仮訳
日本の金融システム改革の課題と進展
柳澤金融担当大臣
英国金融サービス機構での講演
2001年9月
本日は、英FSAの配慮の下、世界の金融市場の最も重要な中心の一つであるロンドンで、多くの有識者と話ができて幸甚である。FSA長官ならびにスタッフの方々に感謝申し上げたい。
本日は、金融庁の発足の経緯にも触れつつ、不良債権問題をはじめとする、現在我々が取り組んでいる日本の金融システムが抱えている課題や将来の活力ある我が国の金融システム構築について、金融担当大臣としての考え方を述べてみたい。
1.金融行政組織の改革
日本の金融行政組織は、ここ数年、大きな変革を遂げている。
1998年6月には、金融監督部門が独立して金融監督庁が設立されたが、2000年7月には、これに金融に関する企画立案部門も統合されて金融庁が発足した。これによって、金融行政を担う組織は、銀行・証券・保険のあらゆる業態を通じ、また、企画立案・監督・検査のあらゆる行政機能にわたって、完全に財務省から分離されてしまった。
このような金融行政の組織上の変革は、戦後否日本の近代国家体制の出発以降一貫して続けられ、日本を経済的成功に導いてきた大蔵省による金融行政のあり方が1980年代後半の日本経済の中に生じたバブルの形成と1990年代におけるバブル崩壊に伴う金融不安の克服の遅れにいずれも責任ありとされた結果であった。
1997年から1998年にかけては、日本の金融システムも大きく動揺した。その中で、いくつかの銀行の破綻処理と大手銀行などへの公的資金による資本注入が行われた。これらを実施するため1998年10月、破綻金融機関の処理を定める金融再生法及び健全金融機関の公的資金による資本導入を定める早期健全化法が実施された。この2つの法律の運用は、金融監督庁にすら委ねられず、新たに設置された5人の委員から成る行政委員会たる金融再生委員会によって行われるものとされた。私は金融再生2法が実施に移されると同時に、同年10月、金融再生担当の国務大臣に就任し、引き続き同年12月金融再生委員会の発足と同時に同委員長に就任した。
2.金融危機の克服
言うまでもなく、金融再生法及び早期健全化法の2法を運用する前提は、金融機関の財務状況の厳正な把握であり、その目的のための当局による厳格な検査であった。幸いなことに、1998年には、まだ大蔵省が所管していたが、検査制度は改革の第一歩を踏み出しており、自己資本比率に集約される資産の分類と償却・引当の妥当性につき、包括的に厳格な検査が行われることになった。
この方式による第一回の、しかも、日本の主要銀行19行に対して一斉に行われた検査は、金融監督庁の手により、日本銀行の考査による協力を得つつ、1998年7月から10月にかけて実施された。
この検査結果に基づき、1998年10月及び12月に私は長期信用銀行及び日本債券信用銀行の債務超過による破綻を認定した。
また、1999年3月の事業年度末には、一行を除いて事実上すべての主要行に対して公的資金による資本注入を行った。資本注入に当たって私は引当率に特例を設け、債務者区分のうち要管理先の債権(米国のRisk-ratingのsub-standardに相当)については、担保保証により保全されない信用分の15%とし、また、破綻懸念先債権(doubtfulに相当)については70%を目安とするよう指示した。その上で、資本注入後においては、Tier1で7%前後、Tier2を合わせて12%前後の国際有力行並みの自己資本比率の実現を目指したのである。
これらの1998年度中における主要銀行に対する破綻処理、資本増強への公的支援によって、日本の金融システムの動揺はひとまず安定を取り戻すこととなった。
なお、先に述べた金融検査制度の改革は、1999年7月最終的に「金融検査マニュアル」と呼ばれる文書にまとめられ、公式基準となった。この基準はバーゼル委員会の「銀行組織における内部管理体制のフレームワーク」(1998年9月)及び、米国連邦準備制度理事会(FRB)の「銀行検査マニュアル」等とも内容的に十分比肩し得るものとなっている。
この検査マニュアルは、その後、事実上最初に、地方銀行などの検査に適用される運びとなった。適用の結果、1999年度中に地域銀行のうち6行に資本注入が行われた。
3.金融担当相への再任
私は2000年12月、1年2カ月のブランクをおいて再び、金融担当大臣に任命された。今度は、金融再生の2法の運用に止まらず、先に述べたすべての業態を通じ、行政のあらゆる側面にわたって権限をもつ金融行政の責任大臣となった。
