報開示とか説明責任、透明性の問題でも大事な問題です。また日本の市場で外資の取引、外国人株主というのは要らないかどうかということまで考えさせられます。と、この点に関して経団連の方たちがどういう意見なのかとお伺いしたいと思います。また、この会に産業界を代表して参加している方の意見や経産省のスタンスもせっかくのチャンスですので私はお伺いしたいです。

以上です。

○島崎メンバー

ご指名ですので。先程関さんからコーポレート・ガバナンスについては、こういう経済環境が非常に厳しくなってくると企業の不祥事が多発するおそれがあるので、だから今こういうときにこそ検討しなければいけないとの説明がありましたが、私も全くそのとおりであると思います。アメリカでは今いろいろと問題が起こっているので、アメリカに学ぶものはないという意見の方もおられますけれども、そうではなくて、アメリカで起こっている事象というのがアメリカの平均的な、一般的な企業においてはどうなのかということもきっちり研究した上で、いいところは取り入れるべきであろうと思います。ただ、学ぶ場合でも日本的なガバナンスのあり方というのは当然あるんだろうなと思います。監査役会を基本に据えてガバナンスをきかすという形態は、日本の9割以上の会社がそういう体制を採用していると聞いています。日本特有の監査役会設置という体制を踏まえてガバナンスのあり方を考えていく必要があると思います。経団連の参加会社の中には、既に委員会設置会社に移行している会社もあれば、監査役設置会社の中でも社外監査役はもとより、社外取締役を複数名入れている会社もあるわけです。各社各様の、良しとするガバナンスのあり方で経営されているということですが、最低限産業界としてこうあるべきだろうというところを議論して提言をしていかなければいけないと思います。社外取締役そのものについてもいろんな意見が産業界の中にもあるということを申し上げておきたいと思います。

先程、関さんの資料の中で、いわゆる貯蓄から投資へということで随分やってきましたが未だその流れに大きな変化は無いとの説明がありました。私もこのスタディグループに入ってその議論を何度となく行ってきましたが、いまだに1,500兆くらいの金が個人の懐にあり、全くと言っていいぐらい証券市場の方には資金が流れてきていないという現実があると理解しています。その間、教育がどうだとか、証券会社がもっとこうやってとか、いろんなことをやりましたけれどもその成果は出ていないと認識せざるを得ません。この一、二年に多少そういう投資の方へと資金をシフトした方は大損してしまって、その結果としてますます証券マーケットというか、投資というのは怖いぞということに一般の国民の方の意識は強くなっていると思うんです。そういうときにどうやってそういうものを呼び込んでいくのかという具体論を議論しなければいけないのかなと思います。

それで、今回の事態は日本を始めとして、欧米の資本市場で株がクラッシュし、そのほかの金融商品も大幅な元本割れとなり、場合によっては90%以上元本を毀損している。これがなぜそういうことになったのかということが大きな問題であって、今まで良いとしてきた欧米的な企業経営のあり方が問われるんだろうと思います。高いレバレッジをきかせた経営により獲得した利益を配当、自社株、役員報酬という形で、シェアされて、内部蓄積が極めて少ないということ。しかもその利益が実質的な利益で分配されるべきものであったかというとそうではなかったということが今になって明らかになってきたということが問題であると思います。

それでは、この様な経営を許してきたガバナンスはどうであったのか。リスクマネジメントとか、リスクの定量化ということはアメリカや欧州から学んだわけですけれども、定量化したリスクを経営者がどう判断して、それをどう生かしてきたかということが問題なんだろうと思うんです。場合によっては、経営者にあるインテンションがあって、出てきた数値そのものをゆがめて解釈してどんどんレバレッジをかけたということもあったかもしれない。そういう経営者の行為をどういうガバナンスで抑止できるのかということを我々として検討すべきことなのではないかと思います。そういうことを検討することについて何も産業界が反対しているわけではなく、むしろそういうことをきっちりやることがそれぞれの企業の持続的成長というものにつながってくる訳です。これは、ステークスホルダーに対していろんな意味できちんと貢献していくという企業の使命からしても、常に求めていかなければならないことであって、その思いとするところは企業の経営者も投資家も変わらないところだと私は思います。

○池尾座長

ありがとうございました。

それでは、ほかの方からご意見頂きたいと思いますが、いかがでしょうか。

では、新原課長。

○新原経済産業省産業組織課長

一応経産省というふうに言われましたので申し上げます。

今日、お二方のプレゼンテーション、すごく意味があったように思うわけですけれども、今、ちょっと上村先生の方にありましたが、例えば経産省だからとか、金融庁がこうだとか、経団連がこうだとか、そういう議論ではなくなってきていると認識しています。それは、個社、あるいは立場によっていろんな経験をされてきているわけで、企業においてもここでもずっと議論されてきているようにグローバル化などに接して、不断に投資家と意見交換をする立場にある方や、会社の中でそういう経験はされていない方などがいるし、役所においてもそれはいろんな人がいると思います。かつてであれば、それはその団体、あるいは役所がまとめれば全く何の異論もないというころだったと思うんですが、今はそういう状態ではなくなってきているんだろうと思います。

そうだとすると、1点目ちょっとお願いしたいと思うのは、何かこのメンバーがこの利害を背負っているからということでレッテル張りをするということではなくて、ちょっと一歩そこのところから出て――私自身もそうなんですけれども一歩出て――、そして個人として自分の経験からどう考えるかということを真剣に議論した方がいいというふうに思うんですね。そうでないとこの問題は長い間解決できていないものですし、なかなか前に進みにくいだろうというふうに思っています。これが1点目であります。

それから、2点目は、私自身がどう考えているかと言うと、やはり金融危機だからこの議論をする必要がないと、あるいはその時代ではないとか、アメリカが失敗したんだから、日本のガバナンスは絶対的にいいんだという議論については、私は違うのではないかというふうに思っております。さりとて、別に各国の制度をそのまま飲み込んで外国が言っているからそのまま似せるということでもないと思います。しかし、我々はこの問題については問われているわけです。この数年間、利益が比較的出ておりましたので、株式市場にもきちんと配当の形で報いながら研究開発投資をするというようなこともできたわけなんですけれども、これから数年間そういう時代ではなくなってくるでしょう。

それから、先程も関さんからも話がありましたように、利が薄くなってくれば、当然のことながらコンプライアンスの問題はより重要になってくるわけであります。我々としては――というか、私としては――、こういう時期だからこそ議論すべきだと思っているということであります。

一方で、私は事業会社をずっと見てきているのですが、やっぱりガバナンスは形でなく実質であるというところもあるわけですね。ですから、何人入れればいいとか、何%だったらどうだとかというふうにはならないと思っているのです。私は産業界の皆さんにぜひ今の前提のところはきちんと飲み込んで頂きたいと思っているんですが、その上で、実質的に会社を良くしていくにはどうすればいいのかというところまで至れればこのスタディグループで議論する、あるいは私どものところの、企業統治研究会で議論していることが意味があるのではないかというふうに思っているところであります。

以上でございます。

○池尾座長

どうもありがとうございました。

ご意見ほかにございませんでしょうか。

○萩本法務省管理官

お隣の新原課長が発言されましたので、私からも法務省の立場から一言、上村先生から直接法務省の名前も出ましたのでコメントしたいと思います。

上村先生から、今日ご発表頂いた論点については、会社法で受けとめるのが筋がいい話だというご指摘がありましたけれども、それは私としてもまさにそのとおりだと思っていまして、会社法の問題としてしっかり議論すべきものであり、ここでの議論、あるいは経産省の企業統治研究会で行われている議論などをしっかり受けとめて、法務省で検討していきたいと考えております。

このスタディグループは会社法のあり方や会社法のルールそのものを議論する場ではありませんので一つ一つコメントいたしませんけれども、それを前提に一点だけコメントしておきたいと思います。先程上村先生から、新しい会社法が起こしたさまざまな問題があるというご指摘がありました。ただ、そこは冷静に分析し、あるいは考えて頂かなければいけないと思っております。会社法が一体どのルールをどうしたから、どの問題が生じたのかというのは、必ずしもきちんと分析されていないというふうに思っておりまして、会社法によるルール変更が生んだ新たな問題ではなく、もともと商法のルールのときからあり得た問題が恐らく大半であって、あたかも会社法が経済界フレンドリーにいろいろな選択肢を増やしたから、それゆえに不祥事が増えたという因果関係があるかというと決してそうではないわけで、そのあたりはしっかり分析してぜひご議論、ご意見を頂きたいと思っております。そうでないと、会社法が緩やかになったから不祥事が生じたと、あたかもキャンペーンのように、その言葉がひとり歩きしているというような懸念を持っておりますので、そのあたりはぜひそういった観点からのご意見も頂きたいと思っております。