私自身は、正直に言えば、この職を引き受けるに当たって、いよいよ前向きに日本の金融システムの構築という課題に取り組めるものと期待していた。しかし、現実には、日本経済の低迷を背景として、私は自分の時間の多くを再び日本の金融機関の健全性の確立のための諸施策の立案と実施に費やさざるを得ないでいる。
4.不良債権問題
私の仕事の第1は、不良債権残高の圧縮のための努力である。直近の決算期である2001年3月末現在、日本の主要銀行の不良債権は、約17.4兆円であり、全貸出約304兆円に対する比率は5.7%である。他方、2000年度期中における不良債権の処理のための費用は4.3兆円であり、全与信額に対する比率は1.4%である。
このような不良債権の状況を前にして、私は、不良債権のバランスシートからの切り落としを新たな政策として実施することにした。すなわち、破綻懸念先(doubtful)以下の債権については、2~3年内に最終処理をするとともに、銀行が要注意債権及び要管理債権については、貸出先債務者に事業の再構築のためのノウハウや情報を提供するなどにより、その健全化・正常化を支援するというものである。しかも、信託の道を拓くなど、RCCの機能が拡充された。こうした方策の下で、不良債権の集中的かつ最終的な削減を実現したいと考えている。
長期にわたって6%に近い高い比率の不良債権を保有することは、投資家や預金者をはじめとする内外の人々の無用な不安や混乱を招きかねず、この状況から早期に脱却する必要がある。また、同様に1.4%というわが国の金融の歴史において、また、預貸利鞘の現状に照らして、極めて高率の与信費用を費やし続けることは、銀行経営の健全性を危うくするため、速やかにその圧縮を図って、収益力の回復を図る必要がある。さらに、銀行が債務者に対して積極的に働きかけ、再生可能企業の再生を促すことは、実体経済の回復にも資することになるはずである。これらが今回私が不良債権の最終処理に乗り出すこととした理由である。
政府が政策的に働きかけて不良債権の最終処理を促すのは、直接的には、主要行であるが、地域銀行等においても、2002年4月から始まるペイオフ凍結解除を前にして、市場における主要行との競争を意識すれば、顧客である中小企業との関係に配慮しつつも、必ずや主要行と同様に貸出先債務者へ働きかけ、資産の健全化を進めることとなろう。
金融庁のモデル推計によれば、2001年度以降3年間における集中的な不良債権圧縮の努力の結果、日本の主要銀行は、2004年度以降には、不良債権比率を3%台へと改善できる見込みである。また、与信比率も0.3%以下へ低下し、各事業年度の最終利益の黒字幅も増大するはずである。
なお、日本の銀行の不良債権問題については、政府の認識と異なるいくつかの議論が市場を中心に取り沙汰されることがある。
不良債権は、例えば要注意先債権の大部分を含めなければならないなど、銀行が開示している金額よりはるかに多いのではないか。要注意債権を不良債権のカテゴリーに含めないとしても、それに対する引当は不足しているのではないか。必要かつ十分な引当を実行すれば、今でも既に自己資本比率が不足しており、公的資金の再注入が必要なのではないか、などである。
不良債権の規模については、一部のアナリストによるマクロ的分析が銀行の開示とかけ離れた結果を示している。これについては、用いられている分析手法の大胆さは措くとしても、例えば日本の金融がプロジェクトファイナンス方式ではなく、コーポレートファイナンス方式で行われているという事実を無視していることが結論に大きく誤った影響を与えていることが指摘できよう。コーポレートファイナンスにおいては、不良案件による損失がその債務者の過去の蓄積や他の良好な案件の利益によって吸収されうるからである。
要注意先債権への引当については、現行水準が直近とはいえ過去の貸倒実績から導かれているのに対し、経済状況の将来見込みを折り込むべきとの主張が行われている。引当のような将来の費用・損失については、会計基準は厳格に客観的根拠が存在することを求めており、その基準に照らしてこの主張を容れることには無理がある。
しかし、極く最近私の金融庁は、銀行内部において要注意先債権についてもっと細かい格付を行う際、そこに外部格付機関による格付や株価など市場からのシグナルを取り込む方式を開発し、導入することを求めることとした。
5.銀行保有株式問題