それからもう一つ、これはさらに脱線して時間のないところ申し訳ないのですが、上村先生から司法試験の話がございました。私は司法試験の直接の担当者ではありませんから、法務省の意見ではなくて私個人の意見ですが、こういう公式のオープンの場で意見が出て、何のコメントもしなくて、あたかもそういうことであるかのように流布されては困りますのであえてコメントいたしますが、上村先生がおっしゃるようにここで議論されている開示の問題、先程柴田メンバーからもご意見のあったこの問題が重要であることは、それは言うまでもないことだと思っております。

ただ、法律家、法曹の素養としてまず何が求められるかというと、それは民事法のルール、つまり市民社会における調整のルールがどうであって、それがどう解釈、適用されるべきかということだというふうに私は理解しておりまして、金融庁が金融監督行政の立場でどういう規制ルールを引いているか、条文だけ読んでわからないところについて金融庁がどういう有権解釈を示しているかということを知識として知っているか知っていないかということが、法律家の基礎的素養として重要なことだとは思いませんので、金商法が試験科目になっていないということが問題かと言うと決してそうではないということは申し上げておきたいと思います。

○上村メンバー

あまりに認識が違うのでびっくりしているんですけれども。例えば株式分割をするときに、1株純資産が5万円なければいけないのを1円でも良いとすることで、1万分割や101対1分割も出てきます。何とかしないといけませんので、証券取引所が5対1しか認めないということになる。種類株で拒否権条項付株式を認めました。そうすると、取引所でそれは上場できませんとか、従来気にしなくてよかった問題が、新会社法の下で続出していると思います。そのような実例は山のようにあるので、もしそれについて報告せよと言うのであれば1時間ぐらい報告します。それは相当認識が違うと思います。

だからこそ、会社法が契約自由の世界のままなら、金融庁ないし証券取引所でやるしかない。なぜかと言うと、資本市場を守り抜くということは、国民の生活や安全全体に関わる重大事であるからで、そのことは今のこの金融危機を見ればわかるはずですね。そうすると、それに責任を負う立場として金融庁にしても、証券取引所にしても、何とかそこを必死で守ろうとしているときに、株式会社とは有限会社なりという、世界に例のないほどの200万もの株式会社があるという、そういう会社法にしたということが大きな問題を投げかけていることは私は明らかであって、それがそういう発想がないのであれば、会社法改正には期待できないことになりますね。例えば1株1議決権原則というのは会社法に書いてあります。しかし、これは取引所のルールで書いてある国は幾らでもあります。つまり、取引所のルールで書いてあったことが、だんだん会社法に反映してきたというのが、株式会社法の歴史的経緯であります。

ですから、そういうことは普通のことなのですね。資本市場にとって大事なことが、株式会社法に当然に含まれていた時代でなくなってしまったのであれば、そしてその部分を会社法の方に書かないのであれば、これは資本市場を守るという観点から、その部分については金融庁なり取引所がやるしかならなくなります。これをやることは責務であります。あたかも先程申しましたように、銀行検査マニュアルについて、銀行の健全性を守るためにはガバナンスがきちんとしないといけませんと言わざるを得ないのと同じです。内部統制についても、これはもともとはアメリカでも経営者報告書は銀行の内部統制から始まっているわけですね。資本市場を担う株式会社法についても、そういう観点から問題にせざるを得ないのは当然のことだと思います。

もちろん私は民法が大事だというのは、十分理解しているつもりです。しかし、日本の司法制度改革は、これは私の個人的な意見ですけれども、従来の護送船団的な行政をやめて、ルール型、市場型、司法型、事後型に変えようという大きな流れがあったはずです。その中心は、やはり金融・資本市場、大規模公開株式会社であったわけです。しかし、現実の例えばロースクールの設計は、ほとんど司法研修所中心の発想になっておりまして、研修所では、会社法や証券取引法などは研修対象に今も過去もなっていません。法化社会の原因をなすこの分野については、教えたことはなく、今も教えていません。しかし、今これだけの問題が資本市場との間で起きているときに、そちらの方から民商法のあり方を考えていくという視点がないのであれば、これは法務省には期待できないということになるのではないかと思います。資本市場の全体的なルールは、市場ルール、業者ルール、取引ルールからなりますが。私法的な取引ルールもここでは、資本市場のルールの一翼を占めており、金商法1条の目的に奉仕するものなのですから。まだ、幾らでも申したいことはありますけど。

○池尾座長

そのあたりにして頂いて。

あともう二、三の方からご意見を頂く時間、ちょっと残っておりますが、いかがでしょうか。

山澤さん。

○山澤メンバー

先程関メンバーと、それから上村先生の方から、すみません、全然違う話なんですが、資料4ということで言うと2.の議論ということなんですけれども、ルール整備のあり方についてどう考えるかということで、ソフトローの活用を考えることが極めて重要だと。ただ、一方でソフトローの寄って立つ基本的な位置づけ等に関するコンセンサスが大切だというようなことだったと思うんですけれども、そこは取引所の立場から考えても全くおっしゃるとおりだというふうに思っております。

上場審査規則の中で、さまざまなものを柔軟に定めていくということは、恐らく法律で定めていくよりはかなり実態に即して、それぞれの企業の企業規模とか事業内容がかなり変わっておりますので、それぞれに応じて適切な定めをしていくという意味でも極めてやりやすいんだろうなというふうには思っております。

特に私が気にしておりますのは、ベンチャー企業とかということなんですけれども、大阪証券取引所でヘラクレスという新興市場を運営しておりますけれども、その中で、営業利益1億円に行かないような企業が過半数あるというような状況の中で、今、J-SOXを始めましてかなりのコストがかかっているということでございます。ですから、一部上場の大企業と、それからそういうベンチャー企業というのは当然異なるようなガバナンスのあり方の義務づけというのはあっていいと思っておりますし、そういうようものを柔軟に対応していくという意見でソフトローというのは極めてやりやすいというふうには思っているんですけれども、一方で、取引所規則が、あくまでも上場企業と取引所の間の私的契約でしか過ぎないということだとすると、やはり上場企業にとっての負担が増大するような不利益変更というのを実施する場合には、かなり慎重に対応しているというのが今の実態ということでございます。

ガバナンスということで言うと、例えば、今、企業行動規範の中で監査役会の設置というのを義務づけているわけでございますけれども、それを一定の経過期間、経過措置みたいなのを設けた上で、その経過措置が経過した後も、監査役会が設置されないという場合も、今現実には上場廃止ということではなくて、勧告とか公表ということになっているということでありまして、例えば上場廃止というような強い措置まで求めていくということになると、現状のソフトローに関する社会的なコンセンサスを前提にするとかなり限界があるということを認識して頂きたいということであります。

○池尾座長

では、岩原先生。

○岩原メンバー

資料4の討議を望まれている事項に沿ってごく簡単に感想みたいなものを申し上げさせて頂きたいと思います。

まず第1の上場会社等に係るガバナンスの改革は不要なのかという、この質問に対しては、先程のお2人のご報告にもありましたように、また、島崎メンバーのご発言にもありましたように、私はやはりガバナンスについては改革は必要であり、不断に見直していく必要があると思っております。

一時期コーポレート・ガバナンスの改革というのは、少し前まではアメリカ等の景気が非常によくて、それに倣った改革という感じで議論されていたわけでありますけれども、それがアメリカが不況になって随分風向きが変わった感じになりましたけれども、やはり島崎さんや関さんもご指摘になりましたように、むしろこういう厳しい環境にあるときこそ、問題は出てくるのであって、本当に日本の現在のガバナンスの体制で大丈夫なのか、特にこういう厳しい環境になって、世界の他の国との競争が激しくなる中、不祥事の問題もそうですけれども、本当に日本の企業が国際的な競争力を保っていけるのかどうか、まさに経営者の質が問われていると思います。質の高い経営者を育てていく、そして、そういう人たちが経営していけるようなガバナンスの体制を日本の企業は本当に持っているのか、これはぜひ検証しておく必要があり、私はガバナンスの改革が必要だと思っております。