銀行の健全性確保のための課題の第2は、日本の銀行が多額の株式を保有しており、これが銀行に大きな価格変動リスクを与えていることである。
日本の銀行は、事業会社との間で株式を持ち合うことによって、財閥に代わる企業グループの中心となり、また、資本自由化の進む中でいわゆる安定株主としての役割を果たしてきたと言われる。
しかし、銀行保有の株式がそのような役割を演じることは、それらの株式の発行会社のコーポレート・ガバナンスを弱めることに加え、時価会計の導入後においては何よりも銀行を株式の価格変動リスクにさらすことになる。
金融庁は、今回、銀行の保有株式をTier1自己資本の範囲に制限することとし、原則として2004年までにその実現を求める法案を国会に提出することとした。
この規制に適合するために、銀行はまず自己の判断で保有株式を市場で売却することに努めなければならない。しかし、現在の銀行の保有株式の規模をみると、現実問題として所定の期限内に自主的な市場売却だけで規制への適合を実現することは困難であろう。そこで、政府はある意味でのセーフティネットとして、明年1月に銀行保有株式の買取りのための機構を設けることとし、そのための法案を国会へ提出することとした。この機構が買い取った株式は、原則的にはETFに組み入れられて市場に売却されるか、発行会社によって自社株として買い戻されることが期待されており、そのようにして市場メカニズムとの調整を図っている。しかし、この2つの方法によって処理されない株式については、例外的に、一定水準の市場性を有するものに限り、同じ機構の中の特別勘定で買取りを行い、相当期間保留された後に時宜に応じて市場への売却を行うこととなる。
なお、バーゼル委員会が現在検討を進めている銀行保有株式のリスク管理方式がとりまとめられた場合には、銀行は、上述の保有制限への適合と同時に、バーゼル委員会のルールへの適合を図ることになろう。
6.自己資本の充実水準
銀行の健全性確保のための最後の課題は、新たに発生する不良債権に対する業務純益を上回って必要とされる償却、引当と今後あり得べき株式など有価証券の価格の下落に伴う評価損の計上とにより、現在11.7%の水準にある自己資本比率が低下し、再び公的資金によって資本増強を行うことが必要になるのではないか、というものである。
金融庁が行った、モデル推計においては、将来を徒らに楽観することなく、この3年間は経済の低成長のもとで現状以上に貸出債権の劣化が進むとの厳しい想定を前提に予測を行ったが、今後生じる不良債権への償却・引当による損失のみによっては自己資本比率の低下が進むとの結果は生じておらず、2004年度以降は、着実に改善することになる。
次に株価の動向による影響については、現実の銀行保有株式の価格と、日本の代表的な指標である日経225の平均株価との連動率は、50%程度と低く、この影響もあって同平均株価が直近決算時より20%程度下落しても、自己資本比率への影響は0.5%程度の低下に止まるものと推定される。
7.金融危機対応システム
このように私は、日本の銀行の健全性について、予見としてはかなりの程度厳しい状況を想定しても、全体として心配は不要との見解を堅持している。
ただなお心配をもちたいという人々に対しては、次の事実を明言しておきたい。
日本には、金融のシステミック・リスクに対処するために、総理大臣を議長とする「金 融危機対応会議」が設置されており、いつでもこの会議の議を経て公的資金による資本注入など必要な措置をとることができるということである。しかも現在この措置のためにいつでも15兆円の資金を投入できることになっている。
先般も小泉首相は、G7等の場で各国首脳に「日本発の世界的な金融不安は起こさない」と述べたが、これは十分は根拠にもどづくものであることを繰り返し述べておきたい。
8.将来の金融システム
この場における私のスピーチを締めくくるに当たって、最後に、簡単に日本の金融システムの前向きの改革のことについて触れておきたい。
一つは、証券市場の活性化である。冒頭述べたように日本はこれまで国策として個人の貯蓄を重視してきたが、今後は国民の眼を証券投資に向けさせたい。リスクマネーの受け手としての個人投資家の育成のために税制などによって誘導政策を取っていきたい。
二つは、公的金融が現在は民間金融の自立を妨げる結果となっていることなどから、公的金融の縮小とそれに伴う民間金融機関の機会の拡大は、今日、小泉首相の構造改革政策の主要な柱となっており、今後強力にその実現が推進されることとなろう。