2番目のコーポレート・ガバナンスに関するルール整備の手法でございますけれども、関メンバー、それから上村メンバーのご指摘、非常に説得力があり、我々にとって学ぶべき点が多いと思います。まず上村メンバーのご指摘の公開会社法の考え方でありますけれども、資料3に絵でわかりやすく書いて頂いておりますが、確かに資料3の最初のページにあるような考え方がかつては多かったのに対して、2枚目にあるような新しい見方が必要であると、これはそのとおりだと思います。株式会社、公開会社、あるいは業法的な監督を受けている会社、それぞれに応じて、単に会社法だけから見るのではなくて、金商法あるいは業法的な規制を全体として見て会社が適切なルールのもとにあるのかということを見ていく必要があるということはそのとおりだと思います。

実際上、法技術的に見ましても、現在会社法と金商法の規制が必ずしもうまくかみ合っていないというか、両方がうまく合わさって機能するようになっていない点がいろいろあることは事実でありますので、そういうところを洗い出して全体としてうまく機能していくように見直していく必要があると思います。ただ、それを公開会社法という一つの法律をつくることで対処するのがいいかどうかは別の問題であると私は考えております。そういう問題に関しましては、この2のルール整備等の手法としてどういう手法が適当かということからアプローチしていくのが妥当だと思います。

1つは、やはり(2)にありますように取引所ルール、これはやはり取引所が、取引所をアトラクティブにするようにするにはどのようなルールが必要かという観点からルール整備を図っていくべき問題でありまして、そのような観点で取引所としてできることはもっといろいろあると思いますので、これをぜひやって頂きたいと思います。

またどういう手法が適当かということを考える上では、やはりエンフォースメントの手段としてどういうものが適切かということと併せて考えるということが非常に重要であると考えております。取引所であれば、上場規則として上場できるか否かの要件という形で問題に対処することになるわけでありますので、そういうことが適当なものについては取引所ルールの形で対応する。会社法で対処する場合は、あくまで民事ルールでありますから、訴訟上のルールとして対処することが適切な問題につきどういうルールをつくっていくか、あるいはそれ以外には、会社に関する商業登記等により対処する場合にどういうルールが適切かということで考えていくべきであろうと思います。

それに対しまして金商法で規制していく場合は、資本市場を整備するという目的からいかなるルールが適切かということが基本的な視点ですが、それを財務局等によって開示書類等の審査をするとか、あるいは課徴金を課すとか、場合によっては刑事罰で対処するという形でエンフォースしていくのが適切であるような問題については、金商法で対処することになると思います。それによって金商法の本来の目的である資本市場を活性化し、それを信頼できるものにして、そして投資家がより投資しやすくするようにするという観点から金商法の方で整備していく。その中でガバナンスについても当然やれることがいろいろあるはずでありまして、現在以上にもっとそういう点で金商法の規定を整備する余地は大きいと思っていますので、さっき申しましたように、会社法と金商法の両方が力を合わせて、うまく協働することによってガバナンスをよりよくする法整備をぜひ検討して頂きたいと思っています。総論的なことですが、簡単に申し上げさせて頂きました。

○池尾座長

どうもありがとうございました。

それでは、時間が来てしまいましたので、まだご発言あるかと思いますが、本日の議論としては以上にさせて頂きたいというふうに思います。ご熱心な、最初のお2方からのプレゼンテーションと、それから後のご熱心な議論どうもありがとうございました。

それでは、最後に事務局から日程等につきましてご連絡をお願いします。

○池田市場課長

それでは、ご連絡させて頂きます。

次回でございますが、4月23日木曜日の午後2時からということで開催させて頂きたいと思います。議題につきましては、これまで頂きましたご意見等を踏まえまして、座長とご相談の上決定いたしまして、後日連絡をさせて頂くこととしたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

○池尾座長

どうもありがとうございました。

それでは、これで終了とさせて頂きます。

以上

お問い合わせ先

金融庁Tel 03-3506-6000(代表)
総務企画局市場課(内線3615)

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